断片集
抹茶風味
かくして花弁は淡く散りゆく
意識が飛んでいたのは一瞬のことだったらしい。
強い衝撃に軋んだ体を引きずり、漏れるうめき声をそのままに周囲を見回すと見慣れた背中が倒れ伏しているのを見つけた。
「大地っ。」
得物は砕け、満身創痍だがおそらくわたしを庇ったであろう彼はまだ息をしていた。
「ごめん、ねぇ…。あなたの気持ちには、応えられないのに、こんなところまで付き合わせちゃって。」
短く切揃えられた髪をざらざらと梳き、立ち上がると先ほどの激突で起こった土煙が晴れるところだった。
その先には、静かな炎を携えた、わたしの愛しい人が、この旅の終わりであり、始まりが静かに佇んでいた。
胸元がはだけ、それまで見えなかった禍々しい紅の光を放つペンダントに、右手の短剣に切っ先を合わせる。
あれを、壊せば、取り返せる。優灯を、この手に。
『現れよ氷神龍、あまねくすべてを停止せよ。』
相手の予備動作に合わせて用意していた最大魔法に全魔力をつぎ込み、具現化させる。
存在だけで周囲を凍てつかせる龍の咆哮が響くとともに、間髪入れずに左手のブレスレットに呼び掛ける。
「しろはねっ。」
現れた手のひらサイズの白銀の精霊に請う。
「お願い、あの時の契約をっ。」
悲痛に歪められた眦に涙をため、いやいやする彼女にしゃがんで目線を合わせる。
そっと人差し指を差し出すといつものように優しく両手で握ってくれた。
わたしをなんども勇気づけてくれた、ひんやりとした小さな掌。
そっと、その頬に伝う涙をぬぐってもう一度、ちょっとやさしく声をかける。
「おねがい、ね?もう他に手段がないの。」
「―――イヤ、イヤだよ。…だってこれをやったら、はねは、もう二度と、しずくちゃんに会えなくなっちゃう。」
イヤイヤと駄々をこねるこどものように首を振るしろはねを優しく抱き寄せ、その頭をゆっくりとなでる。
ひとりぼっちだったこの子を外に連れ出したのはわたしだ。それを、わたしの都合でまた一人にしちゃうのは胸が痛いけど、でもこれはどうしても譲れない。
わたしは、どんな犠牲を払っても優灯を助けるってそう決めたから。
「だいじょーぶだよ、しろはね。だって言っていたでしょう?魂は常に世界を巡っているんだって。きっとまた、生まれ変わって会えるよ。そしたらまた、友達になろう?」
えぐっ、えぐっとしゃくりあげるしろはねにほほえみかける。
この子は、わたしがいなくなってもきっと大丈夫。大地もきっと優灯も、わたしの忘れ形見として大事にしてくれると信じてる。
「だからね、お願い。もう、時間稼ぎの氷神龍ももたないから。わたしが、大事なものを取り返すために、力を貸して!」
もう全身水浸しになるくらいの涙を流したしろはねが右手を掲げると半分欠けた魔法陣が浮き出る。あの日、2人禁書庫で見たあの魔法陣。
精霊と人間を一時的に一体化させることにより絶大な力を引き出す禁術。
お別れは、やっぱり笑顔でしたかったなと思ってしまうのはわたしのわがままだな。
泣きはらしたしろはねの顔を見つめて苦笑する。わたしはもうこの子を笑わせることはできないから、お願いね、優灯。
自分も右手に反対側の魔法陣を現出させ、手を合わせる。
「ごめんね、それにありがとう。」
しろはねが最後にあげた嗚咽とともに契約がなされ、世界は白青色に塗り替えられた。
体が、軽い。さっきまでほとんど残ってなかった魔力がどんどん満ちていく。
精霊と一体化する魔法だって書いてあったからしろはねの言葉が聞こえるかと思ったけどそうじゃないんだな。ちょっとがっかり。
体内に収まりきらない魔力が放出されて、体から常に白青のオーラが出ていた。
軽く短剣を振ると余波で空間が凍結しているのを見て目を見張る。
これならなんとかなるかも。しろはね、ありがとう。
もう言葉を交わすことができない友に感謝をささげていると龍の断末魔と破砕音が響き渡った。
視線を向けると炎の鳥が龍を食い破ったところだった。一歩遅れて炎を纏った人影がこちらに近づいてくる。
「手間取らせてくれたな、侵入者。もう、積みだ。」
感情の感じられないそのセリフに無言で微笑みかけ、温存していた2本目の短剣を逆手で抜き放つ。
