10年前に戻って風邪をひいても幼馴染に看病してもらえるはずがないだろう ④
俺は台所付近に止まっていたバッタをすんなりと窓から逃がすことに成功すると、本格的に手持ち無沙汰になった。
俺はもうすでに14時間ほど眠った後でさすがに眠れる気はしなかったのだが、病み上がりの体では特にやることもなく、ただいつものように部屋でたまったアニメを佐伯ゆいと一緒に見たり、普通のバラエティー番組をみたりして安静に土曜日を過ごしていた。
いつもと違ったことは昼飯がいつもよりおいしかったことだろうか。佐伯ゆいの料理は弱冠15歳にして俺の母親の料理よりも上手いと考えると、末恐ろしい。
俺たちは昼飯を食べ終わってからしばらくすると、いつものように俺の部屋で読みかけだった本を読み進め始めた。
そんな時佐伯ゆいは何かを思いついたように立ち上がり、俺の本棚からとある作品を手に取った。
「直人くん、すこし演技の練習に付き合ってもらえませんか?」
「演技?」
「そうです。今度養成所で初めてオーディションを受けさせてもらえることになったんですよ。その演技の練習のお手伝いをしてもらえないかなって」
佐伯ゆいは声優を目指して養成所に通っている際中だということを思い出した。
ちなみに俺は10年後、有名声優になっている佐伯ゆいの演技のただファンになっていた。元幼馴染の活躍が嬉しくて社畜として忙しい時期でさえも彼女が出演していた作品は必ずチェックしていたほどである。
そんな佐伯ゆいが声優としてデビューする前の演技をみられると考えると、ぜひ見てみたかった。
「声優の演技の練習ってことか。でも手伝いって言っても何をすればいいんだ?」
「えっとですね。わたしが演技するので、話し相手のセリフを読んでもらいたいんです。自分一人で声を出すのより会話をすることでよりイメージできそうなので」
「わかった。読み上げればいいんだな?」
「はい! あとできればアドバイスももらえたら嬉しいかもです」
別に手伝いをすることは全然かまわないのだが、それなりにアニメを見ているとはいえ演技の良し悪しをみてアドバイスをできるかといわれると難しそうだ。
「でもいいか悪いかなんて判断できる自信ないぞ」
「いえ、ただのファン目線でも全然かまいませんよ。最近、自分だけじゃ手詰まりのように感じてですね。別の目線からもわたしの演技がどう見えているか聞いてみたくなったんです。オーディションの原作はこれなんですけど……」
佐伯ゆいが渡してきた作品はアニメ化が決まっている原作がライトノベルの作品で、アニメ化が成功してヒットし、続編や映画まで作られるようになり、10年後も続いているコンテンツである。
たしか後に有名声優、佐伯ゆいを発掘した作品としても知られていたはずだ。
これは重要な役割かもしれないなと少し緊張してくる。
「わかった。それで、どこから読めばいいんだ?」
「えっと、73ページからです。わたしが読み上げますから直人くんは次のセリフ読んでくださいね」
「ああ」
俺が頷くと、佐伯ゆいはセリフは記憶しているのか何も持たずに目を閉じた。
そして、胸元に手のひらを当てて、息をゆっくりと吐き出し、スッと息を吸い込む。
『それは……気になってる人がやってるからかな』
佐伯ゆいはまるで魂が入れ替わったかのように、原作のキャラクターである天真爛漫な少女になりきっている。
「その気になってる人って誰?」
俺がセリフを棒読みで読み上げる。
『うーん、秘密』
佐伯ゆいは演技をしながら人差し指を唇に当てると、まるで別人がそこにいるようだった。
10年後、佐伯ゆいの演技は多種多様なキャラクターを演じ分けることができる演技力と透き通ったような声で有名だった。佐伯ゆいのファンになっていた俺でさえも佐伯ゆいが声優をやっていると気づかず、エンドロールで名前が出てきてようやく気付くとこともあった。
そして、現在も、10年後と比べて多少は粗削りなものの確かに10年後の片りんは感じられていた。
俺は佐伯ゆいに続いて男役のセリフを棒読みで読み上げていると、序盤の決め台詞のシーンまでやってきた。
