10年前に戻って風邪をひいても幼馴染に看病してもらえるはずがないだろう ③

 佐伯ゆいの作ったうどんは昨日食べたおかゆ以上においしくて、あっという間に食べ終わると、佐伯ゆいは洗い物をしに台所へと向かった。

 俺はというと、佐伯ゆいの洗い物を手伝おうとしたのだが、病み上がりなんだからゆっくりしていてくださいと厳命されて手持ち無沙汰になり、テレビをつけたまっていたアニメを消化することにした。


「きゃっ」


 五分ほどアニメを眺めていると、佐伯ゆいがいる台所のほうから短い悲鳴が響いた。


「どうした?」


 俺は慌ててテレビを消して立ち上がり、リビングのほうへ向かおうとすると、佐伯ゆいの方からうつむいて俺のほうに駆け寄ってくる。


「直人くん!」


 佐伯ゆいは俺の名前を呼ぶと、俺にひしっと抱き着いてきて、俺は胸を高鳴らした。


「なっ……!」


 小さく声を漏らすが、強く抱きしめられているのでそれ以上身動きをとりようがない。

 強く抱きしめられているがゆえに、佐伯ゆいの柔らかい部分が存分に押し付けられており、意外と胸大きいんだななどと余計なことを考えてしまっていた。


「ど、どうしたんだよ。いったい」


 俺はたまらずそんな声をあげ、佐伯ゆいを引きはがそうとしたのだが、しっかりと抱きしめられているせいで全然離れてくれる気配がない。

 本当に急にどうしてしまったのだろう。こんなに様子がおかしい佐伯ゆいは10年前に戻ってから見たことがなかった。


「……が……でました」


「は? なんて?」


 佐伯ゆいが俺の胸に顔をうずめながらぼそぼそと話すので、何と言ってるか聞き取れずに聞き返した。すると、佐伯ゆいはそのままの姿勢で顔を上げると、俺を上目遣いでのぞき込む。


「虫が……出たんです……」


「虫って……なんの虫だ?」


 俺は冷や汗を垂らしながら恐る恐る尋ねた。

 もしも全人類が苦手としている”G”がでてきたとしたら、俺も太刀打ちができない。人類の天敵からは逃げることしかできない。


「バッタです」


「なんだ。バッタかよ」


 俺は胸をなでおろし、ほっと一息ついた。

 そういえば佐伯ゆいは昔から虫だけはだめだった。小学生のころは何度も虫を使ってからかっていた思い出がある。

 涙をためて俺をのぞき込んでくる佐伯ゆいに、俺たちがまだ小さかった頃も佐伯ゆいは同じような顔をしていたなと小さなころの面影を重ねていた。


「なんだじゃないですよ……。これじゃあ、お皿洗いの続きができません……」


「わかった。追い出せばいいんだな」


 俺は抱きついていた佐伯ゆいを引き離すと、台所に向かおうとする。


「だ、ダメです。直人くんは病み上がりなんですから安静にしてもらわないと」


 佐伯ゆいは俺の右手の服の袖を掴むと俺を引き留めてそう言った。


「大丈夫だって言ってるだろ。もう熱も下がったし、問題ねえよ」


「でも……、ここで手伝ってもらったら看病をきちんとできたって言えません……おばさんにもちゃんと看病するって約束したのに……」


「あのなあ。もう十分すぎるほど、看病してもらったさ」


 俺は佐伯ゆいの頭に右手を優しく乗せた。


「ありがとよ」


「は、はい。それはいいんですけど……」


 俺が今までの分も含めて礼を言うと、佐伯ゆいは照れたように目を逸らして顔を桃色に染めている。

 よく考えてみれば、これは所謂『頭ぽんぽん』というやつじゃないだろうか。

 こういうことをするのは柄じゃないのに、小さかったころの佐伯ゆいを思い出していたせいか自然と体が動いていた。

 不自然に思われないようにできるだけ自然に右手をおろすと、佐伯ゆいは心配そうに俺を上目遣いでのぞき込んできた。


「直人くんは……無理をしてるわけじゃないんですよね?」


「ああ、もういつも通り元気だって言ってるだろ」


 もう咳もほとんど出る気配はないし、のどに本当に少し違和感が残っているくらいだろうか。まあこれくらいなら平常通りだといっても問題ないだろう。


「本当、ですよね?」


「なんだよ。心配性だな」


 俺が昨日から強がりすぎたせいでもあるとは思うがさすがに心配性が過ぎると思う。佐伯ゆいは昔から心配性な質ではあるがここまで心配されるとさすがに鬱陶しいと感じてしまう。


「そうかも……しれませんね」


「何かあったのか?」


「えっとですね。信じてもらえるかわからないんですけど、最近よく悪い夢を見るんです」


「悪い夢?」


「はい、その夢の中でですね。直人くんが過労死してしまうんです」


「過労死……か……」


 俺は過労死した結果、10年前に戻ってきたらしい。

 佐伯ゆいの夢の中でも過労死していると聞くと、それが偶然だと言い切ることはできなかった。


「はい、所詮、夢だって笑われてしまうかもしれないですけど、ほんとにリアルな夢で……、その夢のことははっきり覚えてるんです。だから……、直人くんには無理してほしくないんです……いつか無理して死んじゃうんじゃないかって思っちゃうから」


 瞳に涙をためて心配そうな顔で覗いてそう言った。

 その佐伯ゆいの夢がどんなものだったのか具体的にはわからないのだからはっきりとは言えないが、彼女が見たのは予知夢というやつだろうか。

 佐伯ゆいがそんな予知夢を見たことがあるなど、長い付き合いで一度も聞いたことがない。

 だとしたら、俺が10年後から戻ってきたことが原因なのか?

 いやきっと今考えても結論はでない。

 それより佐伯ゆいをどうやったら安心させることができるか考えるべきだ。


「まあ、バッタ追い出したくらいで過労死なんてするわけないだろ」


 俺はできるだけ彼女を安心させようと、精一杯に笑って見せた。

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