第9話
「…ストーカーですか?」
コミックス担当の山田先輩が低い声で呟く。
「そうなんだよね。だから
「なんでそんな」
いのるは火山が噴火するように顔を真っ赤にして握りこぶしに力をこめる。
「まあ、接客業だからいろんなお客さんがいるんだよね、毎日仕事中に必要のないことを話しかけて来たり。線引きが難しいところではあるんだけど、仕事が終わってるのに話しかけてきたのがかなり精神的に参ったみたいで昨日電話で相談されてね」
「前から、気に入った子をみつけてはしょっちゅう話しかける人でね、辞めた子も何人かいるんだよね。常連さんだし本も買ってくれるからミミさんもめんどくさいお客さんだってことは分かって対応していた。僕と霜村副店長も気を付けてはいたんだけど。」
「昨日のあいつが…」
「ミミさん…」
八ヶ岳店長の話を聞いたいのると並んだ
いのるは対人関係は得意ではないけれど本がだいすき、その本をだいすきなお客様もだいすき、その本屋さんで働く従業員もだいすきだ。だけど、ミミさんの嫌がることをお客様がするなんて、いのるは混乱していた。
「もしも耳田さんのことを聞かれても詳しく話さないでもらえるかな」
「はい…」
「そいつ、悪いことしてるってわかってるんですか」
「ええ?」
いのるが感情のままに言葉をぶつけたので八ヶ岳店長は驚いてしまった。
「だって、そいつのせいでミミさん困ってるんでしょ、なんとかできないんですか」
「それはね…」
「警察にいっちゃだめなんですか?」
「いや、まだ何か起きたわけじゃないからね」
「何か起きてからじゃ遅いんですよ!!ミミさんこれなくなっちゃったじゃないですか!!」
「まるちゃん、落ち着こう」
「だって…だってさぁ」
「このことは僕と霜村副店長に任せてください。君たちはいつもどおりの仕事をすること、何か困ったことが合ったらすぐに相談すること。わかりましたね?」
たんたんと話す八ヶ岳店長にも、冷静にボクを諭す浜瀬にもなんだかイライラした。だけど自分自身に一番イライラしていた。昨日も今までもずっと一緒に仕事していたのにミミさんが困ってたことをなにひとつわからなかったんだ。悔しい。
「じゃあ今日も1日よろしくお願いします」
「おねがいします」
いのる、浜瀬、山田は重たい空気のまま仕事にとりかかった。
女性誌の発売日にミミさんがいないなんて…いのるは、大きくなっていく不安をどうすればいいのかわからないでいた。
「まるちゃん」
浜瀬が小さな声で言った。
「私も悔しいよ。でも、ミミさんが戻ってきたとき、めちゃめちゃなお店にしてたらぶっとばされるよ」
いつも優しくておだやかな浜瀬が笑っていない顔をしていた。浜瀬だって辛いんだ。ボクもボクができることをやらなきゃいけない。
「…うん、浜瀬、ありがとう」
しっかりしなくちゃ。八ヶ岳店長が付録付けしてくれてる、そうだ、ミミさんが守ってた店をボクたちで守るんだ。
「開店します」山田先輩の低い声がお店に響いた。「いらっしゃいませ」
なんども、なんども繰り返してきた言葉だ「いらっしゃいませ」はじめてお店に立った日よりも声が震える。しっかりしろ。顔をあげろ。いのるはいままでどんなに店長や副店長に怒られても泣くことはなかったけれど、だいすきなお店が、いのるの視界がはじめて揺らいでいた。負けるな。泣くな。
「おい」
振り返ると、あの小さいおっさんがいた。
「なんか今日は店内汚くないか」
無視…?無視していいのか?話していいのか?怒りが湧き上がる。
「今日は女性誌の発売日だから耳田さん忙しいんだろうね、そんなときはいつも輝いているんだよなあの人は」
…こいつ、そんなことまで覚えてるのか。私はこいつの顔、全然覚えていなかったぞ。何回くらいこの店に来てたんだ。何回ミミさんに話しかけたんだ。
「あれ?耳田さん裏にいるの?今日は付録付け店長さんなんだ」
なんでこいつ…ミミさんのシフト分かってるんだ…
「耳田さん今日休み?」
…こいつっ
「まるちゃん、ちょっと」
浜瀬がいのるのこぶしを引っぱった。
「すみません、失礼します」
浜瀬があいつに一礼してボクの手を握ったままとことこと、レジにつれていく。浜瀬の手が震えていた。
「八ヶ岳店長付録付けまるちゃんと交代お願いします、あのお客さん来てます」
「ああ、分かった。ありがとうあのお客さんの接客は僕がやるから」
「はい」
天気がいいせいか、店内はいつもよりもお客さんが多く、浜瀬も山田先輩もボクもいつの間にかいつもの業務であわただしくてあいつの存在なんかすぐに忘れてしまった。あっという間に就業時間が終わって、八ヶ岳店長があいつにどんな接客をしたのかもわからないままボクはバックヤードにいた。なんだかとても疲れた。いつも怒られることはたくさんあったけど、お店の中で怒ったりなんて感情あまり起きることはなかった。
「浜瀬、疲れたねー」
「ふふ、そうだね、まるちゃん拳骨作って今にも殴りかかりそうでびっくりしたよ」
いつもの優しい浜瀬だった。浜瀬だって悔しいのに、こんなに落ち着いてて偉いなぁ。
「浜瀬、ほんとに僕よりひとつ年下ですか?」
「いちおーね、嘘はついていません」
「強いなぁ」
「強くないよ」
「でもボクよりも大人だと思う」
「そんなことないよ」
ふと、浜瀬の顔を見ると浜瀬は天井をぽかんと見上げていた。
「浜瀬?」
「帰ろう」
「うん」
「おつかれさまでした」
遅番の霜村副店長に挨拶をしてボクたちはお店をあとにした。それから1週間、ミミさんのいない毎日、あいつは私にさんざん愚痴をこぼしていった。私はそれを耐えるか耐えられないかの時にいつだって浜瀬が現れて私の拳を止めるように手を引いてくれた。ああ、ボクは子どもだなぁ。浜瀬は大人だなぁ、そんな風に思っていた。
1週間後、ミミさんがお店に戻ってきてくれた日、ボクは優しくて周りのことを考えて行動してくれる浜瀬がこんなふうになるなんて思いもしなかった。ボクはただ自分の感情を抑えることばっかり必死になって、ほんとうにやるべきことが何一つわかんなかったんだ。
浜瀬、ごめん。
浜瀬、ボクは一体どうしたらよかったんだろう。
浜瀬のために、ミミさんのために、あの日、いったい何が出来たんだろう。
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