昼過ぎ

 ロサンゼルス。

 2週間後の昼。

 ライツ・ビルの2階。

 レイの事務所 兼 住居。



 CIA長官ウォーロックは、口からタバコの煙を吹き出した。

 面長の顔にぴったりと撫で付けた髪、四角い眼鏡をかけている。機械を思わせる冷たさが全身から漂っていた。

 テーブルの反対側に座るラフな格好のレイも紫煙を吹き、二人の煙はぶつかって消えた。レイは部屋着でも、黒ばかり着ている。

「ロバート・マクドーマンドは、事故死、ということになったよ」 

 古いソファに座り、背もたれに腕を伸ばしつつ言った。

「嵐と落雷により書斎の天井が崩落、下敷きになって死んだ、とね。いま国葬の準備がはじまっている」

「国葬かよ。村人や子供を30人以上殺したジジイだぞ」

「その証拠は? ない。我々も探さない。となれば彼は偉大なる長老議員だ。建前というのは国の運営にとても大事なのだ。わかりたまえ」

「フン」レイが不満げに鼻を鳴らすと、タバコの煙が鼻から出た。

「それから、老人の司法解剖の結果だがね」

 長官はタバコを挟んだ方の指で、自分のこめかみを押した。

「脳の腫瘍が大きくなっていた。以前の検査で見つかったものだが、彼は手術を嫌がってね。

 そいつが脳の理性を司る部位を押しつけた結果、あんな奇異で危険な行為に走らせたと……」

 横を向いて、タバコを吸う。

「今のは、あくまで私の想像だ。あるいはどこぞの悪魔にでも囁かれたのかもしれん。王になれ、神になれ、と」

「石板の村を襲った部隊は。突き止めたんだろうな」

「民間の傭兵会社だった。すべて外国のことだ。こちらから手出しはできんし、君にも教えるつもりはない」

 レイは苛立たしげに、まだ半分残っているタバコを灰皿に押しつけた。

「話は終わりか?」

「ああ。以上だ」

「じゃあ、帰ってくれ。これから客が来る」

「そうかね。こんな場末の何でも屋に依頼人とはな──ところで、天使の彼はどうした?」

 レイは目をそらした。唇を軽く噛む。

「その容態を知らせに来るんだ。大天使のラファエルがな」

「おや、あのうるさい天使かね。また口論になるといけないから、私はおいとまするとしよう……」

 ウォーロックはくわえタバコで立ち上がり、雑然とした事務所を縫うように歩いていった。

「長官さん」レイは事務所のドアを開けたウォーロックの方を見ないまま言った。

「正直に言う。俺はあんたが苦手だ。だからもう、ここには来ないでくれるか」 

「いや、レイ君。用事があればまた来るさ。それに──」

 口からタバコを取り、レイに示す。

「最近タバコを気軽に吸える場所が少なくなってね」



 ウォーロックがドアを閉めた直後から、レイの動きがそわそわしはじめた。

 立ったり座ったり、意味もなく仕事机のものをいじったり、スマホを眺めたり投げ出したりする。 

 新たなタバコに火をつけて吸いつけた時、ノックの音がした。

「はい!」と返事をしながらドアに駆けより、勢いよく内側に引いた。



「タバコ!!」

 廊下に立っていた女の一言目がそれだった。

「あなたまたタバコを吸ってるのね。タバコは嫌い。二種類の香り。ウォーロックか。あの男は好かない。人間の冷たい部分の結晶のような奴で。臭いからドアは開けておくわね。まったくここは臭いもひどければ整理整頓もなってないとんでもない事務所」

 女は話しながらカツカツと事務所内に入る。モスグリーンのスーツにスカート、黒いヒールを履いて、長い金髪をまとめている。巨大な目と口がぐりぐり、ぱくぱくと動く。

「ラファエルさん」

 女は振り返り「なに?」と聞いた。

 レイの声は震えていた。

「レリエルは、どうなりましたか」

「あの子? 死んだわよ」

 レイの唇から、タバコが落ちた。

「嘘。ジョーク」

 紅潮したレイの顔が白に戻った。

「やめてくださいよ……」 

 ラファエルは屈んでタバコを拾い、レイに差し出す。

「冗談キツすぎた?」

 レイはそのまま受け取り唇に挟んだが、「熱ッツゥ!」と叫んでまた唇から取り落とした。火のついた側を向けられていたのだ。

「ほら、タバコはよくない。臭いし危ないし体に悪いし、いいことナシだわ」

 ラファエルは再度拾ったタバコをキュッ、とひねった。タバコは何処かに消え失せた。

「レリエルは、無事なんですね」 

 からかわれたことを咎めることなく、レイはすがるように尋ねた。

 ラファエルはウ~ン、と首をかしげてから、一気にまくし立てた。

「それが彼ね、毎日毎日いろんな天使たちにかわるがわる傷痕を見られてゆっくりできないみたい。何せわけのわからないハチャメチャな理屈で負ったケガで前代未聞ってんだから見物客もひっきりなしよ。下界で言う危篤とか重体なんてのではないけどまぁ大ケガは大ケガよね。ああ傷ついて安らかな休息もとれず可哀想なレリエル。ところであなただいぶやつれて真剣な顔してるけど、彼のことをそんなに心配してたの?」

