第7話

達熊たちくまさんの担当は文庫だ。文庫は棚も多いし、新刊も多いし、ジャンルも客層も幅広くてボクにはさっぱりわからない。


いのるが入荷したばかりの本の箱開けをひと段落させて、品出し前の店内巡回していた時のことだ。


「あのぉ、おじょうちゃん、教えてくれるかい」

「はい」


振り返ると70代といったところかハンチングをかぶった初老の紳士が杖をついて立っていた。はじめてみるお客さんだなぁといのるは思う。


「佐白先生の新刊はでたかい?」

「さしろせんせいですか?」

「ああ、佐白泰秋先生だ。居眠り観音や酔いどれ小千治をあんたしらないわけじゃないだろう」

「・・・・」


知らぬ。存ぜぬ。わかりません。しかし、しらないわけじゃないだろうと言われて、はい、知りませんと言えるボクではないぞ。

「調べますのでおまちください」


とりあえず、名前で検索をかけるか。さ、し、ろ、や、す、あ、き。

読み込み中・・・・・でた。


作者、佐白泰秋…作品名、飛燕ノ辻、寒霞ノ坂、花房ノ海、柳天ノ門、雷華の里、雪降ノ山、九火ノ杜、朔風ノ崖、近霞ノ峠、夜虹ノ島、睦月ノ橋、深海ノ家、残華ノ庭、夏鶯ノ道、轢雨ノ町、蛍火ノ山、紅椿ノ蟹、捨雛ノ沢、梅雨ノ蛾、野分ノ楠、鰯雲ノ城、静波ノ津、千両ノ雪、朧夜ノ桃、黒桐ノ夢、柘榴の蠅、冬桜ノ鵯、鋼位ノ鷹、孤惚ノ春、小張ノ夏、老捨ノ郷、奇異ノ変、一矢ノ妙、東雲ノ倉、秋想ノ方、春霞ノ輪、傘下ノ刻、木端ノ賊、徒然ノ光、湯銭ノ罠、空蝉ノ無、夕張ノ月、失意ノ人、穀鶴ノ紅、伊地ノ妾、竹屋ノ弩、旅立ノ明…


なん…だと…作品数が、多い…漢字が多い…

今目に入ったもの以外にも画面をスクロールすると違う系統のタイトルがずらりとならんでいる。出版社も、文春文庫、新潮文庫、光文文庫、講談社文庫、角川春樹文庫、祥伝社文庫…文庫の配列とは書店によってさまざまであり、作家別に並んでいる場合や、出版社さらに作家別になっていることもある。うちの棚は後者であり、この作品数のなかから、ここ一ヶ月以内に出版された作品のタイトルをチェックして棚から引きずりだせばいいのだ。えっと・・・


発売日2011.6は…これと…これ…こ、れ…これ?

なんで4つも一気に出てるんだ、ゴーストかゴーストが何人もいらっしゃるのか筆が早すぎる作家さんでいますよね。東野さんとか森さんとかそういう事なのか…。つまり新作は、新潮と講談と文春と祥伝社のこれとあれとそれとタイトルが…えっと、メモメモ…在庫…


「おじょうさん、だいじょうぶかい?汗だくだが、熱いのかい?」

「はい!在庫を確認してまいりますので少々お待ちください!」


いのるは在庫を一冊ずつ棚から取っていく、あれ、これだけない。ななな、なんでだ在庫いっぱいあったのに平置きされていない、えっと…新刊だからエンド?ない…なんで…いのるは頭が真っ白になっていた。


「まるさん、もどりましたよ」

と、そこに現れたのは休憩から戻ってきた文庫担当の達熊さんだった。

「ああああ、達さん、この文庫だけ見つからなくてどうしたんでしょう在庫53て出るんですがぁっ」

「?」

達熊さんはいのるのメモをのぞき込むと細い眼をさらに細めて、ああ、こちらですねと振り返って違う棚に向かった。いのるは達熊さんの背中を追いかけた。


「そちらでしたら現在映画化していますから、映像化コーナーにならんでいます」


そうだった、アニメや映画、ドラマの原作関連本は特設の棚が設置してある。普段絵本の棚ばかりを縄張りとしているいのるも、12月にジャッキーのクリスマス映画がでたときに本を置いていたじゃないか、すっかり忘れていた。

