夜明けまで
二人並んだ青年、一方の顔は病的に白い。瞳が赤いため余計に白く見える。首から下は黒い毛と棘に覆われて、装甲を着込んでいるかのように見える。
もう一方の青年は透き通るような肌で、瞳も透明に青い。白いパーカーに血がにじんでいるが、雨に濡れて朱は薄くなっている。右の手に、剣を握っていた。
黒い方の青年は、左の肩から漆黒の翼。
白い服の青年は、右の肩から柔らかな白い羽根。
二人は並んで体を寄せ合い、肩を組んだ。
「レリエル」
「何ですか?」
「俺、ちゃんと飛んだことないんだ。頼むわ」
「私も、片翼で飛ぶのははじめてです。よろしくお願いします」
二人は黒い翼と白い羽根を同時にはばたかせて、浮き上がった。
書斎の天井の穴を、巨人の頭を一気に抜けた。
空高く舞い上がった。
雲に手が届くくらいまで。
「いけましたね」
「ああ、いける」
「まずは試しに、顔ですか?」
「そうだ。眉間に一撃、ぶち込んでやろうぜ」
その高さから二人は急降下した。
天使と悪魔は、音速並みの速さに達した。
真下に、困惑した顔で見上げている、膨れ上がった巨人の顔がある。
「いくぞレリエル!」
「はい!」
「「せーのっ!」」
落下の勢いそのままに二人の拳が巨人の眉間、同時同点にぶち当たった。
巨人の野太い叫びが空気を震わせた。太った指で眉間を押さえる。
「効きました!」
「お前の言った通りだ!」
レリエルの考えとは、こうだった。
ロバート老には、攻守共に、聖と邪の力が宿っている
攻撃力は甚大だ。悪魔のレイも、天使のレリエルも一撃でやられた。
しかし防御の方は完璧ではない。ごくわずかな隙間はある。ヒジの入った顔面や、1ミリだけ刺さった腹部──
「だが、攻撃はその程度しか効かない。俺の攻撃は悪の力に、お前の攻撃は聖なる力によってはね返される」
「そうです。私たちそれぞれの攻撃は効かない。でも──、一緒に攻撃すれば、どうですか?」
「一緒に?」
「私のこの聖剣と」剣を持ち上げた。「あなたのこの悪魔の爪で」レイの尖った手を持ち上げる。
「あそこから、切り裂くんです」
レリエルは顔を上げた。
石板の力で巨体化した老人の腹には、1ミリ強から十センチほどに拡大した聖剣の傷痕が残っていた。
吠える巨体の脇を落ちながらすり抜け、二人は地面すれすれで急旋回する。
水たまりの上を滑るように二人は飛び、また空へと舞い上がる。
中空で揃って静止し、息を整える。
「レリエル」レイは言った。
「羽根の傷、つらくないか?」
「愚問です。はじめての痛みですよ。つらいに決まってます。でも、」
レイを抱くレリエルの手に、力が入った。
「あなたと一緒なら、大丈夫です」
「……そうか!」
レイは笑った。
「じゃあ行くぜ!」
「はいっ!」
二人の体はひとつになったように斜めに傾ぎ、音速を越えた。
「虫ケラどもが……! ブチ殺してくれる……!」
巨人が伸ばした手の間を見えない速さで抜けた。
床の上で一瞬、二人は止まった。
地面に広がる大きな水たまりに、爪先の波紋がふたつ、広がった。
「神にたてつく者ども……! 許さんぞォっ……!」
人外の顔についた口が動いた。
レリエルは右手で、剣を横に構えた。
「神の名の下に──」
レイは左手を広げた。尖った手が赤と青の炎に包まれた。
「冥王の力により──」
頭上から腕が伸びるその刹那、風が斜め上に飛んだ。
白と赤と青の線が、巨体の腹部から袈裟斬りに一本、走った。
「なっ……」
巨人は、小さく言った。
「安らかに」
「眠れ」
空中でレリエルとレイがそう言った途端、巨人の腹が裂けた。
「ごあぁッ…… なに……なにが……」
巨人は膝を付いた。その衝撃で腹の中にあったものがあふれ、こぼれ出す。
黄金、御札、陶器の欠片、短く削った人の骨、布切れに髪の毛……
それらの物品を取り巻いているのは、大量の黒い泥だった。所々に金色や紫色が混ざっている。
聖なるものと邪悪なものが撹拌された結果、黒色へと行き着いたに違いなかった。
「……あれが臭いの正体か」レイは浮きながら呟く。「ここにいても目にシミるほどキツいぜ」
割れた腹から汚泥が流れ出るに従って、巨人の巨体はどんどん縮まっていった。
皺の寄っていく腕を、どこかに差し伸べる。
「私は……私は……! 神になるのだ……! 世界を統べる、真の王、に…… わたし、は…… まだ……」
床に溜まっていた雨水を押し流し、書斎の床を、床を埋め尽くしている本や道具を全て覆ってしまった頃、泥の流出は止まった。
巨人がいた場所には、ひとりの老人が正座していた。
裸の皮膚は浅黒く、たるんでいる。肉体はミイラの如く小さく、しぼんでいた。
腹から出た泥が下腹部を覆っている。指が、泥を掻き寄せるような仕草をしていた。
老人の口と目からは、血涙が細く流れ出ていた。
米議会の長老、ロバート・マクドーマンドは、その姿で事切れていた。
いきなり横から射してきた光に、レイは目を細めた。
「はは、レリエル。見てみろよ。朝日だ」
灰色の雲が逃げるように流れていく。その間から、太陽が昇りはじめていた。
二人の体を、朝日が包んでいく。
「結局、徹夜仕事になっちまったなー。チャチャッと終わらせるつもりだったんだが……おい、レリエル、どうした?」
レイは一向に返事をしない、肩を組んだ天使の方に目をやった。
レリエルの瞼は、半分閉じられていた。
羽根の力と腕の力だけは維持しているが、その他の全身は脱力しつつある。重心が傾いている。
「レイくん……私……ちょっと、おかしいんです……」
「レリエル?」
レイは黒い翼をはためかせ、ぎこちなく地上へと降りた。汚泥を避け、うつ伏せに倒れた本棚の背板に乗る。
肩を離して、レリエルを抱きかかえて身を寄せた。
「どうしたんだ、レリエル」
「あいつを倒した後で、気が抜けたら……急に瞼が重くなって……体も重くって……」
「おいまさか……寝るんじゃないぞ。目を閉じちゃダメだ。おい、おい!」
「私……変な気持ちです……ねぇ、レイ……」
朝日の中に横たわる天使の青い瞳が、どこでもない遠くを見つめた。
「朝の光……君の体……とても……あたたかい……」
レリエルの瞼が、静かに閉じた。
「──レリエル?」
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