乾杯
「19時から2名で予約していた高橋あずさです。1人は後から来ます」
「はいお待ちしておりましたー、2名様でご予約の高橋様ご来店ですっ!」
ただでさえ騒がしい店内に店員たちの声が鳴り響く。この光景を見るたびに、居酒屋でバイトするのは絶対に無理だなと思う。こんな大音量の雑音を何時間も聞き続けて仕事をしなければいけない環境なんて気が狂いそうだ。
「お席こちらにどうぞー」
そう言われて奥の方のテーブル席に通された。周囲を見ると、あちこちのテーブルに大学生らしきグループがいる。火曜日なのにと思ったが、大学生にとってお酒を飲むのに曜日は関係ないことを思い出した。音大はほとんどの生徒が女子だったし、大学の友達にお酒を飲める人が少なかったこともあって、大学生のときに居酒屋に行くことはほとんどなかったけど。
さっき買ったタバコを開けて火をつけようとしたとき、森田が店員に連れられてやってきた。グレーのスウェットパーカーに細身のダメージジーンズ、おまけに無精髭まで生やしている。この前よりさらに伸びた髪は後ろでざっくりと一つに束ねられていた。手入れされたブランド物のスニーカーが足元で不釣り合いに光っている。いかにも職質されそうな格好で思わず笑いそうになった。
「お疲れー。寝起きでしょあんた」
そう言うと森田は少し気まずそうにニヤッと笑った。
「いやー夜勤明けなんすわー」
どうやら、寝ているかもしれないという推測は部分的に正しかったようだ。
「まあそんなことだろうと思ってたけど。生でいい?」
「おー」
森田は席に座ると、ポケットからタバコとライターを取り出した。私は生ビール2つと軟骨の唐揚げを注文した。
「でも久しぶりよねー、あんたと歩美が別れて以来だから3年ぐらい?」
「あー……あいつ元気?」
歩美の名前を出すと、森田は急に真顔になった。
「結婚したって。会社の先輩だってさ」
歩美から結婚報告と結婚式に招待するLINEが来たのは今月のはじめだった。Facebookには眼鏡をかけた真面目そうな男性とのツーショットが投稿されていて、会社の同僚らしき人たちからの祝福コメントが溢れていた。
「おーそっか……おめでとうって伝えといてくれよ、うん」
ちょっとイジってやろうというぐらいの気持ちで歩美の話題を出したのに、思ったより落ち込まれてしまって調子が狂う。
「えーっと……なんかごめん、そこまで引きずってると思わなかったから」
「いや引きずってるわけじゃねーよ。でも元カノが結婚するってさ、やっぱこう、色々思うところあるじゃん」
「そういうもんなの?私にはよくわかんないけど」
もし洋平が結婚していたら、と考えてみたけど、特に何の感慨もわかなかった。そもそも別れた時に全ての連絡手段を絶っているから、今あいつが何をしているかは人から聞かない限りわからないし、わざわざ私から聞く気もない。
「お待たせしましたー、生ビールでーす」
気まずい沈黙が流れそうになった瞬間、店員がジョッキを2つ運んできた。
「まず乾杯しよ。積もる話はそれから!」
なんとか空気を変えたくて、私は無理矢理テンションを上げてそう言った。森田は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐにニヤッと笑ってジョッキを手に取った。
「おー、辛いことは酒で流すぞー」
「やっぱ引きずってるじゃん!」
私の笑い声と同時にジョッキがぶつかる音が鳴った。
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