10年前に戻っても幼なじみとデートするはずがないだろう ⑤

   佐伯 ゆい

 

 おおいぬこどもの晴と空は、おおいぬ男と普通の少女が出会うことから始まります。

 おおいぬ男は始めのうちは自分がいぬの末裔だと言い出せず、彼女を突き放していましたが、二人は恋に落ちることになります。その後、結婚して夫婦になり、二人の子供ができるのですが、幸せな生活は長くは続かず、おおいぬ男は事故で亡くなってしまいました。

 そのおおいぬ男の旦那さんが亡くなったシーンを見たとき、わたしはおおいぬ男の旦那さんと何度も夢で見て焼き付いてしまっていた直人くんの遺影を重ねてしまっていました。

 わたしは直人くんがこの映画のおおいぬ男のようにわたしの前からいなくなってしまうのが怖くなって、直人くんがどこにも行かないように手すりに置いていた直人くんの手をぎゅっと握りしめました。


「……っ……」


 直人くんが小さく声を漏らして驚いた顔でこちらを振り向きました。直人くんと目が合うとわたしは少し照れてしまって笑ってごまかしました。

 すると、直人くんは顔をそらして正面を向いてしまいましたが、何も聞かずに手をつかんだままでいてくれていてくれました。

 直人くんは子供のころからわたしが不安になっていると手をつないでくれていたのを思い出します。性格は高校生になってから少し変わってしまいましたが、その横顔と優しさは何も変わっていません。

 


(やっぱりわたし、直人くんのことが好きなんだなあ)


 

 なんてそんなことを思ってしばらく直人くんの横顔を見つめていました。

 

      山岸 直人

 

 二時間ほど映画に夢中になり映画館を出ると、長い間、席から動いていなかったせいで凝ってしまった体を肩から伸ばした。

 映画の最中、俺が映画に夢中になっていると、佐伯ゆいが手すりに置いていた俺の左手をぎゅっと握りしめてきたときは驚いたが、周りの客の迷惑にならないようになんとか平静を保った。

 まあそれなりに気が散った状態でも久しぶりに見るおおいぬこどもの晴と空は面白かった。


「おもしろかったな」


「はい、ほんとに泣いてしまいそうになりました」


 俺たちはそんな話をしながら、映画館を出ると、立ち止まった。


「それで、次はどうする?」


「あの…………観覧車、乗りませんか?」


 佐伯ゆいはなぜか意を決したように言うので、俺は別に拒否するような理由がなかったから頷いた。

 

 観覧車乗り場はそれなりに空いていて、チケットを買うとすぐに乗ることができた。


「ごゆっくりどうぞー」


 男の店員に案内され、観覧車に乗り込んで俺が先に席に座ると、


「えへへ」


 佐伯ゆいは俺のすぐ隣に腰を下ろすと、照れたように笑った。

 案内してもらった店員になんだこのカップルイチャコラしやがってという死んだ目で見られているのも合わさって非常に心臓に悪い。


「む、向こうのほうが広いだろ」


 俺は動揺しながら、観覧車の向かいの席を指して言った。

 久しぶりに乗った観覧車は思ったよりも狭く、俺だけが精一杯、体を窓際に寄せても、俺と彼女の太ももは密着している。

 どう考えても向かいの席に座ったほうがスペースの有効活用なのは間違いないだろう。


「デートだったら隣に座るべきなんですよ?」


「……そういうものなのか?」


「そういうものなんです」


 そういうものと言い切られてしまえば、俺は他にデートなんてしたことがないので押し黙るしかない。

 観覧車はミシミシと音を立て、五階建ての建物の頂上にあるせいで、元からそれなりの高さにあるにもかかわらず、さらに上へ上へと昇っていくため、すぐにそれなりの高さにまで来ていて、足がすくむ。


「怖い……ですね」


 佐伯ゆいは俺の腕をきゅっと握りしめてきて俺の心臓が早鐘を打つようになっていて、この胸の音が聞こえていないか心配になった。

 二人きりの空間は緊張してあまりに心臓に悪いので、早く終わってほしいのだが、想像以上に観覧車はゆったりと回っていく。

 何か話せば、気が紛れるのではないかと思い、俺はずっと気になっていたことがあったのを思い出して口を開いた。


「そういえば、この前のオーディションどうだったんだ?」


「あー……、えーっとですね……」


 佐伯ゆいは少し困ったような顔をして言葉を濁(にご)した。

 ゴールデンウィーク前半、佐伯ゆいは声優のオーディションに行っていたはずである。

 今まで聞くタイミングを見いだせていなかったが、出発前日に俺の風邪をうつしてしまった影響が、オーディションに出ていないかずっと気にしていたのだ。

 体調は俺が見た段階で既によくなっていたと思うのだが、口を濁したということは何かあったのだろうか。


「何か、あったのか?」


「えっと……実は受けてないんです、オーディション」


 俺の記憶が正しければ、本来の10年前、佐伯ゆいはこのオーディションに合格し、彼女のデビュー作となるはずだった。

 けれど、俺が10年前から戻ってきた今と明確に歴史が変わってしまっていた。


「すまん、俺のせいだ。俺が風邪をうつしたりしなければ……、あれから風邪ぶり返したりしたのか?」


 俺は罪悪感でいっぱいになり頭を下げる。

 10年前、俺は風邪をひいていたかどうかは覚えていないが、彼女に看病を頼んだことはなかったはずだから、彼女に風邪をうつすことはなかったはずだ。高校時代少しずつ関りを断つようにしていたし、あんなことがあったらさすがに覚えている。

