3-3:駆け引き
「余計な手出しはしないでください。すでに回避するための行動は始まっています」
「『逃亡劇を成功させる』……つまり亡命ですか。それで王女がヴィーク侯爵から逃げきれれば、本当にティシュアは精霊の怒りを買わずに済むのですか?」
「ええ、必ず。それは保証しますわ」
力強く言い切る。あまりにも確信を持った私の態度に、カイゲン伯爵もハルも少し気圧されたようだった。
「ただ、引き金はもう引かれたのです。今さらやり方に変更は加えられません」
私達には考える時間も与えられた猶予も、とても少なかった。一旦決めた目的に向かって、このまま走り続けるしかない。
「世界には特に力の強い精霊が二十四存在し、人間から精霊王と呼ばれる。ヴィーク候はその精霊王のうちの一つを怒らせてしまった……」
「ええ、そうです」
「伝説の存在ではなかったのね」
わざわざ私の言葉を繰り返すようなことを言ったのは、この後どう出るかを考えるために時間を稼ぐためな気がした。
カイゲン伯爵は、小さく深呼吸したようだ。方針が決まったのか、彼女は親しみを込めた口調で聞いてくる。
「私では、少しも力にはなれないのでしょうか。これでも、ティシュアではそれなりに発言力がありますのよ」
「信じてくださるのですね、私の言ったこと」
「あなたが今ここでこうしていることが、事態の深刻さと早急な対処が必要であることを示していますわ。それに私の姪が精霊憑きなこともあって、精霊のありがたさと恐ろしさは他の者より理解があると自負しております」
力強く宣言され、今度は私が気圧される。
もう少しだけなら彼女を頼っていいかもしれない。
「伯爵には、ことが終わったときの混乱の際に、いくらかお力を貸していただけると嬉しいですわ」
これは本心だ。目の前の問題のことしか考える余裕がなかったから、終わった後の事態の収拾は成り行き任せになりそうなのだ。
カイゲン伯爵は、約束するというように深く頷く。
「お任せください。ただ、その代わりといってはなんですけれど……原因はヴィーク侯爵のみにあると明確にしていただけるのでしょうか」
「コラク公国はティシュアとの友好的な関係を望んでいます。今回の件はティシュア帝国への不満や反抗ではないと、できる限り示したいですわ」
「それはよかった」
ほっとした様子のカイゲン伯爵は、そのまま心を許した雰囲気で困ったように尋ねた。
「それにしてもヴィーク侯爵は一体何をしでかしたのです? 原因がわかれば、もっとできることがあるかもしれません」
私は答えない。
彼女がすんなりと力を貸してくれる側に回ってくれたのは、本当にありがたい。
でも彼女の優しい言葉すべてをそのまま信じることはできない。彼女はティシュアの現役の政治家だ。ハル相手とは事情が違う。
必要のない手の内は明かしてはだめだ。
私に答える気がないのを悟ったのだろう。カイゲン伯爵は、困った顔から私を面白そうに見る顔に変わる。そして、それ以上は追及せずに引いてくれた。
「それにしても今回の件、セイレン神殿は何も知らない様子ですね。警戒する動きがあれば、さすがに私の耳にも入りますから。強い精霊の集まる場所といっても、すべてを見通すような万能さは持たないということでしょうか」
「そんな万能さを精霊に求めるのは無茶ですよ、カイゲン卿。精霊の力を利用するのなら、自然に関する物の効能を伸ばす、くらいで止めておかないと。欲をかく人間は自滅し、周囲まで巻き込む」
黙っていたハルがようやく喋った。
「セイレン神殿はあくまでセイレン島を管理する場所です。島意外での精霊事情について、情報が勝手に集まってくれるような場所ではない。そういう立ち位置にはいない。……そのせいで役に立たないこともあります」
「あら、辛口ねえ」
「ですがそういう、すべてを把握し一切の権限を持つ場所ではないからこそ成り立っているところもある。力を持ちすぎれば争いが起こるだけだから」
見守るだけに終始するかと思いきや、彼はしっかりと意見を述べて存在をアピールしてくる。私とカイゲン伯爵の視線を受けても、動じずに笑っている。
そういえば彼は基本的にいつも笑顔だ。
「ハルはどこまで関わっているのですか」
カイゲン伯爵が私に確認した。
「偶然が重なって、セイレン島でお世話になっています。でも、それだけですわ。彼はたまたま困っていた女性を見過ごせなかっただけ。何かを企んでいるとしたら、私だけのことです」
「悲しいことを言わないでほしいな。君のためならなんでもするのに」
「ただ、私の行動が結果的に正しいものとカイゲン卿が考えるのなら、それはハル・キタシラカワの協力のおかげでもあると思ってください」
キタシラカワ家に目をかけてやってくれ、という意味での発言だった。
「うちの家のことは気遣わなくていいんだよ。僕はあの家がどうなろうと興味はない」
さらりと冷たいことを言うので驚く。
彼が社交に精を出しているのは、あの家での彼の地位を上げる意味もあるのではないかと思っていたのだが。
「僕が興味があるのは、君」
「そういう話はしていないわ」
「実家が伯爵家ということはそれなりに使いようがあるものですよ。ハル。あまり先走るのはよくないわ。彼女の隣にいたいのなら、なおさらね」
微笑ましい、みたいな顔をしながらカイゲン伯爵がハルを見て、そして私まで見てくる。
変な誤解をされているようだと困る。私はこほんと咳払いして話を元に戻した。
「ともかく。私は、ロベルト・ヴィークに私がここにいることに気付いてほしいと思っています」
「なるほど。第二王女はセイレンにいると確信させたいのですか」
「ええ。そして私がセイレン精霊研究学校の入学試練に挑むと知って、自分がなんとかすると奮起してもらいたい。実家の手出しを止めるくらいに、です」
「ロベルト・ヴィーク一人が相手なら、どうとでもできると」
「対複数の場合よりは、どうにかできるでしょう」
「ふふ……謙遜されなくてもよろしいのに」
そう言ってカイゲン伯爵は「もう少しこちらにいらっしゃって」と私とハルを呼び寄せる。
バルコニー席の端に立つと、会場内がよく見えた。
今こちらを向いた者は、エマ・カイゲンとハル・キタシラカワ、そして紫の髪の女性が三人でなにか話している姿を見ることになる。
「他に、私に協力できることはあるでしょうか」
「こうして一緒のところを皆に見せてもらったことで十分ですわ。きっと私を追うヴィーク候の手先はセイレン島にもいるでしょうが、これでプレッシャーをかけられるでしょう」
ハル以上に、より手を出しにくい相手と手を組んだと思われるはず。単に私を捕まえれば済む話ではなくなったと対策を練る必要も出てくる。
ここにいる私のことで向こうが頭を悩ましてくれるほど、こちらは嬉しい。
捕まるわけにはいかないが、安全な距離で存在はチラつかせておきたいのだ。そのために、わざと少しの隙を見せながらここまで逃げてきた。
逃亡先として予想されやすいセイレン島を来たのも、あえてのこと。
私に注目が向いていれば、それだけ他には目がいかなくなる。
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