「心配してましたよ!!」

 レイは叫んだ。叫んでから、顔をそらした。ラファエルの手口に引っかかったことに気づいたのである。 

「そう……心配してたんだ。そこでね、ひとつ聞きたいんだけど」

 ラファエルはレイが顔を向けている方に回りこんだ。下から覗きこむ。

「あなた、彼とのコンビについて、どう思ってる?」

「どう……って?」

 ラファエルはゆったりと、レイの体の周りを歩き出す。

「私たち今まで、悪魔や聖物絡みの事件をいくつも、あなたの元に持ち込んできたわ。

 毎回レリエルと組ませてまぁ、だいたいは、比較的、穏便に解決してきた。

 けど今回は大変だった。十戒の石板が砂になった件は、あなた方の手落ちではないにせよ──

 こっちが派遣した天使が負傷したことに、非難の声が上がっていることも事実よ。

 下界に生まれ下界に詳しいとは言え、悪魔の子と天使を組ませるなど、最初から反対だった──

 そういう意見が噴出してるってわけ。そこで私が聞きたいのは」

 足を止め、また顔を覗きこむ。 

「彼とまたやっていきたいか、それともこれからは一人でやるか、ってこと」


 日頃、困ったり迷ったりはしないレイの顔に、困惑が広がった。 

「そう……そうだな……」

 数歩進み、ソファに腰かける。手を合わせて、指を組んだ。


「天使相手に、告解って、できますか」


 レイは聞いた。ラファエルはいいわよ、と答えた。



「…………俺、実は、あの議員と戦ってる時に、悪魔になりかけたんです。身も心も、完全に。

 どうにか制御しながら戦ってたんですが、相手に、傷ひとつつけられなくて。

 必死になっているうちに、こう、理性がぼんやりとしてきたんです。

 その瞬間、巨人に殴り飛ばされて、瓦礫に埋もれて……そこで記憶が飛んでるんです。

 でも、声が聞こえたんです。俺を呼ぶレリエルの声が。遠くの方から。

 それでどうにか自分を取り戻して、ふたりで最後まで戦えたんです。

 ──俺が悪魔になったら、レリエルはあの剣で、俺を殺すことになってるんですよね?」

 ラファエルは眉を上げた。「知ってたの? いつから?」

「最初から」

「あら、そう……」

「不死身の天使にあんな聖剣を渡すなんて、不自然だなと思ったんです」 

「ふぅん、なるほどね」

「それで……俺が悪魔になっちまった時に、レリエルは俺を殺さなかった。

 話しかけて、起こして、目覚めさせたんです。暗がりの奥の方から引き戻してくれた。

 貴方たちに殺すよう指示されてたのに、そうしなかったんですよ。あいつは。

 そりゃあ、言うことを聞かない天使の存在は、貴方たちは不愉快かもしれませんけれど──

 でも俺は、そんなあいつとパートナーを解消したいだなんて、思いません。絶対に。あいつは優しいやつです。

 レリエルは、俺の、大事な相棒です」


 昼の太陽がブラインドの隙間から入り、レイは光に包まれているように見えた。

 ラファエルは腕を組んで、レイの顔に目を当てて、長い間黙っていた。お喋りの彼女としては、異常な行動だった。

 沈黙に耐えきれなくなったらしい。レイが口を開いた。

「それで──レリエル本人は、どう言ってるんです? 俺とのコンビについて──」

 ラファエルは腕を組んだまま深く息を吸い、吐き出した。

「本人に聞いてみれば?」

「え?」

「ほら、聞いてたでしょ。入ってきてもいいわよ」



 開いたドアの向こうに、白いパーカーを着た青年が現れた。

 青く澄んだ瞳が、かすかに濡れていた。

「レイ君──」

 レイは立ち上がった。

「レリエ……」

 レリエルは駆け寄り、レイの身体を抱きしめた。

「おやまぁ」ラファエルは呟いた。

「……私もです。私もあなたと、一緒にやっていきたいです」

 抱きしめられ、のけぞるような姿勢になったレイの口から、ハッ……と強く、嬉しそうな息が洩れた。黒い瞳がうるんだ。

 レイは相手を、優しく体から引き離した。

「わかった。レリエル。一緒にまた、やっていこうぜ」

「……はい!」

「はいっ。ということでね、レリエルは今日からここに住むことになったからレイ君、衣食住掃除洗濯その他、よろしくね。あと下界の生活やロスの街や社会常識についても懇切丁寧に教えてあげて。この子本当にそのへん無知だから」

 ラファエルは言う。

「は? 一緒に住む、って」

「あちらにいると見物人や参列者が来てゆっくりできないって言ったでしょ。それにいちいち事件のたびに上からレリエルがこっちに資料を持って降りてくるのには手続きや肉体の変成が面倒なのよ。資料は今度からはスマホかPCに送るからそのつもりで。文明の利器って楽で便利でいいわ。天界も全面的にテレパシーなんかやめればいいのに」

