7-5:園遊会
「あのとき、わたくしが不注意でぶつかった女性があなたに似ていましたわ。グラスを落とされたから慌てて謝ったら、気にしなくていいと去ってしまった方……ハルが断罪されるところを、少し離れた場所からじっと見つめていらした」
あの日、そんなアクシデントがあったとは知らなかった。
「ねえ。あなたがハルと知り合ったのは偶然ですわよね?」
「偶然ですし、パーティーに私は参加しておりません。人違いですわ。私だったら、この髪色でよく覚えていたはずでしょう?」
「たしかに、あの方は黒髪でした」
そうだろう。
だってタマキがぶつかったのは、髪を黒く染めたコラク公国第二王女ユリアだろうから。
「ごめんなさい、変なことを言いましたわね……忘れてちょうだい」
「お気になさらないで」
あの日、私はセイレンにはいなかった。だけど「イリナ・アドラー」はセイレン島に来ていて、こっそりと年度終わりのパーティーに出席したのだ。
二年間手紙だけやりとりした相手と、一言だけでも直接言葉を交わすために。
「あら、あそこで見ているのはハルの従者ですわ。あなたを待っているのでは?」
テラスから食堂に繋がる出入口の付近に、ノアが立っているのが見えた。私達の視線に気付くと、控えめに頭を下げてみせる。
「本当にハルに気に入られていますわね」
「そういうわけでは……」
「わたくしのことを気にする必要はないわ。ハルは、わたくしとの婚約は断る気がしています」
私からは何とも言いにくい。
そんな空気を読んだのか、タマキが付け加えた。
「あなたのせいと言いたいわけではなくてよ。大体、わたくし個人はハルとの結婚を望んでいないから、ちょうどいいの」
「でも、家同士の関係も絡む話でしょう」
「ハルはそもそも、家の決めた相手との結婚はしないつもりだと思いますわ。ジェニファー・エーブルの場合は、相手が伯爵家でしたからすぐに断れなかっただけで」
たしかに、いずれ破談にするつもりではあったとハル自身が言っていた。
昔の彼なら家の決定に刃向かうのは無理だろうけど、私をカイゲン伯爵に紹介できるような今の彼なら、きっと可能だ。
「あの
「二人が想い合っていなかったことが?」
「婚約関係を相手を貶めたりする道具に使ったり、使われても当然だと受け止めるような状態が、ですわ。まったく、皆が好きな方と結婚できればいいのに」
最後、タマキの切実な本音のように聞こえた。
彼女も誰か好きな相手がいる?
ふと、ユリアが会ったことのない婚約者のことを語るときだけに出す、照れくさそうな柔らかな雰囲気が思い出される。
ある日、彼女は手紙でしか知らない恋する相手に、一目だけ会いたいという望みをこぼした。聞いた私は……それを後押しして手伝ってしまった。
だってユリアは、王家に伝わる秘宝の継承者となってしまってからずっと周囲に気を遣って生きてきた。そんな彼女の初めての我儘くらい、叶ってもいいと思ったから。
そのくらい叶えさせろという、私の我儘でもあったかもしれない。
王女の側仕え、そして影武者に指名されてから、私もまたずっと周囲に気を遣って過ごしてきた。そこに反抗したい気持ちもあった。
さらに今の私には、こっそり叶える手配ができるくらいの力や繋がりがある。
私が「イリナ・アドラー」名義の入学試練参加の書類を用意したのは、彼女をあの
だけど止めていればよかった。
伝聞で知るのと、実際に目にして知るのとはだいぶ違う。
ユリアは目の前で自分の婚約者が別の女性のため他の男性を断罪し、女性のために婚約破棄まで宣言するのを目撃した。初めて通った王女の我儘は最悪の形で終わってしまった。
そして、その間王女の代わりをしていた私はヴィーク侯爵の領地に赴き、精霊王の力を譲れという信じられない提案をされていた――。
その後のことも、思い返しても特に面白いことはなにもない。ヴィーク侯爵の別荘で私はユリアの帰りを待ち、婚約者とは一言も言葉を交わさず戻ってきた彼女と秘密裏に入れ替わった。
ヴィーク候の行為を、一時的に私が預かっていた鏡越しに見聞きしていた精霊王は激怒していて、できることはとても少なかった。起こってしまったことをどうするのか、数日しか考える猶予はなかったのだ。
「イリナ? 早く行ったほうがいいんじゃなくて?」
「ええ」
今さら考えても過去は変えられない。
気持ちを切り替え席を立ち、ノアの方に向かう。彼は心得たように先に食堂から出ていった。
彼なりの気遣いだ。余計な憶測を呼ばないよう、人前で一緒にいるところをできるだけ見せつけないようにしたのだろう。
……と感心する気持ちは、私の部屋の前で待つハルを見てどこかにいく。
「名誉島民候補生はこの宿舎に原則出入りしないのよね?」
「だって心配で。原則ということは絶対禁止じゃないんだよ」
「すぐ支度するから宿舎の外で待ってて」
階段を指し示すと、ノアが「だから言ったのに」と愚痴りながら彼を引っ張っていく。
私は部屋に戻ると、思い出して今日の彼へのカードを書いた。散策中に渡してしまおう。
といっても書くことはあまりない。なんだかんだ毎日彼と顔を合わせていて話もしている。
いっそ、ものすごくどうでもいい冗談とか子供のような謎かけでも書いて、ハルを戸惑わせてやろうかしら。
テラスでのやりとりで疲れてた反動か、そんな発想が湧いた。一旦思いつくと、なんだかうきうきして内容に思いを巡らせる。
「ふふ……」
自分が楽し気な笑い声を一人で上げたことに、声に出してから気付いたのだった。
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