エピローグ 天塚恵

 天使の世界で名前をもらうということは重要な意味を持ち、名前が与えられるのは一人前の天使として認められた時と決まっている。

 つまり、まだ一人前として認められていないあたしには名前がまだない。

 たまたま下界では天塚恵という仮の名前が与えられ、そう呼ばれていたけど、天使として名前を付けられているわけじゃないし、もちろん気に入ってもいない。

 だって天に使える天使だから『あまつか』なんて安直すぎない? 

 下界に降りたら勝手に決められてて、マジムカつくんですけど。

 まあでも下界ではいろいろあったけれど、今日はついに天界に帰ってくるように呼び出され、久しぶりに帰ってきていた。

 天使としての最終試験だった山岸直人を幸せにするというものは達成したはずだ。

 あたしは、山岸直人が走り去った後にゆいとの間に何があったかは知らない。

 山岸直人のあの迷いのない表情でこれ以上へたれてたら許せないけど、それはさすがにあり得ないでしょ。

 何よりあたしが天界から呼び出されたというのがよい証拠だ。下界から連絡を取ることは難しくたまにしか帰ってくることができない。

 下界とはおさらばでついに目標だった一人前の天使になれるのだ。

 二か月くらいで試練を乗り越えて一人前になる目標は無事達成できそうだ。

 ゆいや陽子と女子高生として過ごしたこの一ヵ月の間はマジ楽しかったからもうちょっとだけ高校生活を送りたかったかもだけど、仕方がない。目標を達成したら天界に帰るのは天使の宿命だ。

