10年前に戻ってからのテスト ②
みっちり三時間。図書館で集中して勉強に取り組むと、気づけば閉館時間になっており、追い出されるように外に出た。
外に出ると、随分と外が暗くなっていることに驚いた。
よく考えてみればもうすでに時間は午後八時過ぎ。暗くなって当たり前だった。
今日は一段と明るく感じる月明かりが自転車を押して歩く俺とゆいを優しく照らしている。
家への道は川の堤防沿いを行くのが一番の近道なのだが、川沿いは随分と夜風が強くビューっと夜風が吹き抜けていき俺は思わず体を震わせた。
「すみません。わたしのせいで」
隣を歩くゆいが申し訳なさげにうつむいた。
「気にすんなよ。別にお前が悪いわけじゃないんだし」
現在、夜道の中二人とも自転車があるにも関わらず、わざわざ自転車を押して歩いているのは帰宅途中でゆいの自転車のタイヤがパンクしたからだ。
途中まで、普通に運転できていたのだが、突然パンクしたのだから運がなかったとしか言いようがない。
「それでも、家までまだ結構距離ありますよね?」
「そうだな。あとちょうど三キロくらいか」
家まで駅まで自転車三十分。およそ六キロほどの距離。おそらくその半分くらいだから三キロだろうと目算できる。歩いてだと五十分くらいかかるだろうか。
現在午後八時過ぎくらいだから帰宅したときには九時を回っているだろう。
「やっぱり、先に行っても大丈夫ですよ。直人くんの自転車はどうもないじゃないですか」
「馬鹿。さすがに女の子を一人で帰らせたりできねえよ」
「えへへ、ありがとうございます。やっぱり直人くんは優しいですね?」
「いや、優しいとかじゃなくてだな……。お前を一人で返したら親父さんに何を言われるかわからないだろ」
ゆいの父親はもともと厳格なタイプで誰に対しても厳しいタイプの父親なのだが、俺に対してはより一層厳しく、目の敵にされているところがある。
俺がゆいを夜道を一人で帰らせたとなると叱られるどころじゃすまないのではないだろうか。
「……理由はお父さんなんですか?」
ゆいはなぜか不安げに顔色を曇らせて覗き込んでくる。
「ん? どういう意味だ?」
俺はゆいが言っている意味がいまいちわからず首を傾げた。
「いえ、その……なんでもないです」
「なんでもないならいいが……」
言いたくないなら言わなくてもいい。めちゃくちゃ気になるが、俺もゆいに隠し事をしているのだ。
その状態でゆいが誤魔化そうとしていることを無理に聞き出すのは悪い気がするから、仕方ない。
俺たちはそんな話をしながら夜の川辺を歩いていると、少し歩き疲れたという話になり、川辺の階段に腰かけて、少し休んでから帰ることにした。
リイリイリイと心地の良い虫の合唱が小さく響いている。
五月の初めということで春が終わりに差し掛かったとはいえ、まだまだ夏には遠い。空気が随分と涼しく、普段より澄(す)んでいて心地いい。
ふと、夜空を見上げると月があった。
とても明るい月だ。
欠けてるところなんか一つもなくて、近くに街灯はないのだが月明かりだけで十分に明るい感じれるくらい、煌煌と照らしている。
見ているだけで吸い込まれるような月に見入ってしまい、はあーっと感嘆の息を漏らした。
「綺麗だな、月」
俺がぼそっとそんなことをつぶやくと、ゆいは照れたように笑った。
「えへへ、また告白してくれるんですか?」
そう言われて一瞬何のことかわからなかったのだが、冷静に考えると俺が今何を言ったか気づいてしまう。
「ばっ!! ……ちげえよ……!」
夏目漱石が『I Love You』を『月が綺麗ですね』と訳したのは有名な話であり、もちろん俺も知っていた。
単純に思ったことを口に出しただけなのだと言い訳しようとするが、ゆいは子供のころからずっと変わらないいたずらを成功したように笑っている。
思いっきり動揺してしまったが、ゆいの様子をみるにどうやらからかってきているだけらしい。
