第4話

「三ノ國屋みのくにや?」

「そう。三ノ國屋書店」

「そこで働いていたの?」

「そう、ちょっとの間だけだけど」

「なんで辞めちゃったの?」

「・・・まるちゃんよ、空気の読めるいい大人はド直球で、なんで辞めたのかと聞いたりしないんだよ」

「ふぇっ」

「わたしは、まるちゃんに聞かれるくらいは平気だけど。」

「ふぉー、分かった。聞かなかったことにする」

「ふふふ。」


過去に三ノ國屋書店で少しだけ働いていたという浜瀬はませあずきは、この書店ではボクの数少ない後輩にあたる。浜瀬の年齢は一つ下だけどボクよりもぜんぜん性格も口調も落ち着いていて親近感はあるもののあまりドジっ子的な年下要素はかんじられない。が、なんとなく話しやすくてボクの数少ない友達になりつつある気がしている。


これといった原因は見つからないんだけどボクは時々意図せずして人を怒らせる。そういうとき浜瀬は、ボクはいつだって真摯に対応しているつもりなんだけど、たまたま出会ってしまった怒りっぽいお客さまに口を滑らせて逆鱗にふれたときすら、ボクは店員という弱い立場をかえりみず、正しいことは胡麻化さずちゃんと相手に伝えるべきだと思って行動する。売り言葉に買い言葉を湧き上がる生存本能と言えなくもない。

そのボクを穏やかな言葉を巧みにつかって宥めてくれる貴重な存在が、浜瀬だ。

八ヶ岳店長や霜村副店長からお客さまに対しての言葉使いや態度をたしなめられそうになるときがある。そんなときもボクは負けない。


だって本の上にスーパーの買い物袋を置いて立ち読みをするお客さまに「やめてください」と伝えることのなにがいけないのかわからない。八ヶ岳店長も霜村副店長も、「どうしてきみはそんなにお客さまに突っかかっていくのかなぁ」とか言うけれど。言うべきことを言って何がいけないのと思うんだ。仕事終わりの激おこプンプン丸のボクに「ちょっとちょっと、まるさま」と帰りにスタバに誘ってくれる。そんなとき浜瀬はこう言う。


「スーパーの袋を置かないでと言う事は悪いことではないよ。ただ、伝え方は大事だよね。」

「でも」

「うん。まるちゃんが怒るのも分かるけど、聞いてほしいな。」

「…うん」

「いま、私が話してるみたいに、人にこうしてほしいって伝えるときは怒ったり、相手に敵だと思わせたら相手は言うことを聞いてはくれないんだ。まるちゃんは、お客さまに怒りたかった?それとも、ただスーパーの袋を本の上に置いてほしくなかった?どっちかな?」

「置いてほしくなかった…怒りたいわけではなかった」

「でも、見てたらイラっとしちゃったんだよね?」

「…うん、本はボクの大事なものだから」

「わかるわかる、まるちゃんはすごい本を大事に思ってるよね。シュリンクも奇麗にかけるようにしてるし」

「えへへ」

「じゃあ、まるちゃんは、八ヶ岳店長や霜村副店長になんでそんな言い方するの!相手のことを考えてっていつもいってるでしょ!って怒られるみたいに言われるのと、こうやって私が説明するのどっちが聞きやすい?」

「浜瀬の方」

「うん。人ってさ、まるちゃんだけじゃなく誰だって、きつい口調で言われたり、命令されてるような気になると正しいことを言われても、その人の言うことを聞きたくなくなるんだよね。逆に難しくなっちゃう」

「うん」

「だから、自分が本当に相手にしてほしいことがあったら、自分の怒りとかはなるべく抑えて、お願いしたり、こういう方法はどうでしょう、と提案してみるんだ」

「提案?」

「たとえばさ、相手がちょっとご高齢でスーパーの袋を腕にかけながら本を探すのが難しいとする。それなら、うちのお店は腰かけられるフリースペースがいくつかあるでしょ。」