『だってあたしの気になってる人って君のことだから』
俺は佐伯ゆいの演技で、にこりと笑ういつもと違う姿にひたすら見惚れていた。
「えっと、とりあえずここまででいいです。どうでしたか? わたしの演技。昔、直人くんに才能があるって言ってもらえた時より成長していますか?」
「あ、ああ! もちろん上達してたさ。これならオーディションも受かるんじゃねえか」
俺はなんとか正気に戻ると、大袈裟と思われるくらいに頷いた。
昔、俺が佐伯ゆいの才能があるって言った時と言われて俺は小学生の時のことを思い出していた。
『絶対声優になれるって!』
一緒の漫画を好きになって、今日のように読み上げていた時、俺は佐伯ゆいの才能に気づき、声優を目指すように進めた。
俺が一番最初に佐伯ゆいの才能に気づいたと考えると誇らしい。負け組人生を送ってきた俺の人生で最も意味があったことをあげるとするなら佐伯ゆいの才能に気づいたことだろう。
「えへへ、良かったです」
「それで、そのオーディションっていつあるんだ?」
「えっと、明後日ですね。明日東京に行ってオーディションを受けてきます」
「明日って、俺の風邪うつったりしてないよな?」
「大丈夫ですよ。この通り元気ですから」
元気だと言って胸を張る佐伯ゆいの頬は心なしかいつもより赤い気がする。
「ちょっといいか」
俺は佐伯ゆいにすっと近づくと、彼女の額に手を当てた。
「へ?」
佐伯ゆいが変な声を出すのを無視して、彼女の額の熱に集中し、平熱に下がった自分の額の熱と比べてみると、彼女の額に熱があることがよくわかった。
「やっぱり……熱があるんじゃないか?」
「えっと、直人くん。ちょっと……近いです……」
「わ、悪い」
佐伯ゆいがカーっと顔を赤らめているのを見て、俺は慌てて離れる。
彼女からはいつもこれくらいの距離感なのに俺から近づいたらこんなに照れるのはなんというかずるい。こんな様子見せられたら俺はどう接すれば良いかわからなくなる。
「と、とりあえずちゃんと熱測ってみろよ」
俺はこの変な空気を打ち消そうと、ベッドのそばに置いていた体温計を手に取り、佐伯ゆいに渡した。
「大丈夫だと思いますけどね」
佐伯ゆいが顔を赤らめたまま、シャツを着崩し、体温計を刺している様子が妙に色っぽくて、一応目をそらす。
俺も大丈夫であってと願ってはいるが、風邪の引き始めからずっと看病してもらっていたのだ。うつってしまっている可能性は十分にあり得る。
心配しつつ待っていると、ピピピっと体温計のアラームが鳴り、佐伯ゆいは体温計を取り出した。
「37度6分ありました……」
佐伯ゆいは驚いたように言うと、ほんの少しだけ悲しそうな顔をした。
彼女にとっての初めてのオーディションだったのにそれを受けられないのがほぼ確定してしまったのだ。例え明日までになんとか治して東京に行って、明後日無理にオーディションを受けたとしても万全の状態での臨むのは不可能だろう。
「すまん。俺のせいだ」
俺は深く頭を下げる。
「気にしないでください。オーディションは他にもたくさんありますから」
佐伯ゆいは俺の深刻そうな顔を見て強がって見せるが「こほっ! こほっ!」と咳き込んだので俺は
「ちょっ、大丈夫かよ。ほらお前の部屋まで送っていくから」
佐伯ゆいが突然咳き込み始めたので、俺は心配そうに声をかけ、手を差し伸べた。
「す、すみません……」
謝られてしまったが、より罪悪感を抱いていたのは俺のほうだった。
彼女は本来であればこのオーディションに合格し、声優への道を歩み始めていたはずだったのだ。
俺が過去に戻ってきたせいで佐伯ゆいの夢が台無しになる可能性が出てきてしまったと考えると罪悪感を抱かずにはいられない。
もしかしたら俺は佐伯ゆいに関わることすらすべきではなかったのかもしれない。
俺は罪悪感でいっぱいになりながらも少しでも償おうと佐伯ゆいの家へと向かった。
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