閑話 〈王都の医者の憂鬱〉
――王都の王城に勤務する医師のイシは必ず毎日訪れる酒場が存在した。その酒場は元々はイシが気に入った娘が働いていたのだが、今はもういない。その娘はイシの妻となり、この酒場を辞めた。
しかし、彼女が酒場を辞めた後もイシはここへ通い続ける。常連客といえば聞こえはいいが、実際の所はツケで飲ませて貰っており、碌に金を払う事もないから酒場の主人からも煙たがられる。
「イシさん、いい加減にツケを払ってくださいよ。どれだけ溜まってると思ってんですか」
「うるせえな、誰のお陰でこの店を経営出来ると思ってるんだ」
「そりゃ、イシさんには色々と世話になってますよ。でもね、もうツケが金貨10枚も溜まってんですよ。文句の一つや二つは言いたくなるでしょう?」
「……そんなにか」
この酒場は元々は無許可で経営していた事が発覚し、イシが裏で手をまわして特別に許可を得た。だからこそ酒場が経営できているのはイシのお陰なのだが、毎日彼が酒をせびりにくるのだからツケが溜まっていく一方だった。
「ほら、今夜はもう帰って下さい。いくら粘っても酒は出しませんよ」
「ちっ、うるせえな……ならお冷でもいいから出しやがれ」
「なら、代わりに儂が払おうか」
「えっ?」
二人の会話に何者かが割込み、その人物はフードで全身を覆い隠していた。彼はイシの隣に座ると、小袋を差し出す。その中身は数十枚の金貨が入っており、それを見た主人は度肝を抜かす。
「この男の酒代と、ここで一番高い酒をを用意してくれ」
「えっ?いやっ……えっ!?」
「あんた……どうしてここに?」
突如現れて酒代を支払う事を告げた人物にイシは目を見開き、酒場の主人は慌ててコップを用意すると、二人に酒を注ぐ。
並べられた酒を見てフードの人物とイシは覗き込み、やがて二人は杯を交わす事もせずに飲み干す。そして改めてイシはフードの人物に顔を向ける。
「どういう風の吹き回しだ……あんたがこんなしけた酒場に訪れるとはな」
「たまたまお主の顔を見かけてな。少し立ち寄っただけだ」
「たまたま、ね……まあいい。それよりもあんたに聞きたい話があったんだ。どうして俺にあんな薬を作らせた?」
「…………」
イシの脳裏にイリアの姿が思い浮かび、彼女が飛行船に乗り込む前にイシはこの隣に座る人物の命令を受けて薬を作り出し、それをイリアに渡した。その薬は魔力回復薬に見せかけた偽の薬であり、もしもあんな物を普通の人間が飲み込んだらとんでもない事態に陥る。
「あんた、何を考えている?イリアの奴に何をさせるつもりだ?」
「あの娘の事がそんなに気になるのか?」
「当たり前だろう、あいつは俺の弟子だからな」
イリアに薬学を教えたのはイシであり、実を言えば彼女とは昔からの付き合いでイシはよく面倒を見ていた。今ではイシよりもイリアの方が薬学に精通しているかもしれないが、それでもある分野の薬の製作に関してはイシが未だにイリアよりも優れていた。
飛行船に乗り込む前に彼女に渡した薬は普通の薬ではなく、もしも普通の人間が飲用した場合はとんでもない事が起きてしまう。しかし、フードの人物はイシの質問を受けても答えるつもりはなく、黙って席を立ち上がる。
「お主は何も心配せずにしているといい。これは王国のためじゃ」
「王国のため、ね……その台詞は聞き飽きたぞ」
「……帰らせてもらう。店主、釣りは全部くれてやる」
「え、あのっ……」
フードの人物はそのまま立ち去ると、残された店主は困った表情で金貨が大量に入った小袋を見つめ、イシは気に入らなさそうに呟く。
「何が王国のためだ……くそがっ」
その日の晩までイシは飲み明かした――
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