7-4:セイレン島というところ

「その紅茶、驚いてひっくり返す直前だっただろ」


 そう言って、テーブルの上の紅茶のカップを示す。

 彼の言う通り、あと少し制止の声が遅ければこれはひっくり返っていた。


「あんたに手を出してトラブルになった、ってことになれば、あいつらは宿舎から出禁かそうでなくても厳重注意。入学試練生には近づけなくなる。だろ……?」

「想像で勝手なことを言わないでください」


 周囲に聞かれて変な噂になるのは勘弁したい。だけど困った顔をして見せれば、彼は余計に面白がった。


「はは、個人的に好戦的な奴は嫌いじゃない。けど体張るのはほどほどにしとけよ。あいつらは学校内での主導権を握りたがってる集団だ。あの三人が引っ込んでも他に出てくる奴らがいる」

「セイレン島は、そういった争いとは無縁だと思っていましたわ。精霊は人の争いを嫌うと言いますから」

「人が集まれば、ああいう奴らもどうしても出てくる。セイレンも小さな国、学校も小さな社交場みたいなもんだからな。あいつらが特別おかしいってわけでもない」


 ロベルト達がやっている派閥争いが、異例なことというわけでもないのか。

 自然とため息がこぼれた。


「皆が手を取り合って仲良く、ってのを想像してたか?」

「そこまで夢は見てませんけど……もう少し穏やかなイメージでした」

「精霊研究学校に来る貴族ってのは、基本実家の権力争いから外れた奴らだ。イメージ通り争い嫌いの奴もいれば、逆に未練がありすぎて張り切る奴もいるんだよ」


 突き放したように言う彼もまた、何か抱えるものがありそうに見えた。


「島外と比べりゃ、お遊びみたいに見えるかもしれないけどな」


 私に向かって皮肉を言われたようでどきりとした。真正面から顔を覗かれ、思わず隠したくなる。


「別にそんなこと……思いません」

「あんたに言っているわけじゃない」

「そう、ですよね」


 だけど私は痛いところを正面から突かれた気分になった。そして急に恥ずかしさを感じた。

 セイレン精霊研究学校に逃げ込めばなんとかなるなんて、どこか楽観視していた自分がいる。権力争いとは無縁の者ばかりだから、裏のある駆け引きだとか足の引っ張りあいだとかとも無縁だろう、なんて。


 それはそれで良いことなのだろうけど、私の場合はそこに相手を侮る気持ちがなかったといえない。それを見透かされたように感じ、同時に初めて自覚したのだ。


「強いていえば、甘く見過ぎてるのはハルのほうだ」

「ハルですか?」

「意外か?」

「食えない人だと思っているので」

「それも正解だぜ……。けどあいつ、セイレンに集まってくる奴を少々甘く見過ぎてるときがあるんだよ。精霊に敬意を払って争いをしないだろうって思いすぎっつうか」


 たしかに、ロベルトによる婚約破棄の宣言は予想外だったらしいし、読みが甘かったといえないこともない。


「まあけど、精霊のことを意識して争いごとを押さえる方向に行きがちな面は実際にある……。あんたもあんまり不安がるなよ」

「お気遣い、ありがとうございます」


 やけに親切な彼に、思い当たることがあった。


「もしかして私のこと、ハルに何か言われていますか?」

「ロベルトとジェニファーが諦め悪く絡んできてるから、気にしといてくれって言われてる……。あんたが標的にされるかもしれないとも聞いてた。けどあんたもちゃんと味方を作ってるし大丈夫そうだな」


