10年前に戻ってからの幼馴染との日常 ②

 微睡の中、ふっとしたタイミングで意識を取り戻した。

 寝起きの気だるさに思わず「ん……」とそんな声を漏らしながら、薄目をあけると、なにやら二度寝する前にはいなかったはずの人影が見えた。

 どうやらその人影は俺の前髪をなぞるように優しく撫でているらしい。

 徐々に朝の陽ざしに目が慣れてきてゆっくりと目を開けると、


「えへへ」


 幸せそうに微笑んでいるゆいの姿が目に入った。

 ゆいは俺が起きたのに気づき目を合わせると、少しだけ照れたようにはにかんだ。


「おはようございます、直人くん」


「おう……」


 俺はゆいが照れたようにはにかんだ顔を見て固まってしまう。


 恥ずかしすぎて、顔合わせづれえ……。


 幸せそうな笑みは反則的に可愛らしい。

 可愛らしいからこそ普段でも顔を背けたくなるのに、それに加えて赤裸々に思いを告げたせいで俺はなんてことをしてしまったんだという思いでいっぱいなのだ。

 今だけはゆいと顔を合わせられる気がしないのに目が覚めたらそこにいた。という事態に陥っているのに耐えられそうにない。

 俺はそんなゆいから逃げようともう一度布団をかぶり直し、


「…………おやすみ」


 寝返りを打って、反転してゆいに背を向けた。


「直人くん? 起きてくださいよ!」


 ゆいは俺の肩を揺さぶりながら言った。


「わかった! 起きる! いや、もう起きてるから、先に行っててくれ」


 俺は体を起こしてゆいに先に行くように促した。


「……わかりました。朝ごはんできてますから早く出てきてくださいね?」


 ゆいは俺が体を起こしたのを確認すると、部屋から出ていく音が聞こえてきた。

 俺は何とか起き上がると、洗面所に向かい、落ち着くために冷たい水で顔を洗うことにした。


「ふう……」


 顔を洗い終えると、ようやく頭がすっきりしてようやく少しは落ち着いてきた。


(なんでこんな朝っぱらからゆいが俺の部屋にいるんだ……)


 落ち着いてきて冷静になるとまず疑問に思ったのがまずそれである。

 ゆいは幼馴染とはいえ毎朝起こしてもらっているわけではない。

 登校する時はだいたい一緒だが、毎朝玄関まで迎えにくることはあっても、起こしに来るようなことはなかった。

 時計を見ると、二度寝してしまってたせいでもうすでにいつも登校する時間が迫っている。

 朝食を食べる時間を含めると、遅刻寸前の電車には何とか間に合うだろうといったところだろうか。

 俺は首を傾げながらも急いで制服に着替えて一階にあるリビングへと向かうと、リビングからは美味そうな匂いが漂っており、ぐうっと腹が鳴った。


「あ、着替えてきたんですね?」


 制服に真っ赤なエプロンを身に纏っているゆいは食卓から立ち上がると、にこりと微笑んだ。


「あ、ああ」


 俺はそんなゆいにうっかり見惚れてしまってそんな間抜けな声が漏れる。

 食卓の上に食卓にはサンドウィッチが並んでいる。

 おそらくこのサンドウィッチはゆいが作ったものだろう。

 俺の両親は共働きで朝は早く、もうすでに出かけている時間だ。

 普段の俺の朝食は炊いたご飯と共にお茶が沸かしており、勝手にお茶漬けでも食べろとしか言われない俺の母親が朝からサンドウィッチなんて凝った料理を作るはずがない。

 そもそもこの家には今は俺だけしかいないはずなのにどうやって俺の家に入ってきたのだろう。


「どうしてゆいが朝ごはん作ってくれてんだよ……そもそもどうやって俺の家に入ってきたんだ?」


「あたしがなんとなく早起きしてしまって回覧板を届けに来たら、仕事に出かけるところだったおばさんに頼まれたんです。今朝は朝食を作り忘れてしまったから、代わりに作ってくれないかって」