「もう一度だけ言うね。助けに来たよ、優灯。今、帝国の楔から解放してあげる。」
いつも通りの構えから一瞬で相手の懐に踏み込む。
お手本の型通りに一撃目で相手の剣をかちあげ、反対の剣で追撃。
反撃の斬り下ろしを受け流し、蹴りを入れる。
バックステップから間を取るように放たれた火鳥を氷の刃で切り裂き、追撃の氷槍を放つ。
「やばい、押してるけど、このままじゃ時間が足りない。」
負荷に耐え切れずに、腕の一部が砕けるのを知覚して焦りが口をつく。
今までの戦闘でもっとも問題だった魔法の出力差で逆転したものの、あと一歩詰め切れていない。
炎槍を躱し、氷撃を飛ばし、斬撃をいなし、蹴りを入れる。
また一部、体が欠ける。
少しずつ制御しきれなくなった冷気が床を凍らせ、空間に花を咲かせ始める。
苦し紛れに相手が身に纏った火鳥を解き放つのを氷の蔓で絡めとる。
蔦が森を形成し、優灯との間にできた空間にため息を流し込む。
まだ、わたしは生にしがみつこうとしている。まだ、後戻りできると、取り返した後に未来があると、この魔法を発動させた時点で元には戻れない現実から目をそらそうとしている。
短剣を仕舞い、両手で頬を叩く。
冷え切った空間にパァンと大きく音が響くとともに火鳥が消滅し、視界が開ける。
精気の感じられない、紅い瞳と目が合う。
わたしは、紅く燃え上がる、あの瞳が好きだった。目の前で連れさられたときですら、希望を失わなかったあの瞳をもう一度見たかった。もう一回、優灯に笑いかけてもらうためだけに、今まで努力してきた。
そう、ここで出し惜しみをしたら、今までの全てが無駄になってしまうんだ。
これまで手を貸してくれたみんなの好意を無駄にはできない。
なにより、わたしがわたしを許せなくなってしまう。それはダメだ。
呼吸を整え、無意識につけていた枷を一つずつ、意識的に外す。
震える手をごまかそうと、左手のブレスレットにつけられた白青色の宝玉を撫でる。
お願い、しろはね。あとちょっとなの。勇気を、…ちょうだい。
吹き出した白青色の魔力が空間を白銀に染め上げる。
もはや、部屋のすべてが凍り付いたことでそれまで眉一つ動かさなかった優灯の表情が驚愕に歪む。
「おまえは、お前は一体…。」
晴れ晴れとした顔で笑いかける。
「わたしは、水龍しずく。あなたの幼馴染。」
それだけ言うと全力で突撃を敢行する。一瞬で全身が凍り付き始める。
左手を振るう。相手の盾が壊れる。左手が砕け散り、すぐさま氷で補完する。
右足を振るう。相手の鎧が壊れる。右足が砕け散り、すぐに氷で補完する。
左足で蹴り上げる。相手の剣が壊れ、左足が砕け散る。
「うわぁぁぁぁっっっっ。」
届けっ、とどけっっ、とどぉけぇぇぇっっっ。
右手に握った刃が寸分たがわず胸元のペンダントを刺し貫き、右腕とともに粉砕した。
永く、苦しい夢を見ていた気がする。
ぼくは目を開けると美しい氷の少女に抱き留められていた。
ここはどこなんだろう。鈍く痛む頭を振り、動こうとすると目の前の少女の瞼がゆっくりと開かれた。
ずいぶんと見ていなかった気がする。青空に星を閉じ込めたようにきらめく美しい瞳。
大事な幼馴染と同じ瞳。
「ゆう、と。」
清らかな泉のような、耳に馴染むその声で直感的に理解した。目の前の少女は、いつも一緒にいたあの幼馴染なのだと。記憶にあるよりかなり大人っぽく、綺麗になったその姿に、かつてと同じように優しく呼び掛ける。
「しずくちゃん。」
目の前の少女が満足そうに微笑み、うれしそうな声を出した。
「あのひの、やくそく、はたしにきたよ。やっとたすけられ、…た。」
…約束ってなんだろう。首を傾げそうになったけど体の奥から湧き上がってきた衝動をそのままに口に出す。
「ありがとう。ずっと、ずっと待ってたよ。」
その解答を聞くと役目を終えたかのように瞼を閉じ、笑みを保ったまま少女は活動を停止した。
ぼくはすっかり冷たくなったその体に寄りかかると、そのまま目を閉じた。
断片集 抹茶風味 @ryokutyamania
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