第2話
「夢じゃなくて希望? それで今度は小説家? あいつ一体何を考えているんだ?」
脩一は夕食を食べながら信じられないという顔をした。
「たぶん何も考えていないと思う。夢はなくても生きられるけど希望はないと生きられない、とか何とか言っていたわ」
「まったく年々訳わからんヤツに変化していくな。これでまた一年婚期が延びたってことか……」
「一年どころか永遠ってことも無きにしも非ず。いつか老体になって行く当てもなく、コロコロここに転がり込んで来るのよ。あぁ、そうならないように早くなんとかしてもらわないと」
「でも、まぁ、よかったじゃないか。今回は韓国やドイツまでつきあわなくてもよさそうだし。勝手に小説家養成講座でもなんでも行けばいいさ。俺はもう花子のことはあきらめたからな」
「あきらめるって自分の妹じゃない。それにいまどきのアラサーは、ダイヤモンドでいうなれば、一番美しカットされ、超ピカピカに磨かれ、まさに売り時の状態よ。旬よ旬!」
加奈子はミロのビーナスのように魅惑的なポーズをした。独身時代、雑誌モデルをしていただけあって、その動きに無駄はなかった。
脩一は花子だけでなくおまえも充分ヘンだぞと言いたげな視線を苦笑いと共に加奈子に送った。
「旬かぁ。よし、わかった。花子は俺の妹以上にきみの大親友だからな。よろしく頼む。花子の希望を成就させてやってくれ。言っておくが、あいつ文才ゼロだからな。小説家養成講座に行っても作文すら書けないと思う。脳みそ全部数学に持っていかれたんだ。哀れな女よ」
「そうだよね。花子の文章って時々理解に苦しむもの。さすがに小説家養成講座に一緒に行こうとは言われないと思うけど、なんていうか、今回もなんだか嫌な予感がするのよね……」
加奈子は、哀れな女よと言いながら内心楽しんでいる様子の脩一を尻目に、数時間前に見た花子の希望に満ちた顔を思い浮かべた。
その嫌な予感は、数日後、花子からの意味不明なメッセージと共に的中した。
『第1回小説家養成講座=ガイダンスと自己紹介♪ オンライン明日夜8時スタート♪ 30分前に来れるよね? 白いシーツがないから持参すること♪ 楽しみだね~♪』
どんだけ楽しいんだというメッセージだった。楽しみだね~♪って、私はそんなに楽しくないよ!と思わず口をついて出たが、裏腹に、たしか新品の白いシーツがあったよねと、急いでクローゼットに確かめに行った。
なんだかんだと言って、加奈子はすでに行く気満々なのだ。
「H.Kについて調査したら、彼、突拍子もないことが好きなんだって。それと銀座のクラブも大好き。毎夜出没だって。出会いって第一印象で90%決まるっていうじゃない。最初が肝心。今夜はできる限りH.Kの好みに合わせて、彼の脳裏に私を映像として残そうと思ってるの! 戦略よ。えっ戦術? えっ? どっちの言葉が正しいの?」
夜七時半きっかりに花子を訪れた加奈子は、玄関に入るなり早口に捲くし立てる花子の盛り盛りの髪型に驚いて一歩引いた。化粧も銀座のママ風だ。確かにインパクトある第一印象には違いない。
ちなみに「H.K」とは小説家養成講座の講師である小説家の愛称だ。売れっ子作家で読者層も厚く、若いファンがたくさんいると愛称までもらえるから小説界も進化している。H.Kのような鬼才な小説家を純粋に目指して、今夜の講座には有望卵たちがうようよ参加するのだろう。よこしまな花子を除いては――
加奈子は目を丸くしたまま言葉に窮し、「はい、これ」とぶっきらぼうに花子に白いシーツを渡した。
「あっ、これは加奈子のよ。もう時間がないから、早く着替えて!」
花子はシーツを押し返した。
「着替える? どういうこと?」
「言わなかったっけ? こんな感じで私の後ろで立っていてくれればいいの。加奈子は何もしなくていいのよ。ただ突っ立っているだけ。だから大丈夫!」
花子はスマホ画面を加奈子に見せた。そこには美しいミロのビーナスが映っていた。
「ええっ! 大丈夫って、ぜんぜん大丈夫じゃないわよ! こんな露な格好! それにこれがどんな意味があるのよ?」
「さっきも言ったじゃない。H.Kって突拍子もないことが好きなのよ。心は少年なの。生きていそうで今にも動きだしそうな等身大のビーナスが置いてあったらどう思う? きっとゾクゾクすると思うの。まばたきはOKよ。だって、そうでしょ? 置物がまばたきしたら、あれっ? 今のはなんだ? って、釘づけになるわ。私、保証するから」
保証するって、私に釘づけになってどうするんだと加奈子は思ったが、とにかく全力で協力してこれが最後にしようと思った。今度こそ、花子の恋を成就させてお嫁に行かせるのだ。H.Kは数年前に離婚し傷心時期を過ごしていたという。有名人には変わりないが、現実味があり今までの中では一番可能性を秘めている。
加奈子にとってもH.Kは希望の星だ。
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