3-2:カイゲン伯爵

 セイレンにある一番大きな劇場では、今夜、歌劇の新作が初日を迎える。

 話題の舞台を、私はハルのエスコートで観に行った。チケットは完売御礼。私達が案内されたのは、なかなか見やすい位置のボックス席だ。


 気が向けば行ってみるかと、思いついたように言ったくせに。

 キタシラカワ家がキープしている席というわけでもなさそうだし、元からチケットは抑えていたらしい。私に気を遣わせないために、あんな誘い方をしたのだ。

 彼を一方的に巻き込んでいるのはこちらで、振り回してしまうことを悪いと思っているのだけど……彼はこちらが引くほどの気遣いを見せてくる。


 なぜ、彼は手放しで私に協力的なのだろう。


 暇つぶしにしろ、自分を愚弄したロベルトやジェニファーへの意趣返しにしろ、そこまでしてくれるものなのか。

 だが今は彼の好意を利用させてもらうのが正解だ。下手に理由を問い詰めて心変わりされても困る。


「なかなか面白い一幕目だったね。さて、休憩時間にカイゲン卿に挨拶にいってこようか?」

「その様子だと、話を通しているわね?」

「一言、感想を述べたいらしいって伝えてもらってるだけだよ。ああ、言っておくと、カイゲン卿とは何度か話をしたことはあるけど、亡国の姫の擁護に回ってくれと無条件に頼めるほど親交はないんだ。どんな風にことが進むかは、ちょっと確約できないな」

「わかってる。普通の相手は大抵が躊躇するわ、そんな頼み」


 まあ厳密には亡国の姫ではなく、自国が吸収する予定の国の姫だけど。


「私だって、あまりたくさんの相手に助けを求めるような真似はする予定はなかったけど……」

「問題の発端がヴィーク候で、頼む相手がカイゲン卿なら話は別。だよね?」

「まあね」


 彼女に話を通しておけば、後々助かることもあるはず。

 セイレン島に懇意にする親戚がいて本人も精霊に対して理解があるのなら、話をすんなり進めるための材料はある。


 もしカイゲン伯爵が王女の亡命に難色を示す相手だった場合も承知の上だ。

 彼女のやり方に詳しいわけではないが、何事にも慎重派という印象がある。コラク王家の意思が固いことを見せれば、いきなりこちらの邪魔はしてこないだろう。しかもここは彼女のテリトリーであるティシュアではなくセイレン島。手を出したくても準備もなく急には無理。


 なんのときはハルの屋敷も逃げ出してセイレンの街に潜伏すればいい。数日後の入学試練までやり過ごせば、さらに七日間は少なくとも手出しされない。


 こんな風に私が考えていること、ハルはある程度予想していそうに感じた。

 悪だくみに関して、彼とは思考回路が似ている気がする。


「ちょうどいいことに、ここにはロベルトも来ている。君にも僕にも、まだ気付いてくれていないようだけどね」


 私たちがいるよりも下の階のボックス席に、ロベルトとジェニファーも来ていた。昨日は港で慌てていたらしいけれど、娯楽を楽しむ余裕は残っているようだ。

 

 だけど時折、下の階を気にするように見回しているのは、紫の髪の女性が万が一にでも姿を現していないか気にしているのかも。

 数人それらしい色の髪の女性客はいる。二人がオペラグラスで眺めて首を振っているのを見た。


 探している相手が、売り出してすぐに完売したボックス席の一角に、他の貴族男性と座っているとは思ってないのだろう。

 何度が視線をやっているのだけど、気付かれた様子はなかった。


 ハルと話し合い、私は彼の元にいることをロベルト達にさっさと示すことにしていた。

 そのほうがロベルトを煽れるというハルの見立てだ。


「いいタイミングで気付いてくれるといいけど」


 廊下へ出ると、控えていたノアに案内される。カイゲン卿のいる席は私たちと同じ三階で、着けばすんなりと中に通された。


「こんばんは、カイゲン卿。今回の舞台もとても素敵な作品に仕上がっていますね」

「ふふ、こんばんは、ハル。一幕最後のヒロインのソロはとても胸に響いたわ。でもそれより、あなた、とても素敵な女性を連れているんじゃなくて?」


 ふっくらした体つきのカイゲン卿は、優し気な雰囲気をまとっていた。笑うと余計に穏やかそうに見える。

 厳格そうなヴィーク侯爵とは正反対の印象の人物だ。


 ただ一つ、馬をかたどった妙に主張の激しいペンダントが、彼女を少々趣味のとがった人物のように見せてしまっていた。装いからやや浮いているから、誰かからのプレゼントをとりあえずつけているのかも。


