幕間

第30話 一人ぼっちの彼と孤独の私①

■桐崎サクヤ視点


 最初は、ただの興味本位だった。


 新入生が入学してきた次の日の放課後、あの初心者用の領域エリアの小屋の前で、一人の男子生徒が自分の頬を叩くと、扉を開けて中に入ろうとしていた。


「君、そこで何をしている?」


 興味が湧いた私は、その男子生徒に声を掛けた。


 普通、この領域エリアに入ろうとする生徒なんてこの学園にはいない。

 何故なら、己を鍛えるには出現する幽鬼レブナントは弱すぎる上に、その規模も学園にある領域エリアの中で最小、手に入るアイテムも役に立たないものばかり。


 つまり……我々生徒にとっても、何の価値もないのだ。


 なので、今はせいぜい新入生に領域エリアを知ってもらうための見学にしか使われていない。

 そんな場所に、この男子生徒が入ろうとしているのだから、不思議に思うのは自然なことだった。


「初心者用の領域エリアに入ろうとする生徒がいるなんて、珍しいな」

「そ、その、今日の授業でせっかく見学できたので、もっと中をよく見ようと思いまして……」


 私の問い掛けに、緊張しながら答える男子生徒。

 着ている制服の真新しさやその言葉から、どうやら新入生のようだ。


 さらに尋ねると、やはり彼は新入生だった。

 名前は、“望月ヨーヘイ”。


 彼の答えに得心した私は、初心者用の領域エリアの探索に付き合ってみることにした。

 危険はないとは思うが、それでも新入生が一人で領域エリアに入ろうというのだ。万が一ということもある。

 それに……何故か分からないが、そんな彼がどうしても気になってしまったのだ。


 彼は遠慮するが、私は少々強引に彼の手を引いて初心者用の領域エリアの扉をくぐった。


 中に入ると懐かしさを覚えた私は、つい調子に乗って[関聖帝君]で現れる幽鬼レブナントを全て倒してしまった。

 せっかく彼が初心者用の領域エリアの探索に来たというのに、だ。


 一方で、そんな彼はと言えば、[関聖帝君]に見惚れているようだった。

 確かに私の精霊ガイストは、上級生である三年生を含めてもこの学園で並ぶ者はいないほどの強さを誇っている。

 それは、この学園の者なら誰しもが知っていることだが……ふふ、それでも、こんな眼差しを向けられたら悪い気はしないな。


 気を良くした私はガイストリーダーを取り出し、彼に[関聖帝君]のステータスを見せてあげた。

 すると彼は、驚きながら感嘆の声を漏らすと共に、[関聖帝君]の弱点である【水属性弱点】について遠慮がちに尋ねてきた。どうやら、それを見てしまったことを気にしているようだ。


 ふふ……彼女・・などはこの私を追い落とそうと必死なのに、彼ときたら逆に私を気遣うとは、な。


 そんな彼に好感を持った私は、帰りは彼に幽鬼レブナントの相手をお願いした。

 行きでやり過ぎてしまった罪滅ぼし的なものもあるが、それよりも彼の精霊ガイストと、どんな戦い方をするのか興味を持ったのだ。


 だけど、彼は少し悲しそうな表情を浮かべて戸惑っていた。

 何かあるのだろうか……。


 そして、私達の前に幽鬼レブナント……“ホーンラット”が現れると、彼は精霊ガイストを召喚した。


 そんな彼の精霊ガイストの風貌は、“グラハム塔”領域エリアに出現する幽鬼レブナント……“ゴブリン”にそっくりだった。


 彼の精霊ガイストが戦闘を開始すると、彼の指示を受けて素早く、かつ的確にホーンラットを追い詰め、その手に持つ棍棒で何度も殴りつけ、ホーンラットは幽子とマテリアルに変わった。


 そんな彼等の戦闘を見て私が最も注目したのは、彼と精霊ガイストの信頼関係だった。

 確かにその姿が現す通り、彼の精霊ガイストの能力はゴブリンのそれ・・だろう。

 だが、自分達の能力を補うかのように、その立ち位置や戦法など、その動き全体が洗練されているように感じた。

 そして、それ以上に彼は精霊ガイストを信頼し、精霊ガイストも彼を信頼する……まさに、精霊ガイスト使いと精霊ガイストの関係の理想像だった。


「……終わりました」


 でも、私の元へ戻って来た彼の表情は、どこか覚悟しているような、諦めているような、そんな表情だった。


 胸が痛かった。

 彼がそんな表情をしているのは、恐らく私が彼と精霊ガイストに失望したとでも思っているのだろう。私の評価は全くの逆だというのに。


 だから、私はただ素直な気持ちを彼に伝えた。

 彼と、彼の精霊ガイストに興味がある、その姿に好感が持てると。


 すると……彼の瞳からぽろぽろと涙があふれ、ただ、感情のままに声を漏らした。

 そんな彼の姿に私は驚き、必死でなだめた。私は彼を傷つけるようなことをしてしまったのだろうか、それとも、彼には慟哭どうこくしてしまうほどの理由があるのだろうか……。


