佐伯ゆい ②

 カチャリと小さな物音がして夢から覚めると、誰かがわたしの部屋に入ってくる足音がしました。


「お母さん?」


 わたしは自分の部屋に一番よく入ってくる母親なのかと思い、誰が入ってきたのかと尋ねてみると、


「悪い。起こしたか?」


 その声ですぐに誰が入ってきたかわかり、わたしの胸はどきりと跳ね上がり、体を起こしました。


「な、直人くん⁉ どうしてわたしの部屋に」


 わたしは本当に驚いて声をあげ鼓動がドクンドクンと強く胸を打っていました

 だって、わたしが直人君の部屋に訪れることは多かったですが直人くんがわたしの部屋にやってきたのは本当に何年ぶりでしょう。

 昔は毎日のように行き来したものですが、中学生になってからはなぜだか全然わたしの家に訪れてくれなくなってしまったので二年ぶりくらいかもしれません。

 そんな直人くんが久しぶりにわたしの家にやってきてくれたのはやっぱり嬉しいですけど、少し心臓に悪すぎます。

 直人くんが部屋に来るのをわかっていればもっときちんと掃除してたのに……。

 そもそもなんで直人くんがわたしの部屋にやってきているのでしょうか。


「さすがに風邪うつして放っておくような薄情者じゃねえよ」


 わたしは直人くんがそう言っているのを聞いて、昨日から直人くんが風邪をひき、看病をしていたのを思い出しました。


(わたし……、思い切って直人くんに近づきすぎじゃないですか……。恥ずかしい……)


 直人くんを看病するのに一生懸命で肩をかしたり、虫に怯えて抱き着いたりと距離が近すぎるのに気づいていませんでした。

 よく考えてみれば目が覚めてからの直人くんはそれなりに元気みたいでしたし、余計なお節介だなんて思われていないでしょうか。

 直人くんはわたしが顔を赤くして俯いているのを風邪のせいかと心配したのか覗き込んできました。


「それで、気分はどうだ?」


 わたしは何とか落ち着いて自分の体調を改めて確かめると、先ほどまで少しだけ感じていた熱っぽい体のだるさはある程度晴れていました。

 元々自分では気が付かなかったくらいだったので、軽い風邪だったみたいです。これならもしかしたら明日からのオーディションに行くこともできるかもです。


「えっと……大丈夫そうです」


「本当か?」


「はい。もう頭もぼーっとしないですし、全然問題ないです」


「一応、もう一回体温測っとけよ」


 直人くんは持ってきていたお盆を机の上に置き、ポケットに入れていた体温計を取り出して渡されました。

 わたしはその体温計を受け取ると、脇に挟むと、なぜだか直人くんが気まずそうに顔を逸らしました。

 そんな直人くんの様子を不思議に思いながら、体温計の結果が出るのをしばらく待っていると、ピピピッと音が鳴り体温計を取り出しました。


「36度9分でした」


「だいぶ下がってきたな。よかった……。これで明日から東京に行くオーディションいけそうか?」


「はい。もう全然元気です」


 直人くんは安心したようにほっと息を吐きました。

 わたしはふと、直人くんが持ってきたお盆の上に何やらどんぶりが乗っていたのが気になり、


「その持ってきたのって何ですか?」


「あー……、これはだな……おかゆ……だ」


 直人くんは頭をかきながらそんなことを言いました。


「おかゆってどうしたんですか? お母さんが作ってくれたとか?」


「いや、由紀(ゆき)さんは出かけてくるってよ。薬とか冷えピタとかを買いにいくらしい」


 由紀さんとはわたしのお母さんの名前です。

 お父さんは今日も仕事で家にいないので、今この家はわたしと直人くんの二人きりということになります。

 直人くんの両親も旅行に出かけているらしいし、直人くんが料理なんてするはずないので、料理できる人が誰もいないことにわたしは首を傾げました。


「じゃあそのおかゆは誰が作ったんですか?」


「……俺」


「え?」


「俺が作ったんだよ。悪いか? いや悪いよな。絶対まずいし……」


 直人くんが料理を作るなんてそんなの聞いたことないですし、作ろうとしたことも見たことありません。そもそもカップラーメンですら作るのをめんどくさがるのにどうして作ろうと思ったんでしょう。

