10年前に戻っても幼馴染と放課後デートするわけがないだろう ④
陰キャはスタバに行ってはいけない。
当時、なぜかそのようなルールというか風習のようなものが存在した。
誰が言いだしたかはわからないし、別に何がダメというわけでもないのだが、その風習はたしかにあったように感じる。
根っからの陰キャの俺はなんとなくその風習に従い、一度も行かないまま高校生活を終え、何ならそんな風習がなくなった10年後も何となくスタバに行こうという気にならず人生で二度か三度くらいしか訪れたことがない。俺にとってスタバはそんな場所になっていた。
俺が少し緊張しながらスタバの中に入っていき、佐伯ゆいはそわそわと周りを見渡しながら俺の後を追い、レジの前までやってきた。
「何を頼みましょうか?」
「俺は……普通のカフェラテでいいかな」
「ちょ、ちょっと待ってください。直人くん決めるの早くないですか」
佐伯ゆいはキョロキョロとメニューを見渡して、目を輝かしている。
ガチガチに緊張した佐伯ゆいの様子を見ていると、俺の緊張は自然と解けていた。
自分より緊張している人を見ると、緊張感というのは薄れていくものである。
「あのフラペチーノっていうのもおいしそうですし、モカっていうのもおいしそうです! どんな味がするんでしょう!」
「なんというか……、田舎者丸出しだな」
俺はそんなコロコロと表情を変える佐伯ゆいの様子を眺め、少し笑いながら呟く。
佐伯ゆいは俺が呟いたことを聞いていたのか、カーっと顔を赤らめた。
「そ、そういう直人くんはなんかちょっと落ち着いてるみたいですけど、スタバにきたことあるんですか?」
「二、三回だったらな」
「い、いつの間に……」
佐伯ゆいはそうつぶやくと、驚いたとばかりあんぐり口を開いた。
「ふん! でも住んでいる家が隣ですから直人くんも田舎者ですけどね」
佐伯ゆいは悪態をつきながら、腕を組んで頬を膨らました。
彼女の様子を見るにどうやらつい先ほどまで一生懸命頼むメニューを考えていたことをすっかり忘れてしまっているらしかった。
「それで、何頼むか決まったのか?」
「え、あ! そうでした……。フラペチーノを頼もうとは決めていたんですけど、抹茶もチョコも捨てがたいんですよね……」
「じゃあ、俺が抹茶のフラペチーノを頼めば、お前はどっちも試し飲みできるな」
まあ別に必ずしもカフェラテが飲みたかったわけでもない。
どうせならこんなに楽しそうにスタバを楽しんでいる佐伯ゆいに好きなものを頼んでほしかった。
「いいんですか⁉」
「ああ、俺は別に何でもよかったしな」
「えへへ、直人くんならそう言ってくれるって思ってました! じゃあ注文してきますね?」
佐伯ゆいはそう言って、上機嫌で注文をしにレジへと向かう。
「それわかってて話したのかよ……」
俺は佐伯ゆいがレジへと向かう背中を見ながら、ぽつりと呟く。
どうやら俺がメニューを変えると思って、巧妙におねだりをしていたらしい。
子供の頃からよく彼女にこんな風におねだりされて俺が折れるということが多かった。俺も多少は抵抗したのだが、徐々に巧妙化していく佐伯ゆいのおねだりに負けっぱなしだったのだ。
まあとはいえ俺の幼馴染は小ズルいところも可愛かったので別に損をした気分にはならなかった。
注文を終え、フラペチーノの抹茶とチョコを受け取り、席を探した。
幸い平日の昼過ぎということもあり、それなりに店内は空いており、特に待つことのないまま、窓際の二人用対面席に座ることができた。
店内は10年後と変わらず、落ち着いた雰囲気でいい感じの洋楽がかかっている。
こういうおしゃれな雰囲気が陰キャには似合わないとされ、陰キャはスタバに行ってはいけないとかいうルールが自然とできてしまったのだろうかとふと思った。
実際来てみると、それなりに快適な空間でフラペチーノとやらも初めて飲んだが、普通に美味しかった。
佐伯ゆいはというと、きらきらと目を輝かして、チョコのフラペチーノを夢中になっている。
あまりに美味しそうに飲んでいるので、俺の抹茶のフラペチーノも余計美味しく感じていた。
「おいしいですね! 直人くん!」
「ああ、こっちの抹茶も飲むか?」
「もちろんです!」
俺は自分のストローを抜いて佐伯ゆいに抹茶味のフラペチーノを渡す。
「俺もそのチョコ味もらっていいか?」
俺はチョコ味のフラペチーノを取ろうとしたのだが、佐伯ゆいは俺が取ろうとしたチョコ味のフラペチーノをそっと自分の方に引き寄せた。
「ダメです」
「どうしてだよ……」
「わたしにはどっちも食べさせてくれると約束しましたけど、わたしの分をあげるとは約束してません」
思い返してみると、たしかに佐伯ゆいは両方試し飲みできるとは言ったが、俺も貰うとは言っていない。
「たしかに言ってないかもな……。でもよ、俺もチョコ味飲んでみたくなったんだよ」
佐伯ゆいがあまりにおいしそうに飲んでいるので俺も食べてみたくなったのだ。
「そうですね……。じゃあ、一口くらいだったら飲んでもいいですよ?」
佐伯ゆいはチョコ味のフラペチーノに自分のストローを挿すと、俺の方に差し出してきた。
