10年前に戻っても幼なじみと恋人になれるはずがないだろう ②

 放課後の教室は夕日が差し光に満ちきっており、昼間までとはまるで別世界のように見えていた。

 そんなオレンジ色に染まった教室にたった一人で佇(たたず)んで窓から外を眺める女の子の姿は美しく、絵になるという言葉がよく似合う。

 まるで天使と言いたいが本物の天使の姿を見てきた俺だから言えるが間違いなく本物の天使よりは美しい。

 俺はその女の子がゆいであると認めた瞬間、なぜだか少し涙が出そうになって、少しだけ教室に入るのを躊躇ってしまった。

 それでも俺は彼女に近づき、ゆっくり声をかけた。


「ゆい!」


 ゆいは目を見開きながら振り向いて、俺と目が合った。


「───っ───」


 ゆいは俺の姿を認めた瞬間泣きそうな顔にゆがめると、俺が入ってきた方とは別の教室の入り口にむかって逃げ出すように走り出す。


「待ってくれ」


 俺は慌ててゆいを追いかけ、彼女の手をとって引き留めた。


「やめてください!」



 俺が手を掴んだ瞬間にゆいは悲痛を感じさせる声で叫んだ。

 俺は思わず彼女の手を放してしまうが、ゆいは立ち止まったまま泣きそうな目で俺を見つめた。


「直人くんはわたしのこと……嫌い……なんですよね?」


「……違う……」


 俺は小さく呟いて首を振った。


「……だって、だって、そうじゃないと、おかしいじゃないですか! 本当に嫌いだったからわたしの告白も断ったし、わたしの名前もずっと呼んでくれなかったんですよね?」


 ゆいの悲惨な叫びが教室中に響き、今にも泣きだしそうな顔で唇をかみしめている。

 ゆいにこんな顔をさせるようなことしてしまった自分はなんてことをしてしまったのだろうと今更実感させられて俺は首を強く降った。


「違う、違うんだ!」


 真剣な顔でゆいをじっと見つめる。

 


「俺はゆいのことがずっと好きだった! もちろん今も!!」


 

 ずっと、ずっと好きだった。

 気持ち悪いと言われても仕方ない話だが、10年間、全く会っていなかったゆいのことを俺は一度も忘れることができなかった。

 10年後、もう二度と会えないだろうとわかっていたのに、俺は気が付けばずっとゆいのことを考えてしまって、亡霊のように消えてくれなかった。

 高校で引きこもり始めてから三年後、俺が立ち直ったのだって、声優として活躍し始めていたゆいに少しでも追いつきたかったからだ。

 少しでも追いつきたかったから、資格を取るための勉強にだって永遠に続くような残業にだって俺が頑張り続けることができたのだ。

 ゆいは顔を上げて、


「じゃあ!」


 明るい声音を取り戻して言ったが、俺はすぐにゆいの言葉を遮って頭を下げた。


「それでも……俺はお前と付き合うことなんてできない。本当にすまん」


 俺のエゴで未来を変えるのだ。簡単にゆいの彼氏になんてなれるわけがない。


「どうして……ですか?」


 ゆいは声音を落として俯いたままで顔色が伺えないまま泣きそうな声で呟くように言った。


「まだ、俺じゃダメなんだ……ゆいに相応しいような人間じゃないんだ……」


 俺みたいな人間じゃゆいに相応しくなくて、ゆいにとって俺は彼女の元から去るべきだとずっと思っていた。

 未来にはゆいに相応しい相手が現れるかもしれなくて、俺なんかがゆいの隣にいるなんて相応しくないのかもしれない。

 俺じゃダメだという思いは未だに重くのしかかってきてその呪いは今も消えてくれない。

 それでも……。


「それでも、入学してからの一ヵ月、俺は楽しかったんだ! お前と一緒に高校生活を送ることができて楽しかった……。いつもより距離が近くて緊張したこともあったけど、全部ひっくるめて楽しかったんだ! だから俺はこの数日間、もうお前と一緒にいられないとわかって……嫌だったんだ……」


 俺じゃダメだと、未来を変えられるわけがないと思っていたから、俺の中のゆいとの思い出の記憶を必死に耳を塞いで聞こえないふりをしていた。

 それでも天塚に突き付けられたのだ。

 あんた自身はゆいと一緒にいられなくなってもいいの? ゆいを諦めてしまえるの?

