10年前に戻っても友達ができるわけがないだろう ⑤
次の日。
結局俺は楠陰一馬に話しかけると約束したのだが、なかなか話しかけるタイミングを見出せないでいた。
長年のぼっち生活のせいで、友達とコミュニケーションを取るのって話しかけるタイミングが一番難しいということを忘れていた。
社会人時代は仕事に関してはコミュニケーションがそんなに必要じゃない職種だったし、必要な時は義務感で必要最低限の話をすればいいだけなのだが、同じクラスメイトに友人としてしかも一度も話したことのない生徒に話しかけるというのは難しい。
そこで俺はとりあえず楠陰一馬の日常を観察してみることから始めることにした。
人間関係は相手を知ることから始まると聞いたことがあったのでおそらく間違いはないだろう。
楠陰一馬は前髪を目が隠れるまで伸ばし、おかっぱっぽい髪型をしている。誰に話しかけられてもおどおどしながら、なんとか答えると言うのがほとんどで大人しめな性格にみえた。
そして、休み時間のたびに何かしら軽いいじめを受けて、少しだけ辛そうに笑っているのを見ると俺まで辛くなってくる。
その楠陰一馬の日常を観察していて一つだけ疑問に思うところがあった。
楠陰一馬は何度やられても休み時間のたびに自分から影井といういじめっ子のところに近づいていくのだ。
いじられて楽しそうにしているのだったらまだわかる。だが、辛そうに笑っている姿を見るとそうではないだろう。
とりあえず、話しかける時に聞いてみることにしようと決め、話しかける内容を思いつきはしたのだが、結局話しかけることができないまま気が付けば放課後になっていた。
いや、だって仕方なくね? 楠陰一馬とかいうやつ休み時間のたびに影井とかいう奴に自らいじめられに行くんだもん。一人でいるタイミングがあればそりゃあ話しかけるよ? ほんとだよ?
「では今日の授業はここまでだ。日直の影井。黒板を消しておくように」
そういって担任の教師は教室から出ていくと、途端に教室はがやがやと騒がしくなり、皆、帰宅の準備を進め続々と教室から出ていく。
「ちっ、めんどくせーな」
影井が舌打ちをし、楠陰一馬のほうを向く。
「楠陰、かわりにやってくれよ」
「え、えー」
楠陰一馬は嫌そうに顔を歪めると、不満そうな声を上げた。
「いいじゃねーか。俺たち友達だろ」
「友達……うん、わかったよ」
「ラッキー、じゃ、後はよろしくな」
影井は教室を出ていくと、『楠陰ちょろすぎ』とかいう影井の声が廊下から聞こえてきた。
楠陰一馬は小さくため息をつくと、黙々と黒板を消し始める。
一部始終を見守っていた俺は話しかけるなら今だと思い、黒板の前まで来ると、話しかけることにした。
かなりの数のクラスメイトがすでに教室から出て行っているため、話しかけるにはベストなタイミングといえるだろう。
「なあ、なんであんな奴の言うこと聞くんだよ」
「…………」
楠陰一馬は何もなかったかのように黙々と黒板を消し続けている。
へんじがない……ただのしかばねのようだ。
はっず。超恥っず。結構緊張して話しかけたのに無視されるとか……俺泣いちゃうよ?
「……あー……楠陰? 聞こえてるか?」
「え? ぼ、僕に話しかけてたんだね。えっと、何くんだったっけ?」
今度はどもりながらも返事が返ってきた。しかばねではなかったし、聞こえてなかったわけでもなかったらしい。俺は少し安心しながら、自己紹介する。
「山岸直人だ。よろしく」
「えっと……それで山岸くんは僕に何か用?」
「日直、影井ってやつの仕事だろ。どうしてあんな奴の言うことを聞いたんだ?」
「……今日初めて話すような君には関係ないじゃないか」
楠陰一馬は苛立ったのか、むすっとした顔をしてそんなことを言い捨てると、日直用の日誌をもって自分の席へと向かう。
「ちょっと待てよ、楠陰。お前ほんとにそれでいいのか?」
「影井くんは僕の友達なんだ。友達の手伝いをするのは当然なんだよ」
俺が呼び止めると、楠陰一馬は立ち止まり振り向くと、俺を睨んで言った。
あんな一方に押し付け、一方だけが得する関係を友達なんて呼んでいる楠陰一馬という人間はかなりの重症らしい。
「はっ! 一緒にいて辛い奴なんて友達でもなんでもねえだろ」
「別に……辛くなんてないよ」
口では辛くないなんて言っているが、影井と一緒にいる時を思い出しているのか顔はいつも軽いいじめを受けているときと同じ辛そうな顔をしていた。
「そんなに嫌そうな顔していじめられてるのに辛くないわけないだろ」
「辛くないは嘘だけど……、いじめられてなんかないさ!」
「まあ、たしかに今はまだいじめと言えないし、我慢できるかもしれないな。でもいつか我慢できないほど酷くなるかもしれないぜ?」
俺がいじめを受けた時も初めはこいつと同じようなレベルだった。だが、こんな状態が続いていると、こいつには何をやってもいいという空気ができてくる。
そういう空気ができてしまえばあとは酷くなる一方で、俺の場合は最終的に学校にすら通えなくなった。
「で、でもひどくなるとは限らないじゃないか」
「酷くならないとしてもよ。もしも三年間そうやって我慢し続けたところでお前の高校生活それでいいのかよ」
「僕だって悲しいさ! でも、影井くん達以外の友達なんていないし、もうクラスの人間関係だって固まってきてるんだ。だったらどうやって友達作ればいいんだよ」
楠陰一馬は悲惨な顔をして言った。
友達が多いやつがリア充で勝ち組。友達が少なければ非リアで負け組。そんな風潮が存在してるから友達は絶対に作らないといけないように思ってしまう。
