第1話
「突然お電話差し上げて申し訳ありません。」
電話の向こうの相手はスラスラと話しだした。自衛隊にいた頃の上司の名前を出し、紹介してもらったのだという。
「未登録翼保有者対策室、というのをご存知でしょうか?絵州市に拠点を置いているのですが。こちらで職員を募集しておりまして、興味がおありでしたら、一度お話をどうかと。」
未登録翼保有者対策室、厚生労働省の管轄だが、翼保有者といえば国際翼保有者登録機関(IROW:アイロウ)で登録、管理がなされているのだからそんな国際組織とも関わっているということだ。
胡散臭い感じは拭えない。あの上司があんな事件を起こして退職した自分にそんな職場を斡旋してくれるなど、あるだろうか。
しかし、生活するためにはとにかく早く仕事を探さねばならない。わずかな退職金は借金の返済と相手方への治療費や見舞金の支払いであらかたなくなっている。
ひとまず会って話を聞いてみようと決めた。ヤバそうな相手には鼻が効く方だし、ちょっとくらいヤバい仕事でもこの際構わない、という捨て鉢な気持ちもある。
念のため、元上司に連絡を入れてみるが繋がらなかった。訓練中だと数日連絡がつかないこともある。
(ま、なるようになるか)
投げやりな気持ちでごろりと横になる。目に映る、窓の外の冬空はどんよりとしていた。
絵洲市は東京から新幹線で1時間ちょっとで着ける地方都市だ。地方都市とは言っても人口100万人を超える大都市で、有名大学や企業の本社も多い。
この街が翼保有者、通称『ウィンガー』に関連する話題で初めて注目されたのは9年前のことだった。
ウィンガーの発現率は100万人に1人程度。現在、国内での登録者数は40人に満たない。
年間の出生数が95万人を下回るのではないかと言われているこの頃だから、一年間に生まれた子供のうち、1人が発現するどうかという確率だ。
日本を含むアジア地方での発現率はもともと欧米と比べて低いと言われてきた通り、それまでは年に2人以上のウィンガーが保護されたことはなかった。
だが、9年前、絵洲市内の小学校、五年生の同じクラスから同じ日に2人の翼発現が認められた。世界的にも稀なケースで、ニュースでも大きく取り上げられた。様々な分野の専門家と言われる人々がそれぞれに推論をのべ、有識者と言われる人々が様々なメディアを通して意見を出した。
だがもちろん、結論も新しい知見も得られなかった。翼保有者、ウィンガーが現れてから50年近く経つが、彼らの翼についてわかっていることは少ない。
この時の騒ぎは数ヶ月で沈静化し、マスコミで取り上げられることもなくなった。しかし、その二年後に、この事件は再び蒸し返される。同じクラスの出身で、中学一年生になっていた女子が1人、翼を発現したのだ。さらにその次の年に同じ小学校の六年生の男子が翼を発現。問題のクラスに在籍していた男子生徒の弟だった。
ウィンガーが確認された場合、公表されるのはおおよその場所と年齢、性別くらいで、学校名や誰かの血縁なんて情報は公にならないことになっている。ただ、実際には周囲の友人、知人、親戚などにはあっという間に広がる話だし、SNSなどで情報が漏れれば当事者はもちろん、家族までも好奇の目に晒されるのはいうまでもない。
翼を発現した子供達がいずれも問題のクラスに関わっているとニュースは、少々オカルトじみた憶測なども呼びながら、あっという間にSNSで拡散し、再びメディアに取り上げられることとなった。
だが、この騒ぎは最初の2人が発現した時よりもずっと早く収束した。どこからか強い圧力がかかったという噂もあったが、同じ時期に20歳以上のウィンガーが連続して保護され、関心がそちらへ向いたことが大きいと思われる。
彼らはいずれも外国籍の出稼ぎ労働者だったが、翼の発現から数年の間、そのことを隠して生活していた。
母国でのウィンガーの非人道的な扱いを訴え、日本での管理・生活を希望した彼らだが、全員『国際規定』に基づいて保護から数日以内に母国へ送り返されている。
この頃から、ウィンガーの発現者数として、公式に出されるデータから発現場所、年齢等の記載がなくなり、国内全体での年間発現者数のみの公表となった。
これを問題視し、ネットや週刊誌で話題にするものもあったが、盛り上がりは見せていない。
ただ、以降のウィンガー保護の舞台が絵洲市に大きく偏っていることは多くの人の知るところだ。
密かにウィンガーの"聖地"などと呼ばれるようになり、一時期は絵洲市の観光業は大きな影響を受けた。