 そう問いかけられてしまえば、諦めることなんてできないに決まっていた。

 俺自身のためだけに未来を変えるなんてことは間違っているのはわかっている。

 それでも、ほんの些細な出来事だって俺はゆいと一緒にいられることが嬉しくて、俺は彼女に救われていたのだ。

 諦められるはずがない。


「だから、俺は一生努力してゆいに相応しい人間になると誓うから……」


 俺じゃダメだと突き放すのはもうやめた。

 今の俺じゃダメだと思うのなら、未来を変えられるように努力するしかないのだから。

 俺自身のためだけに未来を選ぶのなら、未来に現れるゆいに相応しい相手よりも、もっと相応しい人間になれるよう努力すべきなんだ。


「こんな俺でよかったら、ゆいが愛想つかすまででいいから、これまで通り一緒にいてくれないか?」


 そう誓ったところで『ずっと一緒に』とか『付き合ってくれ』なんて言葉は言えなかった。

 ずっと一緒に居てくれると約束してしまえば、もしも、俺が失敗してもゆいは一緒にいてくれるかもしれないだなんて考えが生まれてしまって自分が甘えてしまう気がしたから。

 俺はこれから頑張って生きていかなければならない。

 自分で自分自身を認められるような明るい未来を勝ち取ることができるように、精一杯努力する必要がある。

 そのためにはできる限り甘えを残すわけにはいかなかった。

 それに俺はまだゆいと一緒にいることができるだけで、これ以上の幸せはないと思えるのだから。

 

 こんな自分勝手な提案が受け入れられるか不安で、恐る恐るゆいの様子を見守っていると、彼女はおもむろに動き出し、ポスッと音を立て俺の体にぶつかると、彼女の柔らかい体が俺を包んだ。

 どうやら俺はゆいに抱きしめられているらしい。

 抱きしめられてどう反応すればいいのかわからず固まってしまい、心臓が痛いほど鼓動を打っているのがよくわかった。


「直人くんも……ドキドキしてくれてたんですね?」


 ゆいは俺の胸に耳を当てて俺の鼓動を聞きながら言った。


「わたし、ずっと不安だったんです。直人くんに思い切って近づいてみて嫌がられてたらどうしようって、そう思ってたので、すごく嬉しいです」


 ゆいは抱きしめたまま顔を上げると、俺をじっと見つめてきた彼女の目には少しだけ涙が浮かんでいる。


「愛想つかしたりなんか、しないです。自分じゃダメなんて言わないでください。わたしは直人くんがいいんです。直人くんじゃないとダメなんです」


 ゆいはすっと背伸びをして、俺の頬を柔らかいものがかすめた。


「……なっ」


 突然の頬へのキスに俺は動揺して声を漏らすと、ゆいがえへへと照れたように笑った。


「相応しくないだとかそんなことどうでもいいくらいに、もっとわたしを好きにさせてみせますから、覚悟していてください」


 ゆいは痛いくらい抱きついたまま言った。

 これ以上好きになることはないくらいゆいへの思いは大きなものになっている。

 この思いがこれ以上大きくなってしまえば俺はそれなりに強いと自信を持っている理性を抑えられる気がしなかった。

 これからゆいに相応しい人間になるために全力で努力してみせると誓うから……今だけは、流されても許されるだろうか。


「……これ以上は、勘弁してくれ」


 勘弁してくれと口ではそう言いながらも、俺の腕は勝手に動いてゆいの肩に回っていた。

 彼女の体はとても小さくてどんな強さで抱きしめていいかわからなかったから、優しくそれでも離れないてしまわないように強く抱きしめていた。


 これが正しい未来への選択だったのかはわからない。


 俺のためだけにゆいの未来を歪めてしまったという罪悪感は今も心の中に残っている。

 本当は俺が選べる選択肢に正解なんてなかったのかもしれない。

 それでも、俺はゆいと一緒に居ることを選んだことに後悔なんてなかった。

 今の俺にはゆいがいない人生なんて考えられなかったから。

 そもそも誰だって自分の人生の選択肢が正しかったなんてわからないのだから、一度人生をやり直したところでわかるわけがないのだ。

 そうだとするのならば、俺ができることはただ今の人生を一生懸命生きること。ただそれだけだ。この選択は正しかったのだと、証明して見せるのだ。

 そのために俺は精一杯努力するのだと誓いを新たにしながら、ゆいと一緒に居る幸せをかみしめるようにゆいをきゅっと強く抱きしめ直した。

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