浜瀬はスタバのカウンターからお店のフリースペースを指さした。駅直結の商業施設の中にあるうちの店舗は、電車の時間調整や待ち合わせのお客さまも多く、本を買う前に数冊ずつならもっていって読んでもいいですよ、というルールで使える席がいくつかあった。今も、買い物に来たけど子どもに振り回されて疲れたであろうお母さんが一休みしている。


「そこで、提案してあげるのさ。お客さま、当店ではあちらの席に本を持って行ってごゆっくりお選びいただけます。本を戻すのが大変でしたら、カウンターにお持ちいただければ書店員がもどします。お荷物も多いようですので、良ければご利用ください。ですが、本の上にお荷物を置かれますと置き忘れや置き引きの原因にもなりますので。ご注意ください。」

「ぉおお」

「そういう言い方はどうかな?言い方はまるちゃんの言いやすい言葉でいいんだけど、ボク怒ってるよ!っていうのはなるべく抑えた方がお客さまはまるちゃんの止めてほしいことをやめてくれると思うし、まるちゃんもお客さまも嫌な気持ちになるのは嫌だよね」

「たしかにそうだ!」

「・・・わかってもらえれば嬉しいです」

「浜瀬はすごいねぇ。なんでそういう人のことがわかるの?ボクの考えてることとかさぁ」

「うーん、なんでだろうね・・・まるちゃんのこと、嫌いじゃないからかな」

「ボクのことすきだってことかぁ。ありがと!ボクも浜瀬すきだ!」

「あはは。ありがとう、まるちゃん」



三ノ國屋みのくにや書店、その名前なら地方の人間でも聞いたことくらいあるとは思う。全国にある大手書店だ。そこに、浜瀬はフルタイムの契約社員として数か月だけ採用されて辞めていた。

大手の書店だからと言って難しい筆記テストがあるわけでもないし所詮はただのアルバイトだよ、と浜瀬は困ったような顔で笑っていた。


いのるにとっては、契約社員もパートもフルタイムも違いが分からなかった。フルタイムより短い時間で働く人がパートタイム。正社員は契約更新のない社員。契約社員は定期的に契約の更新をするという契約の社員。普通の賃貸か、定期借家か、みたいなことではないのだろうか。でも、浜瀬は優しいし、言葉を伝えるのもうまいし、ボクの気が付かないことによく気がつく。大きな書店で働いていたならどうして辞める必要があったのかなぁ。すごいムカつく上司がいたとか?


うーん、わからない。でも、浜瀬がそこを辞めてうちに来てくれてよかった。だって、ボクは浜瀬と話しているとすごく落ち着くし。優しい浜瀬が大好きだ。これからも一緒に仕事をしたり、こうやって一緒に抹茶フラペチーノを飲んだりしたい。こういう友達はあまりできないから、とても楽しい。ボクいま、とても充実している。



「じゃあ、また」

「うん、浜瀬。バイバイ。ありがとう。また話しようね。またねー」



いつまでも手を振るいのるを、浜瀬はもういいから帰っていいよ、まわりがみえているのかなぁ、ほら人とぶつかるよ、といつまでも心配しながら帰っていった。

浜瀬はいいやつだなぁ。八ヶ岳店長と霜村副店長ももうちょっとボクにわかるように伝えてくれればいいのに。



あれ、また小さな人影が、植木の後ろに隠れたような気がした。こないだ棚の向こうに見えていたのは気のせいではなかったのかな。マスクと前髪では隠しきれないボクの美少女感にとうとう人類の中にファンが生まれてしまったのか?!罪なやつだな、ボクは。

「なんて冗談言ってないでボクもさっさと帰ろー」







あのとき、ボクが気づいたことに、すこしでも危機感を持てる性格だったら。

もっとボクが、いろんなことを考えられる人間だったなら、この先に起こる出来事を止められたのかな・・・


もっと、こうしたら、もっとああだったなら。言い出したらきりがない。


未来のことなんてだれにもわかるわけがなかった



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