 おそらく、俺が看病を頼んだせいで、佐伯ゆいはオーディションを受けることさえもできなかったのだろう。


「いえ、そんなことはないんですが……、お父さんに病み上がりで一人で東京に行くことを許してもらえなかっただけなんです。だから直人くんのせいなんかじゃないですよ?」


「それでも! ……それでも、俺が風邪をひいてお前を頼ってなければ、何の問題もなかったはずだろ?」


「頼ってくれたのは嬉しかったですし、看病はわたしがやりたいからやっただけなんですから気にしないでください」


 佐伯ゆいは俺を諭すように言うが、俺は顔を上げられないでいた。

 気にするなと言われても気にしてしまう。本来であれば佐伯ゆいはオーディションに合格して声優としての一歩を踏み出していたはずなのだ。

 佐伯ゆいは知る由もないだろうが、俺が10年前に戻ってきて、彼女と深くかかわってしまったばかりに看病に来てしまい、彼女は夢を叶える道が閉ざされた可能性だって生まれてしまったのだ。

 

 だとしたら、俺は10年前に帰ってきてから佐伯ゆいにかかわるべきではなかったのではないだろうか。


「……すまん……」


 俺はうつむいたまま謝る。


「気にしないでくださいって言ってるじゃないですか! それに声優になるチャンスはまだまだありますし、わたしはほんとに気にしてないですから」


 声優という夢は叶えるのに難しい職業であるはずだ。たくさんの声優志望の中からほんのひと握りしか声優になることなんてできない。

 そんな中、本来成功していたはずのチャンスを逃したことは佐伯ゆいにとって、ものすごくマイナスのことのはずだ。

 彼女は未来を知らないわけで、どれほどマイナスなのか気づいていないということが俺の罪悪感を余計に煽り、顔を上げることができないでいた。


「ほら、外見てください。ずっと遠くまで見えて綺麗ですよ」


 俺はようやく顔を上げると、いつの間にか先ほどよりずっと高いところまで登っていたことに驚く。夕焼けの差した街並みはオレンジ色に染まっていた。


「たしかに……綺麗だな」


 俺はそんな景色に見惚れて呟くと、俺の顔色を伺っていたらしい佐伯ゆいが口を開いた。


「元気になってくれましたか?」


「ああ、もう大丈夫だ」


 一応デートだというのに佐伯ゆいに気を遣わせてしまったらしいので、俺は気にしていないふりをすることにした。


「もう、突然落ち込んでしまうからびっくりしてしまいました」


 俺は彼女に恨まれても仕方がないくらいのことをしたのだが、未来を知らない彼女は俺がしてしまった意味に気づいていないのだろう。だから、突然驚いたようにみえてしまったのだ。

 まあそれでもせっかく観覧車に乗っているのだ。周りの景色を楽しむべきかもしれない。


「それにしても、本当に遠くまで見えるな。ほら見てみろよ。俺たちの町まで見えそうだぜ」


 俺はなんとか気分を切り替え、素直に観覧車を楽しむことにして、改めて周りを見渡すと、観覧車はゆっくりと回り続けていて、気がつけば頂上に近い場所に来ていた。

 そのおかげでかなり遠くまで眺めることができる。


「あ、あの山! 昔登ったの覚えてますか?」


「ああ、家族旅行で行ったよな」


 俺たちの家族はお互い仲が良く、昔から家族ぐるみの付き合いで、小学生のころは二家族で毎年のように旅行に出かけていたのだ。


「他にも、ほら、あの海岸沿いで潮干狩りしたな」


「小学生のころ、今日みたいに二人で観覧車乗った時のこと、覚えていますか?」


 小さいころ、俺と佐伯ゆいは一度家族全員で親にもう一回乗りたいとねだったら、二人で乗ってきなさいとお金だけ渡されたのだ。

 俺は懐かしく思い出しながら呟くと、突然、俺の手を温かいものが優しく包み込んだ。


「その時は、こうやって手をつないでいましたね」


 いざ二人きりで乗ってみたら頼れる大人の存在がいないのが俺も彼女も泣きそうになるくらい怖くて、二人で震えながら手を繋ぎあって乗りきったのはたしかに覚えている。


「ああ、覚えているさ」


「懐かしいです……。なんだか小さいころを思い出しますね」


 高校生になる前のまだ俺のハードモードの人生が始まっていなかったころ、俺と佐伯ゆいはずっと一緒に育ってきて懐かしい思い出の中にはほとんど彼女の姿があった。

 その頃の思い出は全てが輝いている。


「ああ、懐かしいことだらけだ」


「思い返してみると、わたしたち喧嘩も何度かしましたけど、なんだかんだずっと仲のいい幼なじみだったと思います」


「でも……」


 佐伯ゆいは手を離すと、胸に手を当て深呼吸するように息を吸い込んで俺をまっすぐに見つめてきた。


「でもわたしはずっとただの幼馴染のままじゃ嫌なんです」


「…………は?……」


 多分、彼女にこれ以上口にさせたらダメだ。

 続きを聞いてしまえば、今まで見たいな幼なじみの関係に戻れなくなると直感的にわかった。

 なんとか押し留めようと思ったが、真剣で今にも泣き出しそうな彼女のまなざしを見た瞬間、きっと止められないだろうなとわかってしまう。



「直人くんのことが好きです。わたしの彼氏になってもらえませんか?」



 その告白は奇しくも本来の10年前と同じ言葉だった。

 

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