第4話 放課後の教室で
そんな中学2年生の冬のこと。
私は大学進学率のいい高校に入学するために、周りの生徒より早めに部活を引退し、受験勉強に励んでいた。
その日もいつも通り、放課後の教室に残って勉強していた。
下校や部活で誰一人いなくなった教室は、先ほどまでの喧騒が幻だったかのように静まり返る。自分だけがこの世界に取り残されたような気持ちになった。
教室に残るわずかな温もりは、陽が落ちるにつれ、徐々に失われていく。
黙々と勉強していると、突如、教室の後ろの扉が勢いよく開かれた。
驚いて振り返ると、扉の前には成瀬が立っている。
私と目が合うと教室に入って来た。
「なーんだ、誰もいねーじゃん」
いや、私がいるんですけど……というツッコミは心の中で済ませておき、特に成瀬と話すこともないので、前を向いて私は勉強を再開した。
成瀬は教室の後ろにあるロッカーを物色しているらしく、ごそごそと音を立てている。
何かいい物を見つけたのか、「おっ!」と声を上げると、ポンッと中が空洞になっているような軽い音がした。続けてポンッポンッと鳴る。
どうやらサッカーボールを見つけて、リフティングをしているらしい。
野球だけじゃなくてサッカーもできるんだなあ。まあ、成瀬が運動ができないイメージは全くなかった。常に動き回っている。その代わり、授業中はいつも睡眠時間だったけど。
静かな教室に、私がシャープペンシルを走らせる音と、成瀬のリズミカルなリフティング の音が響き渡る。
不思議と心地よさを感じた。
しばらくすると成瀬は、はぁとため息をつき、リフティングをやめた。かなりの時間ノンストップで続けていたので 、さすがの成瀬も疲れたのだろう。
そう思ったが、どうやら違うらしい。
「つまんねー」
疲れたのではなく、単に飽きてしまっただけだった。
そして久しぶりに成瀬の「つまんねー」を聞いた。さあ、次はどう出るのか。
そんなことを考えながら教科書をめくった時だった。
「なあ、丸山〜」
またもや久しぶりの「なあ、丸山〜」コール。
私は後ろを振り返った。成瀬が尋ねる。
「何してんの?」
「勉強してる」
「えっ、まさか居残りさせられてんの?」
成瀬は好奇の眼差しで私を見つめた。
「違うよ。ただの自習」
「ふーん、つまんねー」
出た。つまんねー。成瀬は一体何がしたいんだろう。
というか、今は部活の時間のはずだ。行かなくていいのだろうか。
「成瀬、部活はどうしたの?」
成瀬は自分の右肩を指差した。
「この間の試合で故障してしまった」
「えっ、大丈夫?」
「まあ俺は平気なんだけど、医者が今は野球やるなって言うからさ」
「どれくらいで治るの?」
「2、3ヶ月。でも治っても前と同じような野球はできないらしい」
「そっか……」
成瀬は窓辺に行き、グラウンドを眺めた。外では野球部やサッカー部が部活に励んでいる。
いつも元気な成瀬が、どこか寂しげに見えた。
こういう時、なんて声をかければいいんだろう。
言葉はたくさん思い浮かんだが、どれも違う気がした。
特別仲が良いというわけでもないし、挨拶を交わす程度の仲でもない。
そんな微妙な距離感が、成瀬にかける言葉を迷わせる。
あれじゃない、これじゃない、と悩んでいると、グラウンドを眺めていた成瀬がくるっと振り返った。
「だから、サッカーしてんの」
「え?」
急な発言に驚く。成瀬はニカっと笑った。
「サッカーなら、手、使わねーもん」
どうやら落ち込んでいないようだった。
いや、もしかすると落ち込みはしたのかもしれない。でも、すでに吹っ切れてしまっているようだった。
成瀬は鼻歌を歌いながら、リフティングをまた始めた。
調子に乗って「俺、サッカー部入ろっかな〜」と言ったタイミングでボールを落とした。
ボールはコロコロと私の足元に転がって来た。
「あっ、ごめーん。パス!」
成瀬は故障していない左腕をぶんぶん振って、ボールをパスするよう私に促す。
その時私は、成瀬にどうしても聞きたくなった。去年同じクラスだった時からずっと気になっていたことだ。
聞くなら今しかないと思って、私は尋ねた。
「成瀬ってさ、どうしていつも、そんなに楽しそうなの?」
意味がわからないのか、成瀬はきょとんとしている。
「どうして先生に怒られるようなことをやめないの?なんで野球できなくなってもサッカーしよう、ってすぐに切り替えられるの?怖いとか悲しいとかないわけ?」
成瀬は目を瞑って、うーんと考え込んだ。
そして私を見つめて言った。
「じゃあ逆に聞くけど、丸山はなんで勉強してんの?」
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