 わからないですけど、まずかったとしてもせっかく直人くんがわたしのために作ってくれたわけで……。

 食べてみたいと思ってしまいました。


「全然悪くないです。食べたいです」


「ほんとに食べてくれるのか?」


「もちろんです。直人くんがせっかく作ってくれたんですから」


「一応味見はしたが……。口に合わなかったら教えてくれ」


 直人くんはお盆ごと渡してくると、最近よく直人くんに意識してもらうにはどうすればいいだろうと考えているわたしは、ある作戦を思いつきました。

 え、作戦思いついたのはいいですけど、わたし本当にこんなことできるの?

 そんな疑問が頭をよぎったのですが、わたしは恥ずかしくなる気持ちを必死に抑えて、直人くんをじっと見つめました。


「あの……。直人くん、食べさせてもらえませんか?」


 わたしが思いついた作戦とは直人くんにも『あ~ん』をやってもらうことです。昨日わたしが看病している時にもやったことですが、食べさす側はとても恥ずかしかったですが、だから逆に直人くんにもやって貰ってドキドキしてもらうことを狙った作戦でした。


「はい?」


「……ダメ? ……ですか?」


 わたしは声優になるために頑張って身に着けた演技で必死に恥ずかしさを抑えて上目遣いで覗き込むと、直人くんは「うっ……」と呟くと、慌てたように目をそらしました。

 直人くんが上目遣いで覗き込むと、とても弱いのはわかっています。だから今回もと願いながら、目を潤ませて頼むと、直人くんは観念したとばかりにため息を吐きました。


「わかったさ。昨日はお前に食べさせてもらったしな……」



(やった!)


 わたしは心の中で小さく喜んでお盆を直人くんに返すと、直人くんは少し顔を赤らめながら恐る恐るスプーンを差し出してくれました。


「……ほら」


 直人くんは顔を少し赤らめるのを隠すように顔を逸らしているみたいなので、少しは効果があったでしょうか。

 そんなことを思ってちょっと嬉しかったのですが、いざ直人くんが差し出したスプーンを目にすると、わたしは目を泳がせながらためらってしまいました。

 それでもわたしは思い切って、目をつむりながら直人くんが差し出したスプーンを咥えると、やっぱり恥ずかしくてカーッと顔を真っ赤にしてしまったのが自分でもわかりました。

 わたしは直人くんが出しているスプーンを咥えておかゆを一口食べると、顔を真っ赤にしてしまってるのが恥ずかしくなってうつむいてしまいました。


「どうだ? うまかったか?」


 直人くんが自分の作った料理の味が気になったのかそんなことを聞いてくるのですが、そう聞かれたって今はわたしに味を感じ取る余裕なんてありませんでした。


「え、えっと、おいしかったですよ? 多分」


 わたしは味を感じ取る理由などない中、とりあえずおいしかったと言うつもりが思わず多分と付けてしまいました。


「多分ってなんだよ……。やっぱりまずかったか?」


 わたしの誤魔化し方があまりにも下手すぎて、直人くんは少し不安そうな顔をしていました。


「そ、そんなことないです」


 わたしは慌てて首を振るのですが、直人くんの不安そうな顔が晴れることはありませんでした。


「いやなら無理して食べなくていいんだぞ?」


「いえ、食べたいです。食べさせてください」


 食べさせてもらうのは恥ずかしかったけど、直人くんは少し顔を赤くしていて少しは効果があったみたいなので、全ての勇気を振り絞って最後まで食べさせてもらうことにしました。