楠陰の気持ちはなんとなくだがわかる。俺だって昔はそんなことを思っていた。
でもこんな悲惨な顔をしてまで友達を作らないといけない理由なんてあるのだろうか。
「別に友達なんていらないだろ」
楠陰一馬を見ていた時から、この声をかけてやりたかった。
彼は何となく俺の高校生の頃と重なって見える。
もしも10年前のいじめられている時の俺自身に今の俺からかける言葉があるとしたらこんな言葉だろう。
「え?」
「友達なんていなくても死にはしねえんだよ。一人でだって趣味に生きたり、勉強して成績を上げていい大学に行ったりいろいろできるだろ」
友達という存在が必ずしも必要だと思わない。
不登校になってからの10年近く、一人で生きてきた俺の結論である。
「でも……でもさ。僕には一人ぼっちで生きていくことなんてできないよ。ぼっちは不安だし、惨めだ」
集団の中では友達がいないというだけで白い目で見られ、惨めだと感じてしまう気持ちはわからなくはない。
俺も高校生に成り立ての時はそう思っていた。
「それは一人で生きていく覚悟が足りないからそう思ってるだけじゃねえか。いずれお前も社会に出て一人で生きていかないといけねえんだよ。
一人で稼いで一人で生活して一人で生きていく。当たり前のことだ。一人で生きていく期間は誰にだってある。そんな大人は別に惨めじゃねえだろ」
一人で生きていくのは当たり前のことなのだ。
一人が惨めだと思うから無理に友達を作ろうとして傷つくくらいだったらどうして友達なんて作らなければならないのだろう。
「そうかもしれないけど、僕が思い描いてた高校生活はぼっちで悲しいものじゃないのに……」
悲しそうな顔をしている楠陰一馬を見ていると、ふと我に返りなぜ俺が彼に話しかけたか思い出した。
(どうして俺は楠陰一馬と友達になれと言われて話しかけたのに友達なんていらないだろって話をしてるんだ……)
言いたいことを優先して話していたら、本当に話す予定だったことを全否定していたことに気づき、焦って話を変えることにした。
「話は変わるけどよ。お前の席に置いてあるそのシャーペン。お前のだよな」
「ん? それがどうかしたの?」
「それ『おさこい』の限定シャーペンだろ」
「ど、どうしてそれを……」
「俺も持ってるんだよほら」
俺はそう言ってポケットにしまっていた楠陰一馬とは色違いのシャーペンを彼に見せた。
「ついにバレた……これで僕の学園生活は終わりだ……」
楠陰一馬は絶望の顔を浮かべ、膝をついた。
彼が絶望してもおかしくないと言えるほどに『オタクはキモい』という共通認識が根付いていた時代だったのだ。
「別に言いふらしたりはしねえよ」
「ほ、本当なの? な、なにが条件なんだよ」
「別に条件なんてねえよ。そんなことより『おさこい』面白いよな」
「えっと、山岸くんも『おさこい』読んでるの?」
「ああ、全巻集めてるどころか保存用まで完備だ」
「す、すごい。保存用まで集めてる人初めて見た……。『おさこい』最高だよね! 主人公がかっこいいっていうかさ。僕だったら絶対あんなことできないもん」
「ああ、めっちゃわかる。ヒロインも全員可愛いし最高だよな」
「なんていうかさ、現実ではリア充なんて憎むだけの存在だけど、『おさこい』のイチャイチャを見せられると、心から応援できるっていうかさ」
「わかってるじゃねえか! そうなんだよ!」
それからしばらく『おさこい』の話で盛り上がることになった。
おさこいは俺の青春であり、このことを話そうとすれば、いくらでも話題はわいてくる。
楠陰一馬も隠れオタクを続けてきたせいで、話したいことがたまっていたらしく、かなり盛り上がって長い時間話していた。
「こういうこと話せる人他にいなくてさ。初めてこんなに『おさこい』の話したかも」
「『おさこい』以外の作品読んだりしてねえのか?」
「うん。『おさこい』が初めてハマったライトノベルなんだ。他はまだみたことないかな」
「おすすめ教えてやるよ。今日話してみてお前の好みは大体わかったしな」
「ほんと⁉ 楽しみかも」
声を弾ませ、頬が緩んでいるところを見ると、本当に楽しみにしているようだった。
話をつけるならこのタイミングだろう。
「なあ、お前が思い描いてた高校生活はこんなオタクトークするもんじゃねえかもしれねえけどよ。楽しいと思わなかったか?」
「え? うん。楽しかったよ」
「それでよ。お前が一人が惨めっていうなら……、なんというか……」
思いついたセリフがあまりに気恥ずかしくて声を詰まらせた。
「俺と友達にならないか」
こんな気恥ずかしいセリフ一生言うことがないだろうと思っていたのに……。やはり過去に戻ってくるべきじゃなかった……。
いや過去というより、あの糞天使のせいだ。絶対に許さない。
「え? いいの?」
「そうすればお前もぼっちで惨めな思いをせずに済むだろ」
「僕はうれしいんだけど、山岸くんはいいの? 君は友達なんていらないもんだってだと思ってたよ」
「いろいろ事情があってだな。友達ってやつが必要になったんだよ」
「あはは、なんだよそれ」
「まあなんだ。よろしく頼む」
そんなわけで俺におおよそ10年ぶりに友達ができたらしい。
ここだけの話、楠陰一馬と友達になるのに懸念事項はあるが、対策は一応考えている。
自分で選んだ道だけれど、これから起こることが少しだけ憂鬱だった。
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