第306話 精霊の口づけ

「ふふ! たくさん食べるぞ!」


 ルフランへと向かう途中、サクヤさんが嬉しそうに宣言する。

 はは、俺としてもサクヤさんが美味しそうに食べる姿を眺めるのは望むところ……いや、むしろご褒美ですよ。


「フフ……モチロン、このワタクシも今日ばかりは食べますわヨ!」

「お! いつも少食のサンドラが珍しいな!」

「エエ! ストレス発散には、甘いものが一番なんですノ!」


 そうかー、女の子はそうだよなー。


『はうはう! 当然[シン]もたくさん食べるのです!』

「[シン]はなー、いつも勝手に食べてるよなー」

『はう!? そそ、そんなことないのです!? 普段は控えめなのです!?』


 俺がジト目で睨むと、[シン]は焦った表情で否定しつつ、サッと目を逸らした。

 というか、俺の財布の中身がお前の食いっぷりのせいで、いつもあっという間に飛んでいくんだけど。


 とはいえ。


「はは……今日は[シン]も頑張ったから、たくさん食べていいぞ」

『はう! やっぱりマスターは優しいのです! 大好きなのです!』

「うおっ!?」


 満面の笑みを浮かべた[シン]が飛びついてきて、俺は思わずよろめいてしまった。


『えへへー、そんな大好きなマスターに、お礼のしるしなのです』

「ん? お礼のしるし、って何……っ!?」


 ――ちゅ。


 なんと[シン]は、俺の頬にキスをした!?

 と、といってもまあ、娘がお父さんにするような、愛情表現みたいなモンだろうけど。


 だけど。


「なななななななななな!?」

「アアアアアアアアアア!?」


 サクヤさんとサンドラは、真っ青な顔をしながら大声で叫んだ。

 イヤイヤ二人共……子どもの、しかも精霊ガイストのしたことなんだから、これくらいでそんなに驚かなくても……。


「シシシ、[シン]! いくらヨ……望月くんの精霊ガイストだからとはいえ、もっとわきまえるべきではないのか!?」

「そそ、そうですわヨ! それに、ヨーヘイもヨーヘイですワ! こういうことは、ちゃんと教えておかないといけませんのヨ!」

「ええー……」


 [シン]ばかりか、俺にまで飛び火してきた……。


「えへへー、それなら藤姉さまもアレク姉さまも、同じようにすればいいのです」


 そう言うと[シン]は、にぱー、と笑いながらコテン、と首をかしげた。

 でも、一見無邪気なように見えるその姿が、今日に限っては何故か挑発的に見えたのは気のせいだろうか……。


「そそ、そんなこと! わわ、私がヨ……望月くんにそんなことをするなんて……するなんて……する……」

「なな、何言ってますノ! ワタクシがヨーヘイの頬にキス……する、んですの……?」


 すると二人は、とろん、と熱を帯びた瞳で俺を見つめる。

 イイイ、イヤ、二人共何考えてるの!? [シン]と違って二人がしたら、意味が変わっちまうからな!?


「と、とにかく! 早く行きますよ!」

「あ……」

「ア……」


 二人が一瞬残念そうな表情を浮かべたけど、俺はあえてそれに気づかないフリをして、スタスタと先に進む。


『んふふー……[シン]の勝ち、なのです……(ボソッ)』

「[シン]、何か言ったか?」

『はう! なんにも言ってないのです!』


 ? [シン]の奴、何か呟いたような気がしたんだけどなあ……。


 俺は首を傾げつつも、とりあえず[シン]を抱えたままルフランを目指した。


 ◇


『んふふー! ウマウマなのです! どんどん持ってこいなのです!』


 既にテーブルの上にはジェラートが五つもあるってのに、まだ注文するのかよ……。


「ふふ! このカボチャのモンブランの濃厚な甘さときたらもう!」

「ヤッパリ、このサワークリームスメタナタップリのスメタンニクこそ至高ですワ!」


 ウンウン、二人共美味しそうに食べてなにより。

 さて……それじゃ俺も、ガトーショコラでも食べ……「じー」……サクヤさんがメッチャ見てる。

 食べたいんですね? 分かります。


 俺はス、とガトーショコラを皿ごと差し出す。


「むむ、その……いいのか?」

「……(コクリ)」


 おずおずと尋ねる先輩に、無言で頷いた。


「う、うむ! では……!」


 そして今日も、サクヤさんは遠慮なくガトーショコラをフォークで削りに削ると、そのまま口へと運ぶ。


「! ふふ……美味しいな、ヨーヘイ・・・・くん!」


 うん、喜んでくれてなにより……って!?


「……ヘエ、先輩はヨーヘイのこと、下の名前で呼ぶんですのネ……?」


 サンドラがとてつもなく低い声でそう言うと、ギロリ、と俺を睨みつけた!? というか俺かよ!?


「あうあうあう!? そそ、その、だな……これには深いわけが……」


 答えに困ったサクヤさんが、縋るような瞳で俺に助けを求めてくる!?

 いや、俺じゃムリですよ!?


「ヨーヘイ、どういうこト?」

「うえ!? い、いや、そのー……」


 さて、どう答えようか。

 ありのまま『俺が先輩に頼んで下の名前で呼んでもらうことにした』なんて言ったら、この楽しかった空間が地獄と化すのは必然だよなあ……。


「じ、実は、中条の奴がサ……先輩のことを下の名前で呼んで馴れ馴れしくするモンだから、先輩は虫よけの意味でそう言ったんだよ……」


 ただし、実際に見かねて下の名前で言ったのは、先輩じゃなくて俺だけどな。


「フウン……なんだか、悔しいですワ……」


 口を尖らせ、サンドラがうつむく。


「じゃ、じゃあサンドラも俺のこと“ヨーヘイ”……って、これじゃいつもと変わらないな……」


 そういえば、サンドラに関してはお互いにファーストネームで、しかも俺に至っては愛称の“サンドラ”で呼んでるし。

 うん、これ以上の親しい呼び方はないな。


 すると。


「むううううううううう! そ、それはズルいではないか! わ、私なんて、やっと“ヨーヘイ”くんに“サクヤ”さんと呼んでもらえるようになったのに!」

「あああああああああ!?」


 サクヤさん!? なんで傷口を広げるような真似を!?


「ヘエー……ヨーヘイは、先輩をサクヤさん・・・・・って呼ぶんですノ……?」

「いいい、いや、さすがに片方だけ下の名前で呼ぶのはフェアじゃないというか、なんとか……」


 く、くそう! この状況、なんとかならねーのか!

 俺はわらにもすがる思いで[シン]を見やると。


『プークスクス! マスターが修羅場ってるのです!』


 チクショウ! マスターの生命の危機だってのに笑いやがって!


 結局、頼りにならない俺の精霊ガイストを尻目に、俺はサンドラとサクヤさんから責められ続けた。

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