 彼が振り向いた先には、離れた場所からこちらを不安げに見つめるタマキがいた。


「あいつが俺を呼びに来たんだぜ。一応、礼を言っとけ」


 そう言うと、ライナスは立ちあがって宿舎の中へ戻っていく。

 途中でタマキに何か話しかけたようで、入れ替わるように彼女が私の元へやってきた。


「大丈夫でしたの?」

「すぐにさっきの彼が助けてくれましたから。タマキが呼んでくれたんでしょう。ありがとう」

「何もなければいいのよ」


 ふん、と顎を上げたタマキは、先ほどまでライナスが座っていた席につく。

 そしてちらちらと私を見ながら切り出した。


「全部は聞き取れませんでしたけど名前が聞こえましたわ。ハルと、それからロベルトやジェニファーという名前も……」

「研究学校生の中で少し揉めごとがあったみたいですね」

「どうせ、ハルのことを悪く言っていたんじゃなくて」

「ええ、まあ。でもすべて言いがかりです」

「彼らがハルに絡むのは、きっと少し前にあった騒動が関係しているのですわ」


 そう言って、タマキはじっくりと話をする体勢になった。

 自然と私も合わせるように彼女に向き合う。


「ハルはこの間まで、同じ研究学校生のジェニファー・エーブルという女性と婚約していました。ティシュアの伯爵家の方なのですけど、ハルも彼女も家は継がないことになっていたので、純粋に家の繋がりを作るためのものね」

「そうでしたの……」

「ハルからは何も聞いていらっしゃらない?」

「婚約者がいたということは聞きましたが、詳しくは」


 本当は知っている。でも知った経緯の説明が面倒なので、そういうことにしておく。


「二十日ほど前に、学校で年度終わりのパーティーがあったのです。ほら、入学試練者への手紙に書いてありませんでした? 自由参加のパーティーで、入学試練者も希望者は来てもいいと」

「ええ、書いてありました」


 セイレン島や学校の雰囲気を知るために、という理由で参加可能になっていたパーティーだ。学生は全員対象で、学校関係者も顔を出していい。関係者だと証明するものがあれば、他には特別にチェックされず入ることができる緩い集まりの園遊会ガーデン・パーティーだ。


「そこでロベルト・ヴィークという男子生徒がハルを断罪したのです。婚約者であるジェニファー・エーブルへの冷たい振る舞い、名誉島民候補生以外をないがしろにする態度などを、皆の前で長々と語って……」


 はあ、とタマキはため息をついた。


「そしてあろうことか、ジェニファーとハルの婚約破棄をロベルト・ヴィークが告げるという事態が起こってしまって」

「普通ならあり得ませんわね」

「ええ。ですがヴィーク家はティシュアの侯爵家なのです。その後すぐに、エーブル家主導で婚約は解消されましたわ。エーブル家のほうが慰謝料を払う形になったようですが、いざとなれば侯爵家が味方ですから」


 キタシラカワ家もエーブル家も伯爵家で位は高いが、ティシュア帝国の貴族の中でいうと特に目立った強みも力もない。侯爵家の子息が味方と聞けば、喜んでそちらにつくだろう。

 ロベルトの大胆な行為が、まさか実家の意向と関係ない自分勝手な暴走だなんて想像していないだろうから。


「広い会場の一角で起こった騒ぎで、一部の者しか見ていません。それに全員がロベルト達を信じたわけでなく、彼らのやり方に眉をひそめる生徒もいましたわ」

「断罪した側は、十分に言い分を聞いてもらえなかったと感じているのかしら」

「ええ。だからハルと関係する者にああやって絡むのだと思います。彼の婚約者候補だと知られたら、絡まれるのはあなたでなくてわたくしだわ」


 想像だけで、タマキが気が重そうな顔をしている。

 ハルとは完全に政略的な婚約話だろうし、そこに無関係な者が口を出してこられたら面倒なのは当然だ。 

 話し終えたタマキは、また私を窺うようにちらちらと見た。


「まったく、知りませんでした?」

「ええ。先日おっしゃっていた機会があれば話すと言っていたのは、このこと?」

「そうなんですけれど……あれからわたくし、思い出しましたことがあって。あの園遊会ガーデン・パーティーで、あなたを見たような気がするのです」


 咄嗟に焦りが顔に出なかった私を褒めたい。

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