「……余計なことしやがって……そもそも朝食作るタイプじゃねえだろ……」


 勝手な言い訳をつけて絶対に何か企んでいると思う。

 何を企んでいるかわからないが、ろくなことではないだろうと思っていると、突然スマホが振動しメールが届いていることに気づいた。


『何があったか知らないけど、ゆいちゃんと仲直りしなさいよ。 母より』


 やはりまた俺の母親が余計な気遣いを回したらしい。

 というかなんで俺とゆいに何かがあったことに気づいてるんだよ。

 ゆいの告白を一度断ってしまってからの数日間、ゆいと気まずくなっていたのがそんなに態度に出ていただろうか……。


「もしかして……迷惑……でしたか?」


 俺が動揺していると、ゆいが上目遣いで覗き込んできた。


「いや、めちゃくちゃありがたいんだけどな……」


 ありがたいはありがたいが、なんというか……困る。

 そんなに優しくされてしまうと、甘えてしまいそうになるから。

 俺はゆいに相応しい人間になってみせると誓ったわけで、そのためにまだ恋人にならないという選択をした。

 この選択が間違っているとは思わないし、一生努力して見せるという思いは消えていない。

 俺たちはまだ恋人じゃないただの幼馴染でいるべきなのだ。

 昨日の夜だって、布団にくるまっていても眠れないと気づいた瞬間、とにかくやれることをやろうと、机と向かい合い、勉強を進めていた。寝不足の理由はそれもある。


「まだ、付き合ってるわけじゃないんだし、ただの幼馴染の距離感じゃねえだろ……」


「『まだ』ですか……えへへ」


「その……だな……」


 ゆいは頬を緩ませてだらしない笑みを浮かべると、俺はつい出てしまった一言に反応され、ドギマギとしてしまう。

 つい出てしまった分、本音が含まれているので気恥ずかしい。


「それ、直人くんが付き合ってくれれば全部解決しますよ?」


「なっ…………」


 俺はさらなる追撃に顔を赤くさせながらなんとか平静を保とうとして、息を吐いた。


「だから……今の俺じゃダメだって言ってるだろ……」


 何とか落ち着くと、以前答えたセリフを繰り返した。ゆいはこてっと首を傾げて


「直人くんは、いつの間にそんなに自信を無くしてしまったんですか? 中学の時まではそんなことなかったですよね」


 そう言われて思い返すと、たしかに中学生の頃はここまで自己評価が低くなかった気がする。

 何なら、中学時代に限っては周りと比べて成績が良い方で、勉強においてのみは自信を持っていたと思う。

 しかし、高校に入ってからは違った。

 今入った高校はそれなりにレベルが高い高校で、中学のころ程度の勉強では全く歯が立たなくなってしまったのだ。

 何事にも不器用な方で、唯一の取り柄だった勉強も取り上げられた俺には何もなかった。

 それから、いじめを受けたり、ブラック企業で罵倒され続けたりした散々な人生で、絶望を味わった。

 その就職してからは特に、使えねえなとか、お前なんかじゃダメだとか刷り込まれていた気がする。

 10年間もあればいろいろあるものだ。


「まあ、なんだ……いろいろあったんだよ……」


 10年後からやってきたなんて説明できるわけもなく、俺はそう言って誤魔化した。


「なんだか……ちょっと寂しいですね」


 どこか切なさを感じさせる顔でゆいは呟いた。


「寂しい?」


「はい、わたし達子供の頃から、ずっと一緒にいたじゃないですか? それなのに、わたしの知らない出来事があってこんなに直人くんが変わってしまうなんて寂しいって感じてしまうんです」


 自分では何か変えようとしたような感覚はない。

 けれど、子供のころからずっと一緒にいたゆいが変わったと言うのであれば、おそらく俺は変わってしまったのだろう。

 俺とゆいの間には10年の月日の誤差があって、10年もあれば人は変わってしまうものなのかもしれない。

 苦労して過ごした10年という月日は今思えばあっという間のように思えるが、どうやら俺にとって想像以上に大きかったらしい。

 その日々が俺たちが一緒に過ごしてきた子供の頃からの15年間を塗りつぶしてしまったのだと考えると、ゆいが寂しいと言っているのもわかる気がした。

 

「……何があったか教えてもらえませんか?」


 ゆいは恐る恐るといった感じで俺の様子を伺いながら言った。

 もしも、ゆいに10年前から戻ってきたと告げたらどうなるのだろう。

 まずこんな突拍子のない話、信じてもらえるのだろうか。

 もし信じてくれたとして、ゆいはどう思うのだろう。

 そう考えてみても、ゆいがどう答えるかうまく想像できなかった。

 想像できないまま10年前からやってきたと告げたとして、せっかく元に戻った関係もまた壊れてしまう可能性が少しでもあると考えると怖かった。


「いろいろだとしかいいようがねえんだよ」


 何とか誤魔化そうと言い訳して、ふらふらと目をふらつかせているとゆいと目が合いじっと真っすぐに見つめてくる。


「そのいろいろが聞きたいんです」


「いや……その……だな……。いつか、言うから……」


 俺は彼女の視線に耐え切れず視線をうろつかせていると、すでにいつも学校に出かけている時間である時計に目が付いた。


「ほら、もうすぐ家を出ないといけない時間じゃねえか」


 学校に間に合う最後の電車の時間が迫っており、急いで朝食を食べないと間に合わなそうな時間だった。


「もう『いつか』絶対ですよ」


 ゆいは渋々と諦めるのを横目に俺は急いで食卓の席に座ると「それじゃあ、食べますか」とにこやかに微笑んだ。


「ゆいもまだ食べてなかったんだな」


「はい、一緒にいただきますしないとおいしくないですから」


 そんな可愛らしい理由で待たれていたことが妙に照れくさくなりながら、いただきますと手を合わせた。

 朝ごはんを食べているのを横目にみながら、俺の様子がおかしいことについて今回は何とか誤魔化せたらしく俺はそっと胸を下ろして息を吐く。

 

 だが、ゆいにはどうやら何かがあったとは勘づかれているらしい。

 今回は何とか『いつか』とそう言って誤魔化せたが、きっと、また何があったかと聞かれる日が来るのは間違いない。

 10年後から戻ってきたという事実を、いつか言える日が来るのだろうか。

 ゆいにとってはどう考えても突拍子もない話なはずだ。

 俺自身、身近な人がタイムスリップしてきたと言われてもなかなか信じられることなんてできないし、なんならこいつ頭大丈夫かくらいは思うだろう。

 それなのになぜか、ゆいは俺の荒唐無稽な10年前に戻ってきたという話を本気で信じてくれそうな気がして不思議だった。


 

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