第3話
「おつかれさまでした。お先に失礼します」
「おつかれー」
デスクでパソコンとにらめっこしながら販促物の確認をしている
ボクが基本でている朝番のシフトは9時から17時。騎士と言う意味ではなく夜の方の、「ナイト」と呼ばれる夜番は17時から22時の短時間。そのほかに10時から14時、15時までの主婦の方が多いパートの時間もある。
客注のプロフェッショナル
定期的に届く雑誌の注文も客注の大事なカテゴリーの一つだ。新年度近くになると、NHKの番組で使うテキストの注文が良く入る。今年は基礎英語を、今年はハングル語を、いやいや手話にしよう、などもちろん書店に並ぶものなのだが、定期の注文さえしておけばうっかり買い忘れたり、売り切れてしまったりということがない。
定期注文の入る雑誌はテキストだけではなく、ディアゴスティーニという、ヨーロッパの紅茶かもしくは正統な魔王の血を継ぐ始祖の末裔、黒目黒髪ゴスロリ風の制服を身にまとう主人公のライバルに匹敵するような人気キャラなのか!とつっこみたくなる豪華絢爛な名前をもつ出版社はコアな客層に毎号素晴らしい付録が付くのだと豪語し、その内容たるやなんだ全くのファン層ではないボクからしたら、この部品は戦艦なんとかの舟艇の一部のなにかしらのパイプ…だと…?
ガタガタと震えだす手の暗黒の力の揺れを抑えながらひたすら驚嘆するしかないような素材を、最後まで集めきらなければなんの役にも立たない、この出版社が「本作って売る商売」でありながらむしろ「付録本体に薄い小冊子をつけてを売る」ことに気づいた者たちの「付録とはなんなのか」「本とはなんなのか」というむしろ哲学的ない問いであり、や、なんならそれらを2年近くかけてひたすら収集するという忍耐とこの長い試練に耐えうるM的な性癖をもつ方たちにクリティカルヒットしたことは事実であり、衰退する出版業界で進撃を続ける出版社のひとつであることは間違いないと言えよう。そう、その出版社の名は、ディ、ディ、ディアゴスティーニ。
雑誌よりも漫画や小説ばかりを読むボクとしては、本屋の「本を売る」ということの許容の広さに驚きを隠せない。いや、毎週雑誌を読むのではなく、新刊コミックスを待ち続け、10年たっても終わらない漫画の中からいまだ心を引き離せないでいるボクこそがドMであることに間違いはない。
そして、この付録雑誌の客注においてもっとも難儀するところは、その薄い冊子や中身や付録の厚みの対比など全く非ではなくが。ときには一号の厚みが「きさまは広辞苑か?!」と言わんばかりの幅であるにもかかわらず、いや重さとしては広辞苑の1000分の1にも満たないが。そう問題は深く、もっと遠くにある。
そそそそれはお客さまがぁ・・・毎月書店に届くこの客注の商品を・・・ま、まさか、そう・・・もうなんとなくご理解いただける方もいらっしゃるだろう・・・そのまさかなのだ。
半年以上も書店に取りにいらっしゃらないと言うことだ。
いや、いかなる理由もお客さまに問いてはならない。そこに、どんな、理由があろうがなかろうが、この一冊の売り上げが書店の経営を救っているのだから。感謝しなくてはならないのが書店員の気持ちといえよう。だが・・・
帰りがけ、レジカウンターに寄って買いたかった漫画の清算をする。タイムカードも切っているのでお客さんに紛れて素知らぬ顔で並ぶ。
「お次のお客様どうぞー」
ボクの対応してくれたのは
「お願いします」
「カバーおかけしますか?」
「あ、大丈夫です」
「初回限定のミニペーパーついてますねぇ」
「あ、山田さんが昨日必死にはさんでましたね」
と小さな声で従業員同士のささやかな日常会話をする。おはよう、こんばんは、よりも自然なやりとりなのである。こんなのもレジがすいているときだけだが。
「あ、そういえば連絡ノートに「たっちー本、届いてます」って書いたんですけど、達熊さんの注文していた時代小説、客注の棚の一番端においてあるんですけど、文庫だから他の本に隠れて見えにくいかもです」
ん?と熊川さんは細い眼をカッと見開いて客注の棚のドアをパカッと開ける、カウンター越しにのぞくとお客様の苗字あいうえお順にキレイに本が並んでいるのだが・・・ディアボス、いやディアゴスティーニのお客さまご来店待ちの商品が半分近くその棚を埋めている。あは。外から見ても幅取ってるぅ。
背表紙を見る限りでは、もはや本ではなく、あれは凶器か・・・いやいや。これはお客さまへの悪口ではないぞ。そういう風に考えてはいけない。これは本を放置されてるのではなく、お客様はそういう生活サイクルで、まとめて取りに来るだけなんだから。なにが悪いと言うなら小さすぎるこの棚が悪いんだな。
お。と達熊さんが文庫を見つけて嬉しそうにこちらに、にこりと合図した。もどった達熊さんは秒でお会計を済ませる。
「おつかれさまです」
「おつかれさまです」
さあ、今日も一日よく働いた。買ったばかりの漫画を抱きしめる。なんだか胸が暖かい。楽しみで一日立ちっぱなしだった足が軽くなる。お店を出る直前ふと振り返ると、小さな影が棚の影に隠れたような気がした。視線?いや、気のせいかな。
達熊さんは心なしかさっきよりもほくほくとした顔で仕事をしている。そうだよね、わかるなぁ。待っていた時の本を手に入れたときのこの胸の高鳴り。きっとボクもいま、ほかの人が見たらあんなふうに幸せな表情でいるのかもしれない。マスクの下で口角がにやけるんだもんな。
書店の前のスタバが学校帰りの女子高生や会社帰りのOLさんで賑わっている。
新作さくらフラペチーノ。看板は華やかだけど、桜の香りではなく入れたての珈琲の「いい香り」がボクの身体にまとわりついた。足が止まる。
あの、スタバのガラスの前に誰かが立っていたことを思い出す。
いのる
いのる今終わった?一緒に帰る?
ほら おいで
あれ、ボク・・・誰かを待たせていたのだった?
涙が知らないうちに目から落ちていた。
ボクの方に差し出されたあの大きな手を、ボクはつかんだのだろうか
記憶はスタバの珈琲の香りとともに消えた
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