 そんなわけであたしは呼び出された通り天界に帰ってきて、神様の裁定が行われる座と呼ばれる場所にやってきていた。

 白く広い部屋の中心に座と呼ばれる場所があり、10段ほどの階段上になっている上に神々しい椅子がおかれている。

 その座には、この世界のあらゆることを見通すことができると言われている神、デウスが偉そうに座していた。

 デウスという大層な名前を聞くと、髭面の偉そうな爺さんを思い浮かべるかもしれないが、あたしと同じ年の16歳くらいの見た目の金髪の青年のような見た目をしている。

 あたしは一応規則なので儀礼通り跪くと、デウスがムカつく笑みで迎えた。


「やあやあ、思ったよりも大活躍だったじゃないか」


「当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるの」


 あたしはにらめつけながら答えると、


「デウス様になんて言葉遣いを!」


 突然、周りに待機していた天使が噛みついてくるのであたしは無視していると、デウスはその天使をすっと静止した。


「失敬、そういえば君は一応、トップの成績で卒業していたのだったね」


 デウスはあたしの言葉をにこやかに受け流して言った。


「その通りよ。むしろさすがと言ってほしいわね」


 これくらいの試験、簡単に合格して当たり前だ。

 山岸直人とかいうやつ、めんどくさい性格すぎて少し苦労させられてしまったが、JKとしての生活も楽しめたし、完全に目論見通りうまくいったと言えるだろう。


「そういう性格なのだから最終試験はもう少し失敗するとは思ったが、案外うまくやったじゃないか」


「なによそれ。あんた、あたしをなめすぎ」


 あたしは思いっきり睨みつけても、まるでデウスは変化を見せなかった。


「はじめにまともに説明しないまま無理やり過去に送りつけたのだから、失敗すると思われても仕方ないだろう?」


「ふん、あいつがめんどくさい性格してるのが悪いのよ。それに結果的に成功したんだから問題ないでしょ」


「ふふふ、私に対しても態度を変えない君のそういうところ嫌いじゃないが、私がいろいろ手助けしてなければ失敗していたかもしれないよ」


「ふん、あんたが何してたか知らないけど、あたしならどうとでもなったわよ」


 山岸直人が言っていたのだが、クラスが変わっていると言っていたが、それくらい小さな影響でしかないのになんでこいつは偉そうなのだろう。


「そうかい? 佐伯ゆいに山岸直人が死ぬ記憶を植え付けたのはなかなかに影響していたと思うが」


「は? あんたゆいに何かしてたわけ?」


 人間なんて下界に行く前は争ってばかりの浅ましい生き物だと思っていた。けれど、ゆいに出会ってからその考えはちょっとだけ変わっていた。

 ゆいとは、せっかくJKになったのだから、可愛いJKと絡みたいと思って声をかけただけだった。

 でも実際にゆいと話していくうちに本当に性格もよくて可愛い女の子で、まあ山岸直人みたいなめんどくさい人間もいるが、ゆいみたいないい子もいることを知ったのだ。

 そして、あたしはゆいの本当の友達になった。

 山岸直人はどうでもいいが、ゆいに何かしていたのは許せない。

 理不尽な神の力からあたしの友達をまもるのだと意気込んであたしは再度デウスをにらめつけた。


「おや、言い方が悪かったね。私は彼女の本来の歴史の未来を少し見せただけだから」


 デウスが本来の歴史の未来を見せているとか言って、ゆいにちょっかい出していたのは間違いないらしい。

 あたしが怒っているのは神(こいつ)の事情でゆいの心に土足で踏み込んだことなのだ。


「それ、夢として見せたことでゆいの感情を操って山岸直人のことを好きにさせたんじゃないでしょうね。それだったらあたしは、あんたを絶対許さない」


「私は神だよ? そんなことはしないさ」


「それでもあんたがゆいにその夢を見せたせいで、山岸直人を好きになってゆいが人気も収入も高い男と付き合っている未来がなくなりそうなんじゃないの?」


 あたしは、未来に関して詳しいわけじゃない。

 調べようとしたのだが、試験だからといちゃもんつけられ、本来の十年後の未来を教えてもらうことはできなかった。

 あたしが初めから知っている未来は山岸直人がブラック企業に働きつぶされ、過労死していることだけだった。

 だが、未来からやってきた山岸直人がゆいは未来では有名な声優になって、人気も収入も高い男と付き合っているらしく、こいつが関わったせいでゆいが山岸直人に告白して未来が変わってしまったのだ。

 山岸直人に未来の話を聞かされた時は、ゆいの気持ちを最優先にすべきだと思っていたし、ほんのちょっとだけ、山岸直人に同情していたから、ゆいをふらないようにと説得したが、神(こいつ)が関わっているのならば、話は別だ。


「安心しなよ。そもそも中学時代から佐伯ゆいは山岸直人に告白すると決めていたくらい彼のことを好きだっただろう? 私は少しだけ彼女の背中を押しただけにすぎないのさ。

 それに元から佐伯ゆいの『運命の相手』は山岸直人ただ一人と決まっていたのだから別に未来を捻じ曲げたわけじゃないのだよ」


「はあ? 『運命の相手』?」


「おや、学校で習わなかったかい? 一応必修なはずだが」


 確かに天使の学校の主席として一応知識としてはあった。だが、実際の事象として存在を見たのは初めてでうっかり忘れていた。


「忘れていたのなら教えてあげよう。

 本来、人間には運命の相手が一人かまたは複数人決まっていて誰かと結ばれるようになっている。ただ何らかのバグが起きて運命の相手と結ばれることができなかったのならその人間が誰かと結ばれることはないとそう決まっている」


 デウスはあたしが思い出す前にベラベラと語り始め、学校で習っていた知識を簡潔に説明されたせいであたしが学校で勉強していなかったみたいになっている。


「それくらい知ってるわよ……」


「そうなのかい? まあこれで分かっただろう。私はただ誤ってしまった世界を正しただけなのさ」


「…………ゆいは本来の十年後の未来だと、誰とも結ばれることがないってことよね」


「そういうことさ。他人の死というのは人に与える影響は大きい。佐伯ゆいは、山岸直人の死と向き合い恋愛を極端に恐れるようになって生涯誰とも結ばれることはなかったのさ」


「それなら……まあ仕方ないかもしれないけど……。ていうか! あんた佐伯ゆいの相手を山岸直人だって事前に教えてくれてれば、もっと簡単に山岸直人を説得できたんじゃないの?」


 山岸直人は未来ではゆいに相応しい相手がいるから結ばれるべきじゃないと極端に恐れていた。

 もしも運命の相手であると事前に教えてもらえていれば、山岸直人が恐れる必要なくなってあたしの説得はかなり楽になっていただろう。


「それじゃあ、意味がないだろう? 山岸直人が過去に向き合わないと意味ないじゃないか」


「なんでそうなるのよ!」


 デウスの目的がいまいち見えてこない。

 ただ命令した通りに山岸直人のことを幸せにするためだとしたら、できるだけ簡単に上手く行くようにするはずなのに、どうしてわざわざ向き合わせようとするのだろう。


「だってそこまで教えてしまったら、山岸直人を見出した意味もなくなるだろう?」


 同意を求められるように尋ねられたが、あたしには何が言いたいのかさっぱり分からなかった。


「そんなこと言われたって、あたしはまずなんで山岸直人を見出したのかも知らないんですけど」


 あたしは本当に何も知らされておらず、過去もデウスがどういう目的で山岸直人を選んだのかも全く知らされていなかったのだ。


「山岸直人を見出したのは、彼ならきっといい主人公になれると思ったからさ。ひねくれているくせに自己評価が低い彼みたいな男なら私の目的を達成できると思ったんだ」


「……結局、あんた何がしたかったわけ?」


 デウスは主人公だとか意味が分からないことを言いだして、首を傾げた。


「私はね。この退屈な天界では見られないような物語を見たかったのさ」


 デウスは両手を広げ、大げさぶって言った。


「はあ? 意味わかんない」


 ほんとに意味わかんない。どうしてあたしの試験や現実とは関係ないのに物語が関わってくるというのだろう。


「君に山岸直人を幸せにしろと命じたけど未来の記憶を与えなかったのも、佐伯ゆいに未来の夢を見せたのだって面白い物語を見るためなのさ。本当のことを知らなかったからこそ、山岸直人という主人公が自らのトラウマと向き合いなかなかに面白い物語になったと思わないかい? 私はそのための演出としていろいろと手を尽くしただけさ」