これは恋人同士がよくやるものではないだろうか……。
俺は目を泳がせて割と本気で動揺していたのだが、佐伯ゆいの明らかにからかいにきている顔が目に入った。
「えへへ、冗談です」
この小悪魔をどうすれば、反省させられるか一瞬のうちに考えた結果、俺は佐伯ゆいが出してひっこめようとしているストローを咥え飲み込んだ。
「う、うまいな」
うまいとは言ったが、俺にはあまりにも甘すぎて、どんな味か感じることができなかった。
「えっと、冗談のつもりだったんですけど……これって間接キス……」
佐伯ゆいはゆでだこのように真っ赤に顔を染め、ぼっと熱を噴き出していた。
「まあ、そのなんだ……すまん」
俺の頬も熱い。佐伯ゆいに負けないくらい顔を赤くしていると思う。
俺、頭悪すぎだろ。死にてえ……。
猛烈な恥ずかしさが少し収まると、なぜ俺はあんなことをしてしまったのだろうと、後悔が襲ってきた。
無くしたはずの黒歴史は、形を変えて新しく黒歴史ができていくだけらしい。
「えっと、抹茶もおいしかったです……」
「……おう」
佐伯ゆいはそういうと、抹茶のフラペチーノを返してきて、俺は気まずくなりながらそれを受け取った。
すると、何となくどちらも話さなくなり、気まずい沈黙が訪れた。
「そ、そういえば入学式どうだった?」
俺はその沈黙を取り消そうと、とりあえず無難な話題を選ぶ。
「楽しかったですよ? 新しい友達もできましたし。あ、もちろん女の子の友達ですよ?」
「別に男か女かは聞いてないが……早いな友達作るの」
「直人くんにもきっとすぐできますよ。早乙女さんという方でしたらもう既に友達になってたじゃないですか?」
「ああ、でもあれは友達なのかわからないけどな」
「そうですか? 連絡先を交換してたじゃないですか」
「ああいうやつは他のやつとも仲良くしてるんだよ。だからこれから話すことがあるか怪しいと思うぜ」
「そういうものなんですかね」
俺たちはそんな益体もない話をしながら、電車までの一時間近くを過ごした。
不思議と会話が途切れることなく長い時間話をしていたのだがいよいよ話題も尽き、俺たちは先ほど書店で買ってきた本を読み始めることにした。
スタバでは洋楽が鳴りやみ、ジャズのBGMがかかりはじめ、テナーサックスの音がかすかに鳴り響いている。
雑音の中、俺と彼女の間に会話はない。
なぜだかその静寂に気まずさは感じず、ただ心地のよさだけを感じていた。
その沈黙で、俺はやっと彼女との元の距離感が掴めたような気がして少し嬉しかった。
* * *
それから電車の時間が来て、俺たちは家の方面へ向かう電車に乗った。昼間ということもあって人は少なく、同じ車両には俺たちのほかに三、四人ほどしか乗っていなかった。
俺と佐伯ゆいは横長の席を独占し、隣同士座ると電車はすぐに動き出した。
それから10分ほど、電車の振動に揺らされていると、俺の隣で佐伯ゆいがコクコクと眠りかけている。
終いには完全に寝てしまうと、徐々に俺の方に体を倒してきて俺の肩に頭をもたれかかってきた。
「ちょっ、お前」
俺は一瞬起こそうと迷ったが、あまりに気持ちよさそうに眠っているので、起こすことをためらってしまった。
俺の顔は熱いがスースーと気持ちよさそうに寝息をたてて眠っているこの寝顔を守ることのほうが優先するべきかもしれない。
「……好きです」
突然、佐伯ゆいはそんな寝言を呟いた。それが寝言だとわかってはいても、ついその言葉にドキリとしてしまう。
俺はよくラブコメ漫画に出てくる鈍感系主人公ではない。
彼女に好意を向けられているのはきちんと気づいている。
本来の10年前の高校一年生の六月。高校に入学してすぐのことだった。
あの日のことは今でもはっきりと覚えている。
『直人くんのことが好きです。わたしの彼氏になってもらえませんか?』
今から二ヶ月後、俺は佐伯ゆいに告白されたのだ。
『すまん』
俺は彼女の気持ちに答えることができなかった。
当時いじめを受けている最中で付き合うとかそんなこと考える余裕などなかったのだ。
もしかしたら佐伯ゆいをいじめに巻き込んでしまうかもしれないというそんな不安もあった。
断ったことに後悔はしているけど、あの時は断る以外の選択肢はなかったと思う。
その後、俺は学校に行けなくなり、彼女との関わりは全くなくなり、それから10年間、彼女と話したことは一度もない。
そうして俺と佐伯ゆいの関係は終わったのだ。
10年後から帰ってきて距離感が変わっているけれど、いつまでこの居心地の良い関係は続いてくれるのだろう。
もしもだ。
もしもまた告白されるようなことがあれば俺はなんと答えるのだろう。
佐伯ゆいの気持ち良さそうな寝顔を見つめながら、そんなことを考えていた。
「フラペチーノ、抹茶味のほうが好きです……」
呑気にそんな寝言を呟いている佐伯ゆいを見て俺は苦笑してしまった。
先ほどの好きですという寝言はどうやら食べ物の話だったらしい。
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