 だが、泣き止んだ後の彼は、どこか憑き物が落ちたかのように表情が明るくなり、帰りの道中は見事な連携で現れる幽鬼レブナントを倒していった。


 ただ……彼の戦い方が見事すぎた・・・・・


 なので彼にその理由を尋ねると、返ってきた答えは驚くべきものだった。

 まさか、生まれて初めて入るであろう領域エリアをたった一人で見学させられていただなんて。たとえそれが、この初心者用の領域エリアであったとしてもだ。


 腹が立った。許せなかった。

 そんな理不尽で危険な真似をさせた教師が、そんな彼を助けようともせず、ただ傍観していただけの、彼の仲間であるはずの新入生達が。


 だから私は、彼に今後の領域エリア探索への同行について申し出た。

 すると彼は一瞬驚いた後、嬉しそうに笑みをこぼした。そんな彼を思わず抱きしめたくなるほど可愛いと感じてしまったのは、彼には内緒だ。


 ただ、彼からは、初心者用の領域エリアでは一人で訓練するので、“グラハム塔”領域エリアからお願いしたいとのことだった。

 まあ、今日見させてもらった彼の危なげない戦いぶりから、一人でも危険はほぼ無いだろうと判断した私はそれを了承した。


 そして、私は彼と別れると早速お父様……学園長にかけ合った。もちろん、彼の担任教師に対する処罰について。

 話を聞いた学園長は激怒した。当然だ、万が一のことがあったらどうするつもりなのだ。


 学園長はすぐに教頭と学年主任を呼び出し、今後の対応について調整した結果、まずは本人達から話を聞き、その上で担任教師の処分を決めることとなった。


 次の日の朝、学園長以下で担任教師……“伊藤アスカ”に話を聞くが、あいまいなことばかりで要領を得ない。

 ここで私が言っても良かったが、やはり彼本人の口から聞いてもらうのが一番だと思い、あえて黙っていた。


 そして、担任教師にはHRのため一旦退席した後、今度は望月くんも交えて話を聞くことになったのだが、担任教師が教頭先生の隣に座り、彼がやって来た。

 学園長が問い掛けると、彼は私を見て頷いた後。


「……はい」


 と、ただ一言だけ答えた。


 それを引き継ぐように私が説明すると、担任教師は観念したのか、やっと頭を下げた。

 むしろここまではぐらかそうとする姿勢に、同情の余地はない。それよりも、学園として彼のご両親に謝罪することこそが先だ。彼女の処分については、その後だ。


 その日の放課後、私は初心者用の領域エリアの扉の前で、彼が出てくるのを待った。

 中に入ってすぐに連れ出してもいいのだが、せっかく彼が一生懸命訓練しているのを邪魔できない。


 それから待つこと二時間。夕方六時を迎えようとした時、ようやく彼は扉を開けて出てきた。

 ふふ……その時の彼のキョトンとした表情はなかなか可愛かったな……。


 その後、私は彼と一緒に彼の家へと向かうと、学園長達がまさに謝罪をしている最中だった。

 だけど、学園長達を叱りつける望月くんのお母様は、もう彼を学園に行かせないと宣言した。それは、大切な息子の安全を心から願う、母親の姿そのものだった。


 ……せっかく望月くんと知り合えたのに、このままお別れになってしまうのはつらい、な。

 そう考えた私だったが、それでも、お母様のおっしゃることももっともだ。私は彼の背を押し、その行方を見守った。


 するとどうだろう……彼は、こう言ったのだ。


「……俺、これからも学園に通いたい。じゃないと俺は、もう強くなれなくなってしまうから。桐崎先輩が、信じてくれたように」


 その言葉を聞いた瞬間、私の胸がかあ、と熱くなった。

 彼は、自分自身が強くなる理由として、この私を求めてくれたのだ。


 こんなに嬉しいことがあるだろうか。

 学園の生徒達は、私のことを学園長の縁故で生徒会長になったとさげすみ、かといって私の精霊ガイストに敵わないからと、ただ遠巻きに眺めながら陰口を叩く始末。


 そんな私が、彼から求められている……。

 私は胸襟むなえりをキュ、と握りしめ、心に誓った。


 ――必ず、彼が望むように強くしてあげよう、彼を精一杯支えてあげよう、と。

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