その絵洲市に『未登録翼保有者対策室』が設置されたのは4年前。積極的に外国人労働者を受け入れている絵洲市や、その周辺都市に「翼の発現を隠して入国しているウィンガーが少なからずいると思われる。市民生活の安全のために、未登録の翼保有者の実態の把握と迅速な登録、処置が必要である」
というのが設立理由だった。だが、設置後の活動実態はよく分からない。対策室の名前をニュースなどで見るようになったのは、半年ほど前からだろうか。その頃から急に対策室でウィンガーを保護したとか、警察にウィンガーが関わっている事件について情報提供しているとかいう話を聞くようになった。
いずれにしろ、電話をしてきた相手に会う前に集めた情報では、対策室が具体的にどんな仕事をしているのかはよく分からなかった。
「公表は控えられていますが、絵洲市ではここ数年、年に5〜6人ずつウィンガーが保護されてきました。去年はとうとう、一年で10人の保護を達成してます。過去10年の統計を見ても、国内のウィンガーの九割は絵洲市で保護されているんですよ。実際のところは、アイロウから非常事態宣言を出されてもおかしくないくらいの数字です」
"話を聞きに"訪れた相手はあっさりとそんな風に話を切り出した。
スーツ姿の細身の男。思っていたより若そうだ。せいぜい30歳くらいだろう。いかにも営業マンらしい、人当たりのいい話し方だが、内容が内容だ。
「大きな問題として取り上げられていないのは、報道規制がなされていることと、発現者の大部分が外国籍で、保護と同時に自国に強制送還されていることが理由です。というか、それを理由に政府筋も国内の発現者が増えているわけではない、として報道規制をかけている訳です。下手に不安を煽って絵洲市にパニックを起こしてはいけませんから」
それはまだ仕事に就くかどうかもわからない相手に、簡単に口外していい内容とは思えなかった。明らかに怪しすぎる。
そうそうに話を切り上げようと考えた矢先、相手は話題を変えてきた。
こちらの事情を知りすぎるくらいに知っており、早急に金策が必要な点をいやらしく突いてきたのだ。
「研修期間の1ヶ月も給料はでます。引越し費用と準備費用は前払いでお渡ししましょう。それで当面、首は回るんじゃないでしょうか?」
にこやかに相手が提示してきた金額は確かに急場をしのぐのに足りる金額だった。
「こちらは今日来ていただいた分の交通費です。すぐに雇用契約書を書いていただけるなら、研修施設までの交通費ということで、その倍額お渡ししますが、どうしますか?」
差し出された封筒の中を確認する。交通費にしてはゼロが1つ多い。この倍の金額をすぐにもらえるというのは、もちろん、有難いのだが…
「あなたが選ばれた理由についてですか。正直、私には分かりません。上の意図としか申し上げられません」
肝心なところは答えをはぐらかしてくるのがまた、不信感を募らせる。
相手はニヤッと笑いながら、目を覗き込んできた。
「まあ、わかる部分もあります。翼を発現させているウィンガー、つまり自我を失って暴走している状態の彼らを確保するとなると、それなりの訓練を受けた特殊部隊か自衛官でもなければ対処できません」
なるほど、それが大きな理由なのはわかる。基本、ウィンガーは傷つけずに保護することが優先される。貴重な研究対象でもある彼らは、例え凶悪な犯罪を起こしていたとしても確保時に死亡させることなど、あってはならない。銃での狙撃などもってのほかだ。
「実際のところ、ウィンガーに対峙するのに最も適した相手はウィンガーなんですがね。同等の身体能力を持って、しかもその能力をきちんとコントロールできる登録者が対応できれば一番です。ただ、現在の国内でウィンガー保護に関わる仕事についているウィンガーは片手で数えられる程度なもので。どうにも人手が欲しいのです」
にこやかな表情は変わらない。変わらなさすぎて、仮面でも見ているようだった。
「危険な任務もありますので、報酬はお話しした通りです。あなたの経済状況からしても、いいお話だと思うのですが、どうでしょう?ただし、余裕ができたからと言っても、趣味にお金を使いすぎるのは避けていただきたいですが」
最後の一言が決定打だった。選択の余地はない。こちらは首根っこを押さえつけられているのだった。
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