「そこまで言うなら、いいんだけどよ」


 直人くんはまたスプーンを運んでくれて、わたしはまた顔を赤くしながら恥ずかしさを何とか抑えて食べ進めました。

 高校生になってから、わたしは何度も思い切って直人くんに距離を詰めて、恋人のようなことをやってきましたが何回やってもなれることなんてできませんでした。


(とっても恥ずかしいですけど…………怖がってちゃダメなんです)


 直人くんを好きだと気づいてから彼に近づくのは毎回とっても勇気が必要で、顔を真っ赤にさせながら、近づくのがやっとでした。

 それでも声優になるために何とか演技しながら誤魔化しながらですが必死に直人くんに距離を詰めようと頑張っているのですが、直人くんはどう思っているのでしょう。

 どう思われているかなんてわからないし、ほんとに恥ずかしいけど……。


(直人くんに好きになってもらうよう精一杯頑張るって決めたんです)


 直人くんも恥ずかしそうにスプーンを差し出しているのを見る限り、ちょっとでも効果があってほしいと願いながら食べ進めました。

 わざとらしく甘えるのは本当に恥ずかしいけど……、わたしをただの幼馴染としてじゃなく、一人の女の子として絶対、意識してもらわなきゃダメなんです。

 そんな時、突然バタンと音を立てわたしの部屋の扉が開きました。


「あら、あらあらあらあら」


 突然、出かけていたはずのお母さんがニコニコしながら入ってきました。

 お母さんが入ってきたのはわたしが丁度直人くんが差し出したスプーンを咥えていたところでわたしは慌ててスプーンから口を離し、おかゆを飲み込みました。


「お、お母さん⁉」


「ほんとにおかゆ作ってくれたの? ありがとうねー、直(なお)くん」


「由紀さん、出かけたんじゃなかったんですか……?」


 直人くんは困ったようにお母さんに尋ねました。


「あら、出かけて今帰ってきたところよ? 抜き足差し足で音を立てないように家に入ってくるの大変だったんだから!」


「自分の家なんだから抜き足差し足で帰ってこないでくださいよ……」


 お母さんがドヤ顔で言うので、直人くんは呆れたように反論しました。

 わたしも直人くんと同意見です。ほんとにお母さんは子供なんだから。


「ゆい、具合はどう?」


「それは良くなったけど……」


「それは良かった! じゃあ、お邪魔虫はそろそろ退散しますかね。ゆっくり続きをどうぞ! むふふふふ」


 そう言ってお母さんは嵐のように部屋から去っていきました。

 部屋を出て行った後、「春香さんに報告しなくちゃ…!」とお母さんのそんな声が聞こえてきます。

 春香さんとは直人くんの母親のことで、春香さんはわたしのお母さんと高校時代の先輩後輩の間柄でとても仲が良く、わたしたちの家がお隣同士なのもそれが関係しているみたいです。

 つまり春香さんに報告するとはわたしと直人くんが『あーん』をしていたことが両家族に知れ渡ることになると考えると、ちょっと恥ずかしいです……。


「「…………」」


 そんなことよりです。

 直人くんとのこの気まずい空気をまず何とかしないといけません。

 さっきまで自然に話せていたのにどうして今はこんなに気まずいのでしょう。

 ほんとにお母さんのせいで最悪です……。


「えっと、本当にごめんなさい! お母さんたら……」


「いや、お前が謝ることじゃねえよ……。由紀さんが昔からあんな感じなのはわかってる」


「ほんとに、お母さんはお母さんなんですから……」


 お母さんは昔からちっとも変わってなくて、いっつもあんなテンションです。

 お母さんの子供の頃から知っているどんな人からも『昔から変わらない』と言われています。そんなお母さんとどうしてあんなに堅物なお父さんと結婚したのかわたしにとっての永遠の謎です。