俺は何とも恥ずかしくなって、目を逸らすと正面の月を眺め直した。
だが、視界の端(はし)でゆいが俺のことをじーっと見つめてくるのが分かって妙に照れくさい。
(ホ、ホントニツキキレイダナー)
そんな風に俺は見られているのに気づいていないふりをしてしばらく月に集中しているふりをしていると、
「ねえ、直人くん」
そう呼び掛けられて、ようやく彼女の顔を見ると、俺は思わず生唾をのんだ。
少し上気して赤みを帯びた頬。半開きになった口元。
ゆいはそんなうっとりとした蕩けた表情を浮かべて、
「キス、しませんか?」
ゆっくりと口を動かして言った。
「……はい?」
俺は驚いたように首を捻ったが、俺の目はゆいの桜色の唇にくぎ付けになって離れてくれない。
「……しないんですか?」
蕩けた表情のまま、もう我慢できないとでもゆいは俺の顔を寂しげにじっと見つめてくる。
そこからは体が勝手に動き、彼女の肩を優しくつかんで、ゆっくりと彼女の顔に近づけていく。
ゆいがすっと目を閉じて俺のキスを待っている。
長いまつげに、真っ白な肌を月明かりが優しく照らし、桜色をした綺麗な唇から目を離せない。
彼女の顔があまりにも綺麗すぎて、俺は少しの間、見惚れて顔を近づけるのを止めた。
プーン。
小さな蚊がそんな羽音を立てて、俺とゆいの顔の間をが通り過ぎていった。
その瞬間自分が何をしようとしているか気がつき、一瞬で我に返った。
俺は慌ててゆいから顔を距離をとった。
(……俺、今何しようとしてた???)
いつの間にかゆいの魅力に魅入られていて完全に正気じゃなかった。
まだ付き合っていないのに俺にキスする度胸なんてないはずなのに気が付けば体が動いていた。
「つ、付き合ってないのにキスはまずいだろ」
いや精神の年齢が25歳のくせに恋愛経験ほぼゼロの俺がうぶすぎるかもしれないが、多分キスは付き合ってからだと思う。
「そ、そうですね。わたしもまだちょっと恥ずかしいかもです」
ゆいもさすがに我に返ったのかカーっと顔を赤らめて恥ずかしそうに俯く、
「でも、いつか付き合ったら……ちゃんと、キス、してくださいね」
ゆいが照れて余計に顔を真っ赤に染め上げながらえへへと笑っている。
俺はその言葉が妙に照れくさくなって、目を逸らす。
いつか付き合うことができたらか……。
「まあそうだな。いつか、付き合ったらな」
「え? いいんですか!?」
俺がそんなことを言うのが意外に思ったのか、ゆいはキョトンとした顔をして目を見開いた。
「驚き過ぎじゃないか?」
「いえ……、だって前はこういうことしようとしたら驚いてたみたいでしたから……」
「たしかに驚いてはいたけどよ」
ゆいの言う通り、驚くというか動揺はしまくりだった。
恋愛経験希薄であまりにもうぶな俺には、10年前に戻ってからの距離の近すぎるゆいは刺激が強すぎたから。
「嫌なわけ、ないだろ」
俺はじっとゆいの目を見つめて言った。
そんなに俺がゆいとキスしたいと思うのはそんなにおかしいだろうか。
俺だって男だ。
好きな女の子とキスをしたいと思うのは普通だと思う。
今だって彼女の柔らかそうな体に触れたいと思っている欲のようなものを必死に抑えている。
でも今はまだ抑えるべきだ。俺はゆいに相応しい人間になるために頑張らなければならない。
今はまだ恋愛にかまけてる暇なんてない。間違った
それに、この欲望が俺の頑張れる理由になってくれたらいいと思うのだ。
すると、ゆいは目をすっと細めて、
「えへへ、いつか、約束ですよ」
本当に嬉しそうに笑って言った。
正直、蚊の邪魔がなければ、キスしてしまっていたような気がしなくもない。
もうすでに俺の理性は限界に迫っているのだろうか。
ゆいの宣言通りに、彼女に相応しくないとかどうでもいいくらい好きになる日もそう遠くない気がしてならなかった。
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