「達さんありがとうございます!!」


だいぶ待たせてしまった、いのるは焦りながらおじいさんの方へ急いだ。

と、棚の影から突然現れた人にぶつかってしまった。


「う」

「あ」

ドン

いたたたた、尻もちをついたいのるは散らばった本を急いで拾う、ああ、本があ、

「おい、いってえなあ、本屋なんだから急いで歩いたりしたら危ないだろう店員なんだから気をつけろよ」

「すみませんすみませんでした、急いでますのででは」

「おい、なんだよちゃんと謝れよ」

「いや、こっちのお客様が先なのであとで謝ります」

「なんだと、こいつ馬鹿にしてんのか」

「あっちでお客さまを待たせてますから」

「はあ!」


すっと達熊さんが現れる。

「お客様申し訳ありません。うちの従業員がご迷惑をおかけしましたか。」

「いや、あいつ」

「あの子は、なかなか悪気はないのですがどうも周りが見えなくなっちゃう性格なもので、失礼なことをすぐに言ってしまうんです。ほんとうに私たちも困っているんですよねぇ。」

「ほんとだよまったく」

「ところでお怪我はありませんでしたか?」

物腰のやわらかい達熊さんはお客さんの話を「ええ、ええ、そうですねえ」と聞きながらいのるのそっとその場から離れさせた。いのるには文庫のことであたまがいっぱいだった。


「おまたせしましたっ」

「・・・・・・」

む、無言…待たせすぎて怒ってしまわれたのだろうか…

「お客さま、遅くなってしまいすみません、あの…」

「・・・・んご・・」

ん?

「…んぐぐ…ぷすー…」

あ、おじいちゃん、座ったまま寝てる…よかったぁ怒ってなくて。

「あのーおじいちゃーん、本どれかみてくださーい」

いのるはおじいちゃんの肩をポンポンと叩いておじいちゃんを起こした。


「…あっ、すまねぇすまねぇ、本屋さんってのは静かで気持ちがいいもんだねぇ」

「最近出たのは、これとこれとこれと、これが映画になったやつで…」

「ちょっとみせてくれるかい?」

「あ、はい」


おじいちゃんは4冊すべて数ページ見ると、この2冊は持っとる奴だ。娘が買ってきてくれたんだ、これとこれをくれるかい?と2冊を差し出した。

「はい、お会計はこちらでお願いします」いのるはレジカウンターに案内するとおじいさんはゆっくりと杖をつきながら歩いた。

「おじょうさんは、若いのに一生懸命でえらいなぁ、孫娘をみているようだよ」

「そうですか、ありがとうございます」

いのるは問い合わせ業務は苦手だった。臨機応変という言葉が苦手で失敗してしまうことが多いからだ。たまにはうまくいくこともあるんだなといのるは思った。お客様がみんなおじいちゃんみたいに優しい人だったら楽なのになぁと考えてしまう。

「お待たせいたしまた」清算をしていのるは商品を渡した。

「ありがとうございます」片手に杖、片手に本の袋を持つおじいちゃんを見送った。


ほっと、した。

「まるさん」

「あ、達さん」

「・・・・・」

ん…?眉間にしわが…


「文庫、ご案内うまくいきましたね。おめでとうございます」細い眼をさらに細めて達熊さんはにっこりと笑った。

「あ、ありがとうございます」

「でも、店内はゆっくり歩いてくださいね」

「あ、はい」

さっきなにか問題があったような。なにかを忘れている気がしたけど、なんだったかな…?ま、いいか。


「Do you have this book? 」

「ふぇっ」

ええええ、英語だぁ外人さんだあ。いのるは英語ができない。

「sure」

達熊さんは外人さんをすっと連れていってしまった。

…達熊さんは英語がぺらぺらだ。どこかのホテルのフロントやっていたとか、世界を放浪していたとか、噂だけど。よし、困ったときはすぐに達熊さんを呼ぼうと、さっき人にぶつかったことなど頭の中からすっとんだいのるは達熊さんの立ち振る舞いに感心していた。


達熊さんは、いのるになにを伝えるべきか伝えるほどの事でもないというとをよくわかっているようだった。いのるにとっては毎日がこんな風に大事なことと大事じゃないことでできていて、大事じゃないことはいつだって頭の中からなくなってしまうことが多かった。





だけど、主要人物ではない誰かの世界はどこかで繋がっていて、いのるの視界に入らないだけで、その存在は消えない。見える人にはずっと見えていることにも気が付かないいのるだった。















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