3-4:王女ユリア

「何か困ったことがあれば、いつでも言ってくださいな。私はしばらくセイレンに滞在していますから」

「お心遣い、感謝しますわ」


 ふと、こちらを見上げる二つの視線に気付いた。

 ロベルトとジェニファーだ。

 いいタイミングで気付いてくれた。遠目だが、驚く二人の様子が伝わってくるようだ。


 手でも振ってやろうかと思ったとき、ボックス席の扉がノックされる。返事をすれば「失礼します」とノアが入ってきた。


「ハル様、少しよろしいでしょうか。ご確認いただきたい急ぎの連絡がありまして」

「仕方ないな。申し訳ないが、少し席を外します」


 そう言って、ノアと共に廊下へと出て行った。

 扉が閉まれば私とカイゲン伯爵の二人きりになる。


「ハルはあなたのことを――」

「彼は、私をコラク公国第二王女だと思っています」


 先回りして答える。

 ハルがいてはできなかった会話を彼女はしたいのだろう。

 思った通り、カイゲン伯爵は特に驚いた様子もなく肝心な部分に触れてきた。


「私、一度だけユリア王女と話をさせていただいたことがありますの。なんてことのない、世間話をしただけですけれどね。人見知りだという触れ込みの王女は、噂通り、扇にその顔をほとんど隠したままでした」


 思い出話をするように、カイゲン伯爵はただ話し続ける。


「彼女は、ある公爵家のご令嬢について楽し気に語っておられましたわ。よく知る親戚であり、信頼できる配下であり、そして大切な親友でもあると。あのご令嬢……トワ様は、どこにいることになっていますの」


 彼女の一度見た相手の顔を間違えないという特技は本物だ。

 ここまでの会話でわかっていたが、改めて突きつけられたようだった。


「ヴィーク候の領地には同行していないことになっていますから、コラクの首都で大人しくしているのでしょう」

「私、トワ様とも言葉を交わしましたわ。綺麗な灰色の髪を覚えています。似合わない化粧とお召し物だったので、僭越ながらもったいないなどと考えてしまったものです」

「子供の精一杯のおしゃれなんて、大抵そんなものですわ」

「いいえ。彼女は――、わかってらした。髪と化粧と服で人はだいぶ印象が変わります。私もよく使う手でしたわ。ふふ、個性的なアクセサリ一つだけでも効果はありますもの。ね?」


 カイゲン伯爵は、おどけるように胸元に光るペンダントトップを何度か手のひらで隠したり見せたりしてみせる。

 馬をかたどった銀細工。目には黒く光る宝石がはめ込まれていて、少し怖い。主張の激しい飾りだ。それがあるせいで彼女の穏やかな雰囲気が邪魔されている。……と思っていた。


 不思議なことに飾りがないほうが、彼女が油断ならない顔つきをしているように見えた。


「勉強になりますわ」


 カイゲン伯爵は、ますます楽しそうに答えた。


「勉強になったのはこちらですわ。親戚というのは、時に姉妹のように顔が似ると聞いたことがあります。ですがこうも似せたり、逆に似ていないようにも見せられるなんて。あの似合わない化粧と服は、使い方をするときのためだったのかしら。そういえば、王城で見かけた王女の肖像画は、ご本人に似ているようで少し違っていました」


「絵と実物が多少違ってしまうのは、仕方のないことです」

「あの絵、私が謁見したユリア王女と今のあなた、両方に似ています」

「鑑賞する者によって、絵の見え方は変わるのでなんとも」


 彼女相手にしらばっくれても意味はなさそうだが、一応そう答えた。


 指摘された通り、不特定多数が見る可能性のある絵はそういう風に描かれている。どちらにも似ていて、どちらにも少し似ていない。

 ロベルト・ヴィークに渡された絵も。


 ヘアメイク次第で私はあの絵に似せられるし、逆もまたしかりだ。今の私は、とても似ているだろう。 

 あの絵を頼りに判別しようとすればきっと間違える。カイゲン伯爵のような特殊能力持ちだとか、顔をしっかり覚えるほど第二王女と何度も対面できた者でない限りは。


 すべては、コラクの第二王女が精霊王に特別に気に入られたとわかったときから始まった。

 精霊は力を人の争いに利用されることを嫌う。もし王女の力を悪用しようと狙う者や、悪意はなくても結果的に争いのために使おうとしてしまう者が現れてしまったら?


 答えは簡単だ。精霊は人間に怒りをぶつけようとする。

 まさにヴィーク侯爵がやらかしたように。


 だからコラク公国の第二王女は、表向き引っ込み思案で政治に興味のない、影の薄い王女になった。そう演出した。

 妙な野心の対象になったり、精霊王のことが知られたりしないように。


 そして私は、何かあったときのための――こういうときのための保険だ。役に立つ日はこないんじゃないかなんて少し前まで思っていた。

 でもたった数日で状況は大きく変わってしまった……。


 ――駄目駄目。感傷に浸るには早すぎる。


「ともあれ、今の私は商人の娘のイリナ・アドラーです。これ以上、王族や公爵家の娘の話をされても、何も答えられませんわ」

「今回の件が終わったら、私、ぜひにお会いしたいわ」

「会ってどうするのです?」

「私なら、ティシュアでふさわしい地位を用意できると思いますの」

「買い被り過ぎでしょう……」


 さすがに苦笑いするしかない。

 私の正体に一目見て気付き、事情も察して遠回しに先の話をしてくれる人だ。彼女の用意する地位なんて、一体どんなものやら。嬉しいより恐ろしい。


 でも……ここに彼女がいたら、きっと「せっかくなんだから受けちゃいなさい」なんて煽りそう。どうも彼女は、私をときどき過大評価する傾向にあったから。

 ああでも「たまに急に短期で頑固だ」とも言ってたから、やっぱり止めるかも。


 カイゲン伯爵との会話のせいだろうか。彼女との普段通りな会話を想像して、自然と笑みがこぼれてしまった。


 すべてが終わったら、今夜のことは報告しないと。ティシュアの大物政治家とやりあったなんて、きっとわくわくして聞きたがるに違いない。


 よく知る親戚で、信頼できる主で、そして大切な親友である第二王女ユリアは。

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