「それで、この残りのおかゆはどうする?」


 残りのおかゆは半分くらい残っていましたが、またいつお母さんが気分次第でこの部屋にやってくるかわかったものではないので食べさせてとねだる勇気はありませんでした。


「残りは……自分で食べます」


 わたしはそういっておかゆを受け取り自分で食べ進めていると、直人くんは自分で作ったおかゆが気になるのかわたしが食べる様子を心配そうに見つめていました。


「ごちそうさまでした」


 わたしが完食して手を合わせると、直人くんはそれに合わせたように立ち上がると、


「じゃあ俺は帰るわ。由紀さんも帰ってきたみたいだし」


「わたしは、もう少しだけ寝ますね」


「おう、おやすみ」


 わたしはまだ風邪の疲れが少しだけ残っていたので、もう一度布団に入ると、直人くんは部屋を出ようと、立ち上がりました。

 わたしは、直人くんにまだお礼を伝えていなかったと思いつき、ベッドに横になったままでもお礼を言うことにしました。


「あの、おかゆほんとにおいしかったです。ありがとうございました」


「あれは由紀さんのレシピ通りに作っただけだから」


「え、じゃあおかゆ作ってくれたのはお母さんに頼まれたからなんですか?」


「いや、俺が由紀さんに何か手伝いたいって頼んだんだよ。まあうまくいくまで結構失敗したし、慣れないことはするもんじゃねえとは思ったけどな」


 直人くんの手元をよく見てみると、指に絆創膏が何枚かまかれているのに気がつきました。多分直人くんが慣れない料理をして失敗する時についた傷でしょう。

 やっぱり直人くんは優しいです。

 直人くんは不器用でひねくれた言い方しかできないけれど、わたしのために一生懸命慣れない料理を頑張ってくれたと想像すると、わたしの心臓はドキドキと嬉しげにはねていました。


「えへへ、直人くんは優しいですね?」


「別に優しくなんてねえよ。これくらい普通だ」


 普通なのかもしれないけど、それでもわたしは直人くんがわたしのために頑張ってくれたのがやっぱりうれしくて、直人くんにこんなに優しく看病してもらえるんだったら風邪をうつしてもらってよかったのかもしれないとかそんなことまで思っていました。

 今日の直人くんはいつも以上に優しくて、もっと甘えたくなってしまってもう一度だけお願いしてみることにしました。


「あの……眠る前にもう一つだけ最後にお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?」


「……なんだよ」


「……わたしが眠ってしまうまで手を握っていてもらえませんか?」


 いつもの直人くんなら、こんなこと頼んでも引き受けてくれないかもしれません。でも、今日の直人くんなら引き受けてくれるかもしれない。

 それに、なぜか今日はこのまま一人で眠ってしまうのは寂しくて、少しでも直人くんに離れてほしくありませんでした。


「なっ……」


「ダメですか?」


 直人くんは動揺したような様子で口を開けたのでわたしは畳み掛けるように直人くんをジッと見てできるだけ甘えた声で言いました。


「わ、わかったさ。手を握ればいいんだろ」


「えへへ、ありがとうございます」


 わたしが布団の中から手を出すと、直人くんは優しく手を握ってくれました。

 直人くんと手をつないだのは子供のころ以来で、男の人になったんだなと思える少しごつごつとした手をしていましたが、やっぱり暖かかったです。

 わたしは手を握った緊張で、目がさえてしまって眠れる気がしなくなりました。

 眠れる気がしないまま目をつむって数分が経った時ふと直人くんが口を開きました。


「……起きてるか?」


「はい」


「明日からのオーディション頑張れよ。応援してるからな」


「わかりました。精一杯頑張ってきます」


「お前ならきっと大丈夫さ」


 わたしは少しだけ薄目を開けると、直人くんはわたしの寝顔を優しげな目で見つめていたのをみてわたしの体温はまた上がっているように感じました。

 直人くんはやっぱり優しくて……なかなか寝付けなかったわたしの隣でずっと手を繋いでくれていました。

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