エピローグ 山岸直人

 ガタン、ゴトンと電車が揺れる音だけが響きわたっている。

 窓から外の景色を眺めると、普段の登下校時とは違い、完全に日が落ちきっており、暗闇の中ぽつぽつと街灯だけが灯っていた。


「かなり、遅い時間になってしまいましたね」


「……そうだな……」


 俺の隣の席に座っている心なしか顔が赤らめているゆいが話しかけてきて俺はつい目を逸らしてしまった。


(気まずい……)


 俺たちが抱きしめあった後からまだ数時間もたっていないせいで、俺は満足に目を合わせることができず、身をよじった。

 俺たちが抱きしめあっていたのは永遠だったような気もするし、たった数分の出来事だったような気もする。

 下校時間を表すチャイムが鳴り響いて、ようやく俺たちは我に返ることができたのだが、彼女を長い間抱きしめていたせいで彼女のぬくもりと柔らかさが今でも腕の中にはっきりと残っているように感じる。

 いくら受け入れられたと言え、自分の思いのたけのほぼ全て彼女に話してしまったのだ。

 自分が彼女をどう思っていたか知られていると思うと、妙に恥ずかしい。

 世の中のカップルはこんなにも恥ずかしくて気まずくなる状況をどうやって乗り越えてあんな風にいちゃついているのか全く理解できない。

 俺が無言で身をよじっていると、怪訝な目をしたゆいがこてんと首を傾げて俺を覗き込んできた。


「直人くん?」


「なんでもねえよ」


「まだ何も言ってないじゃないですか」


 ゆいがからかうような笑みを浮かべていうので俺はムッとしながら目を逸らしていると、ぽんっと俺の左肩にかすかな重みが降ってきた。その重みには少しだけ温もりを感じ、俺は彼女のほうに顔を向けようとすると、微かなシャンプーの香りが鼻孔をくすぐった。

 その瞬間、肩にゆいが頭を預けているという事実に気づき、俺の心臓がドキリと跳ね、ぐっと体温が上がった気がする。


「お、おい……」


 俺は思わず周りを見渡した。

 それなりに遅い時間だが、電車にはそれなりに人が乗っており、俺たちの声が聞こえそうな距離にも数人座っている。それでもゆいは怯むことなくえへへと笑った。


「そんなに恥ずかしがらなくても、さっきはもっとすごいことしたじゃないですか」


「ばっ……馬鹿! 誤解を招く表現やめろよ」


「……誤解されたって、別にいいです」


「でもよ……」


「わたし、言いましたよね? もっと好きにさせてみせるって、だからわたしはもう迷ったりしないです」


 ゆいは真剣な表情で俺をじっと見つめてくると、ニコリと笑った。


「それに直人くんも嬉しかったっていってくれましたよね?」


 確認するように上目遣いで俺の方を覗き込んでくるので、思わず俺の口から本音がこぼれ出た。


「そりゃあ、嬉しかったに決まってるだろ、こんなに可愛い女の子に詰め寄られて嬉しくないわけねえよ」


 こんなに一途で可愛い女の子に距離を詰められて本当に嫌な男なんて存在するはずがない。

 すると、ゆいはかーっと顔を赤らめながら幸せそうな笑みを浮かべ、腕を絡ませてきた。


「えへへ」


 ゆいの嬉し気な笑い声を聞きながら、俺の腕に彼女の胸を押し付けられて、ドギマギしていると、ゆいは俺の耳元にすっと顔を近づけ、


「直人くん、好きですよ」



 小さく、囁いた。

 俺はさらに真っ赤に顔を染め、またゆいを抱きしめたいという欲望にかられるがここは公共の場だと思い出し必死の思いで踏みとどまった。

 まだ踏みとどまれる俺の理性はかなりのものだと自画自賛できる。

 俺が必死に思いとどまろうとしていると、ゆいは真っ赤にした顔を俯いている彼女を見て俺はさすがに今、彼女がどんな気持ちでいるのか察することができた。

 そのおかげで、恥ずかしさとは別の感情が湧き上がってきて、俺の膝に乗せているゆいの手に自分の右手をそっと重ねた。


「ありがとな」


 ゆいはどうしてこんなにも俺との距離が近いのかずっと疑問に思っていた。

 ゆいだって普通の女の子だ。いくら幼馴染で昔から一緒に居るとはいえ俺みたいな男にぐいぐいと近づいてくるのは緊張しないはずがない。

 いつも俺に近づいてきたたびに、顔を真っ赤に染めていたのが、その証明だ。

 それでもゆいは俺の隣にい続けてくれて、アピールし続けてくれたのだ。

 そう考えると、今も俺の隣で、「なんですか、急に」と照れながら笑っている彼女が愛おしくてたまらない。


「お前は、ずっとそんな風に緊張しながら俺の近くにいてくれたんだろ? お前のおかげで、俺はお前に自分の気持ちを打ち明けられたんだ」


 もしも、ゆいがグイグイ来てくれなかったら、

 10年後に戻ってきてからの日々がこんなに楽しくなかったら。

 俺はゆいと一緒に居てほしいとあれほど強く思わなくて、俺はあのまま逃げてしまっていたかもしれない。

 何もかもゆいのおかげで俺はここに居ることができていた。


「だから、ありがとな」


 そうやって呟くと、俺は改めて決意を固める。

 俺はずっと彼女に救われていたけれど、俺が彼女のために何ができたと考えると何もできなかった。

 こんな俺をゆいはいつ愛想をつかされてしまうかわからない。

 25年間、俺は変わることなんてできなくて何度も、何度も間違えてきた。

 だから変われるはずなんてないと決めつけて過去に戻ってやり直すことさえ拒んだ。

 けれど、実際に10年前に戻ってきて、彼女がいない未来なんて絶対に嫌だと気づかされた。

 だから、俺はまた頑張ろうって思えたのだ。


 本当にまたゆいと一緒に居ることができてよかったと心の底から思う。


 俺が本気で頑張ったところで未来を変えることができるかなんてわからない。


 本来の10年間だって俺は精一杯頑張ったけれど、ついには死んでしまった。

 だから、同じようにまた間違えて人生を失敗してしまう日が来るかもしれない。

 

 それでも。

 もう二度と諦めたりしないと誓うから。

 ゆいが隣にさえ居れば頑張れると思えるから。

 

 明るい未来が待っていることを願おう。

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