「彼女はイリナ・アドラー。三日後から始まる入学試練を受けに来たんです。縁あって僕がセイレン島での世話をすることになりましてね」

「お初にお目にかかります。イリナ・アドラーですわ」

「初めまして、イリナ。入学試練ね、私の姪が受けたときを思い出すわねえ」


 カイゲン伯爵はコラクの王城に数回来たことがある。そして一度だけ、短い時間だが第二王女のお茶の席についたこともあるのだ。


 今の私を見て、覚えのある顔だくらいの曖昧な感想は持ってくれるかもしれない。そこからうまく、こちらの事情を理解してもらう方向へ話を持っていきたいが――


「紫の髪は地毛かしら?」


 細めた目が、こちらを鋭く観察しているようだった。


「珍しいでしょうか。出身のコラク公国ではたまに見かけたのですが……」


 カイゲン伯爵が、ふふ、と笑う。

 油断してはならない、と私の中で警鐘が鳴った。


「イリナはコラクから来たのね」

「はい。父がコラクでしがない商人をしております」

「あの国の第二王女のユリア殿下は、ちょうどヴィーク侯爵の領地に招かれているの。知っているかしら」

「ええ。侯爵はコラクと縁のある方でしたね」

「ではこれも知っている? セイレン島にいるヴィーク家の次男が、ユリア王女と婚約しているのです。精霊研究学校卒業後に、コラク王家に婿入りする予定だったはず」

「……そのことは、公にはなっておりませんわ」


 これは気付かれている。しかも最初から攻めたことをしてくる。

 さっさと私は第二王女ですと宣言したほうがいいだろうか。


「私ね、特技を持っていますの。一度見た相手の顔は覚えてしまうんですよ。人違いをしたことがないのが自慢なのです。ね」


 動揺して、表情を取り繕えなかった。

 そんな私にカイゲン伯爵が問う。


「あなたの行動は、コラク王家の意思であると考えてよろしいのでしょうか」

「……ええ」


 彼女は、どこまで察してどこまで見逃すつもりなの。


「コラク公国は、セイレン神殿との交流はなかったと記憶しております。地理的にそういう小国は意外とありますわね」

「ええ。セイレン精霊研究学校を目指す者もほとんどいませんわ。精霊への敬意は高い国民性であるとは思いますが、物理的な距離があると身近なものにはなりにくくて」


 セイレン島という存在はよく知られているが、どこか遠い異国のイメージだった。

 近年ティシュアが力を入れている鉄道開発のおかげで、ようやくセイレン島やセイレン神殿と交流を持つことが議題に上がりだした程度だ。


「ではどうして、あなたがここにいらっしゃるのしょう。本来ならヴィーク侯爵の元にいるはず……ですわよね、ユリア様」


 彼女が名前を呼んでくれるので、私は素直にそこに乗った。


「ええ。本来ならヴィーク候の元にいるはずでしたわ。ですが彼は信頼関係を大きく損なう行動を起こしました。彼の元にいては危険だと判断し、こうして逃げているのです」

「なるほど。そんなあなたをヴィーク侯爵は追っていると」

「そうです。追手を振り切ってセイレンに逃げ込みました」

「ここを選んだのはロベルトがいるからでしょうか」

「彼は婚約者ですから」


 裏にたくさんの意味を含ませながら、なんとか会話を成立させる。

 集中しなくては、カイゲン伯爵の静かな存在感に飲み込まれてしまいそうだ。


「ヴィーク侯爵は一体、何をしでかしたのですか」


 本題に切り込んだ彼女に、私は決めていた分だけ事情を明かすことにした。平静さを装ったけど、口にするのは緊張する。


「彼の行動は、精霊王と呼ばれる存在の機嫌を大きく損ねてしまいました。この逃亡劇が成功しない限り、精霊はティシュアを滅ぼそうとし始めるでしょう」


 カイゲン伯爵はちょっとの間、言葉を失くしていた。ここまで大ごとになっているとは思っていなかったのだろう。

 だけどさすがというか、彼女が自分を取り戻すのにそう時間はかからなかった。

 さきほどまでより、真剣さを帯びた口調で尋ねられる。


「今回の件、ティシュアはどう動くべきですか」


 あなたは私に何を望むのか、と試されているようだった。

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