 あたしはムカつきながら思いっきりにらめつけていた。


「あんたのそういうとこ、ほんとキモい。普通にゆいをあんたの都合で巻き込んだの許せないんですけど」


「おや、君も自分がJKになってみたいからっていう理由で嫌がっている山岸直人を過去に送ったんじゃなかったかい? 私の命令って言っていたけれど、君が過去に送るように頼み込んできただろう?」


「……ちっ……そんなの関係ないでしょ! 今はあたしの話なんてしてないじゃない!」


 露骨に話を逸らしてきたので、あたしは舌打ちをつき睨め付けた。


「くっくっくっ、あははははははははははははははははははははははははははははははは!!」


 あたしがムカついて睨め付けているにもかかわらずデウスは大きな笑い声を立て、腹の底から笑っていた。


「いやー、君は神である私以上に自分勝手だね。やっぱり君は面白いなあ」


 やっぱりあたしはこのデウスに対してはいまいち調子がつかめない。神だからって関係なくいつもの調子でやっても笑みを崩す様子が微塵もないせいだ。あたしはゆいのことについてはとりあえず許すことにして、気になっていた結論だけを聞くことにした。


「それで、結局あたしの試験は合格ってことでいいのよね?」


 一人前の天使になるための試験の結果を念のため確認すると、デウスは予想外に首を横に振った。


「おや、そんなことないよ? まだまだ山岸直人が不幸せになる可能性は存在するし、そもそも山岸直人と佐伯ゆいは交際を始めていないしね」


「は? はああああ??? どうしてそうなるのよ。あいつ、あの様子でびびったわけ???」


 山岸直人のやつ、めんどくさい性格をしているとは思っていたが、あの思い切った様子で付き合いださないなんて全く想像できなかったから声を上げて驚いた。


「いやあ、私も彼が佐伯ゆいに好きだと伝えた時は交際を始めると思ったんだけどね。

 彼曰く、まだ自分は佐伯ゆいに相応しい人間ではないから、愛想をつかすまで一緒に居てくれないかと宣言していたよ。全く、私好みの予想がつかない人間だよねえ」


 デウスは相変わらずニヤつきながら言うのだが、あたしはあまりの驚きで開いた口がふさがらなかった。


「……意味わかんない……」


 せっかくゆいに告白までして付き合わないなんて全く想像もしていなかったし、ほんとに理解できない。山岸直人という人間、めんどくさすぎる……。


「そういうわけだから、また下界で彼らの監視頑張るんだよ」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! じゃあなんでわざわざあたしを呼び出したのよ」


「いい物語を見たら感想を話したくなるものだと思わないかい?」


「なによそれ……」


 あたしが茫然自失としていると、デウスは思い直したように手を打った。


「まあたしかに君は案外活躍してくれたしね。山岸直人が不幸になる可能性はかなり減ったとみていいし、一人前の天使として認めてあげてもいいだろう」


「ほ、本当よね?」


 あたしは少し訝しんで確認すると、デウスは簡単に頷いた。


「ああ、一人前の天使になるのなら、君にも名前を与えなければならないな。うーむそうだな……」


 デウスはわざとらしく、考え込んだそぶりを見せ、あたしはその様子を期待と緊張の面持ちで見守っていると、デウスは思いついたように手を打った。


「そうだ! 君は下界では天塚恵と名乗っていたらしいね。ではそのまま『アマツカ』! うん、君の名は天使アマツカだ!」


「は? はああああああああああ?? いくらなんでも適当すぎるでしょ!!


 決め方があまりにも適当すぎると下界に降りてから思っていたし、ネーミングセンスのかけらも感じない。

 それなのにそのままあたしのずっと残る名前にされてしまうのは納得がいかない。


「もう決まったことだよ。アマツカ? 神の命令は絶対だと君もわかっているだろう?」


「そんなの、わかってるわよ……」


 神様の命令は聞かなければならないというのは天使の中での決まりであり、覆すことなんてできないと決まっていた。そもそも、神様の命令に背いていいのだったら山岸直人を幸福にしろなんて命令聞くわけがない。


「そういうわけでアマツカ、君の一人前の天使としての最初の任務は山岸直人を彼が自分を認められるような人間にすることさ」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」


 あたしは必死に引き留めようとするのだが、デウスはあたしの言葉を全く聞く気配がない。


「それでは、頑張るように。あ、任務を達成するまでこっちに帰ってこれないからね」


 デウスがそう言って手を振った瞬間、あたしの足元がバッとなくなり、


「ちょっと待ちなさいって言ってるでしょおおおお」


 そんな風に叫んだ時にはすでに遅く、あたしは無限の闇へと落ちていった。

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