flappers 0 〜hunter's smile〜
さわきゆい
プロローグ
最初に『翼保有者』が確認されたのは、50年ほど前になる。
今でも有名な映像が残っている。ラスベガスのカジノの監視カメラ映像。
人ゴミの中で知人と言い争っていた若い黒人男性が頭を抱えて仰け反ると、その背中周辺にキラキラした結晶のようなものが集まり、1秒とたたずに白い綿状に変化していく。
周囲が何が起こっているのか把握できず、呆然と取り囲むなか、綿は白い羽へと変わり、背中から生える翼となった。
音声は入っていないが、現場が騒然としていることは画面から伝わってくる。
翼の男は口論相手にとびかかる。相手は車に突っ込まれたかのような勢いで画面の外まで吹っ飛ばされた…
後日、公表された男の名前はマイケル・オーウェン。当時22歳。今では『最初の天使』とも呼ばれている。
騒動の後、拘束されたマイケルは取り調べを受けるとともに、さまざまな検査を受けたという。彼の家族もまた、身体的な検査や病歴、家族歴の調査対象となった。
彼の氏名が公表されると同時に[人類の進化について極めて重要な症例の発表]として、拘束後に撮影されたマイケルの"天使化"するときの映像も公表された。
「翼のような付属器官を発現しうる人間が存在することは事実です。これまでの様々な検査、調査の結果を率直にお話ししましょう。」
政府報道官はそう言って話し始めたものの、一切の質問は受け付けなかった。
この時発表された天使、つまり翼保有者の特徴は今日では小学生にも周知の事実となっている。
報道官はまず、マイケルの背中に現れた翼について
「翼のように見えるのは確かですが、どんな成分で構成されているかはわかりません。現れている間は触れることもできるし、感触は確かに鳥の翼に似ています。触られていることは自覚できると言っていますが、自分の意思でこの翼様の器官を動かすことはできません。そして、消えてしまうとその痕跡は何も残らないのです」
報道官はここでマイケルが"天使化"する動画を示した。会見場にどよめきが起きる。
「これは翼のように見えるだけで、翼ではありません。しかし便宜上、ここでは翼と呼びます。ご覧のように、消失後は背中はもちろんのこと、着衣にも痕跡は認められません。発現時の衣服と翼は完全に融合し、背中へとつながっています。発現している時間は本人のコンディションにもよりますが、数分程度。一番の問題はー」
ざわつく会場を一瞥しながら、報道官は続けた。
「一番懸念される問題は、翼が現れている間、彼が非常に攻撃的な人格になることです。理性が失われていると言ってもいい。極度の興奮状態の時やストレスがかかった時に翼が発現するのは間違いありません。このことが攻撃的性格を引き出す一因ではないかと推測されます。」
質問は受けないと明言していたにもかかわらず、会場から多くの声が上がる。報道官はそれを全く無視して、話を続けた。
「しかし、この半年間、様々な医学的、心理的処置を講じた結果、彼はほぼ自分の意思で翼の出現をコントロールすることが可能になりました。翼が出現している間の自我を保つこともできるようになっています。このことにより、医学的な検査や能力テストを実施することが可能になりました。現在、マイケルの協力を得ながら、翼の出現機序や心理的肉体的影響について研究を進めています」
会場の騒がしさに合わせて、報道官の声が大きくなる。
「翼の出現している間、マイケルの身体能力は著しく向上します。脚力、腕力、反射スピード、どれも一流アスリート並みです。彼は今まで特にスポーツをしてきたわけではありません。この能力向上の理由も、現在のところ説明がつきません。マイケル・オーウェンの翼についての報告は以上です」
記者たちから不満の声が上がる。報道官はゆっくり立ち上がり、会見場を後にするかと思いきや、マイクが置かれた台に両手を置き、身を乗り出した。
「最後にもう一つ。約ひと月前、2例目、3例目となる翼保有者が確認されたことを報告しておきます。2例目はイギリス、3例目はオーストラリアから報告されました。彼らについてもオーウェン氏同様、調査に協力を依頼しています。」
一瞬、静まった会場が、ひときわ騒然とする。記者たちの怒号にも近い質問を背に、報道官は答えることなく、会見場を後にした。
その後も年に数人ずつ、翼保有者は発見され、5年ほどで20人以上となり、いつしか"ウィンガー"という呼称で呼ばれるようになった。
発現者のほとんどは20歳以下で、最初の天使、マイケルより年長の者はいなかった。
医学関係者、科学者、宗教関係者や哲学者まで含めて、ウィンガーについて様々な論争が巻き起こったが、相変わらずこの"翼のような付属器官"についてはわからないことばかり、というよりわからないことしかなかった。
ただ、「翼を持つことは人類の進化の過程である」という肯定的に捉える意見が多かった世論の風向きが変わったのは、それからさらに翼保有者が発見されていく中で、彼らが引き起こした暴力的な事件が増加してきたことが大きい。
やがて、ヨーロッパで翼保有者同士が結託して300人以上の犠牲者を出した爆弾テロが、決定的なターニングポイントになった。
ウィンガーに対し、移動や生活に管理や制限をかけることが必要だという意見が巻き起こったのだ。
当然、翼保有者からも人権団体からも猛抗議が巻き起こったが、折り悪くいくつかの国が自国のウィンガーを隔離し、人間兵器として養成しようとしていた疑いが持ち上がる。
「翼を保有する人々の安全を確保するためにも、登録は必要である。」
という世論が優勢となり、世界規模での登録制度が制定された。
こうして国際翼保有者登録機関(IROW:アイロウ)が設立されて25年がたとうとしている。
当初、翼が発現するのは100万人に1人程度と言われていた。
登録制度に対する批判はずっと続いているが、なにせ、当事者のウィンガーが圧倒的に少ないことで、それらの意見は大きな声にはなっていない。
だが、一般の人々の知らないところで、静かに彼らの世界は動いていた。
静かな湖面の水底で、熾烈な生存競争が行われているように、雲ひとつない空の彼方で嵐の源が生じているように・・
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