「でも食費や家賃が。ひとりで生活するにも厳しくて」

「こっちから補助金を出すわ。事件のたびに依頼料や経費も出ることになったから。一応はこちらの都合でレリエルを住まわせるわけだからね。ハイこれ今月分、なかなか結構な額でしょう」

「……はい、これは、結構な額です……ありがとうございます」

「下の大家さんにもお話は通してあるから。あの人明るくて楽しげでいい人ね。ちょっと変わったところもあるわね。あの人インド系? ところでレリエルのことなんだけど、羽根がもげるなんて前代未聞のことだからつけ直していいのかまた生えてくるのかわかんなくてそのままにしてあるの。ヒーラーが聖なる力を戻してくれて怪我もせず不死身の体には戻ったけどしばらくは食事も睡眠も人並みに必要みたい。片翼じゃ飛ぶのは無理だからあとはうまく工夫してね。あっそうそう」

 ラファエルはいきなり背中の空間から細長いものを取り出した。抜き身の聖剣だった。

 それを机の真ん中にドスッ、と刺した。 

「あなたが悪魔になったら、彼があなたを殺すっていう指示は、そのまま変わりないから。よろしく」

 室内に、張りつめた空気が満ちた。

「これは、必要ありません」レリエルが言う。「今回のように私がどうにか」

「できないかもしれない」

「けどあの夜、主に祈った時に光った雷でこの剣を見つけ、それで勝てたんです。これは主の……」

「その剣を示した雷光が、本当は『剣をもて悪魔を貫け』という意味だったとしたら? つまりあなたが主の意向を曲解した、と」

「──────」

「もういいよ、レリエル。そういうことでこの聖剣、借りておこうぜ」レイが割り込んだ。「こういう扱いには、慣れてるからさ」

「そう。聞き分けがよくて結構。それから、ちょっと業務連絡があるの。レリエルを少し借りるから」


 ラファエルは指でレリエルを招いた。廊下に呼ばれ、ドアが閉められた。


「用件は二つ」ラファエルが言う。

「ウォール街で噂になってる。ジョン・プレザンスがある日突然、廃人同然になったって。あなたたちが侵入したあの日の翌日から。レイにそんな芸当ができるわけない。となればあなたしかいないことになる」

「──すいません、あの社長は子供を」

 シッ、とラファエルは歯を剥き出した。

「理由なんてどうでもいい。それは我々の仕事じゃない。普通の罪人を罰するのは主のわざ。あなたのやることじゃない。出すぎた真似をするのは悪い天使よ。わかった?」 

 レリエルははい、と頷いた。

「もう一点、あなたを処罰せずに下界に下ろした理由について。あなたと彼の相性は悪くないらしい。悪魔が覚醒しかけたのを押し込めるだなんてなかなかできることじゃない。だから彼と生活を共にして、もっと悪魔の子の牙を抜きなさい。あれをうまく飼い慣らして、上手に使いなさい。わかった?」

「わかりました──けど」レリエルはラファエルの瞳をまともに 見た「ひとつだけ、訂正させてください」

「なあに?」

「飼い慣らすとか、使うなんて言い方はやめてください。彼は犬じゃなく人間です。それに彼は──」 

 レリエルは言葉を切った。

「私の相棒です」

 ラファエルは、腰に手を当てた。 

「生意気言うじゃない。あなた、何だか人間臭くなってきたわよ?」

「そうでしょうか」

 レリエルは腕を持ち上げて、袖の匂いを嗅いだ。

「おろしたての服なんですが……」

 ラファエルは、目の前の青年を呆れた様子で眺めた。

「……まぁ、なんというか、上手くやってちょうだい」

 ドアを開ける。「それじゃあねレイ君、連絡がいつでもつくようにしておいてね! じゃあまた!」

 明るく跳ねるような声で挨拶すると、ラファエルは軽やかに階段を降りていった。

「嵐のような大天使様だな」

 レイは部屋の中で立って待っていた。 

「えぇ、とてもパワフルな人です」

 レリエルは言いながら、机から抜かれ、無造作に壁に立てかけられた聖剣に目をやった。

「聞かないんですか。業務連絡の内容」

「聞かねーよ。だいたい見当はつくし、それで俺たちの関係は、変わらないだろ」

 レリエルの頬が、少し赤くなった。そうですね、とだけ言った。 

「そんなわけで、まぁ、汚い事務所 兼 住居だが、我慢してくれよな」

「我慢できません。掃除します」 

 その返答を聞いて、レイは笑った。レリエルも笑った。


「じゃあ──よろしくな、レリエル」

 レイは握った拳を前に出した。


「レイ君、よろしくお願いします」

 レリエルはその拳を、両手でぎゅっと握った。


「うん、そうじゃねーんだよ。グータッチつってな、ふたりの拳を合わせるっていう挨拶で」

「そうなんですか」

「一回離そうか」

「これじゃダメなんですか?」

「カッコ悪いだろ」

「そうでしょうか……?」

「いいから、離せってば!」

 レリエルは拳を握ったまま、なかなか離さなかった。

 あの夜明けの時のような、レイの優しい温もりが、レリエルの手の中に広がっていたからである。






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