3-5:ロベルト・ヴィーク
ハルと共にカイゲン伯爵の元を辞したあと、席に戻って歌劇の二幕目を鑑賞する。とても感動的だったけど、私は集中できなかった。
カイゲン伯爵との会話を反芻していたせいもある。
でも一番の理由は、隣に座る男が予想外に何も聞いてこなかったからだ。
舞台が終わり、役者たちのカーテンコールも終わってからようやく彼が聞いてくる。
「あまり集中できてなかったようだけど、つまらなかった?」
拍手のタイミングなどでバレていたのだろう。だが、彼にはもっと私に尋ねることがあると思う。
悶々としながら抱えていても仕方ないので、素直に確認することにした。
「『君と精霊はどんな関係があるのか』って訊かないの? カイゲン卿と私の会話を聞いてたでしょう。『ヴィーク候は王女と揉め、その結果、精霊王の機嫌を損ねることになった』――これは本当よ」
彼は私を王女ユリアだと思っている。隣に座る女性が精霊王なんて呼ばれる存在とどう繋がっているのか、気にならないの?
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって、大ごとよ」
「要は君が逃亡を成功させればいいんだろう? 簡単な話だよ」
「そんなもの……?」
普通はそんなに割り切れない。
断片的に事情を聞いてしまったら、どうしても確認したくなるものだ。教えてもらえないとわかっていても、尋ねるくらいはしてしまう。
しかも彼は精霊研究学校に通っている学生だ。何が起こっているのかより不安になるはずだ。
「僕は君の力になりたい。君はヴィーク候に捕まりたくない。だから僕は君を手伝っている、それで十分だと思うけど。ああ、君が教えてくれるというなら別。教えてくれる?」
「いえ、言えない」
「ほらね?」
正解を引き当てた子供のように、無邪気にハルは喜ぶ。反対に私は顔を曇らせた。
「どうしたの」
「あなたのことが見えなさ過ぎる。取り繕ってたって、普通はもっと疑いや下心を感じるはずなのに。あなた、本当は何を考えて私の味方をしているの?」
「君のことと、窮屈な毎日が崩れることを考えている」
「いまいち、よくわからない……」
ハルは「素直な気持ちなのになあ」と笑う。
それが本心であれ、違うものを含んでいるのであれ、きっとここでそれを突き止めることはできない。
「でも、窮屈な毎日っていうのは少しだけ想像できるかしら……。それが崩れたら、きっと毎日を面白おかしく生きられるわね」
「いいね、その言い回し。面白おかしく生きる、一体どうやるんだろう?」
「答えがあるなら私も知りたい」
「一緒に探してみる?」
満更でもなさそうに問われて返事に困る。
私が黙ってしまったところで、扉のほうから戸惑ったノアの声が聞こえた。
「ハル様、イリナ様。お二人にお会いしたいという方がいらっしゃっているのですが」
「会いたい? 誰が――」
ハルが返事を返す前に、ノアを押しのけるように入ってきたのは、なんとロベルト・ヴィークだった。
「ハル、君は……!」
「おや、ロベルト。君も来ていたのか。久しぶりだな」
言葉を最後まで聞かずに、ハルはしらじらしく挨拶をする。明らかに不快そうにしたロベルトは、やり返すつもりかハルを無視して私の方を向いた。
「君は……君は本物なのか」
「初めまして。イリナ・アドラーと申します」
ぶしつけな態度は大目に見て、丁寧に自己紹介した。
「会うのは初めてですけれど、そんな気がしませんわ。絵姿をよく見ていたせいかしら。あなたのこと、ロベルト、と呼んでもいいですか?」
「やっぱりあなたはユリア王女……ですよね」
「イリナと呼んでください。今の私はイリナ・アドラーを名乗っています」
肯定はしないが、否定もしない。ロベルトは警戒するように私を睨んだ。私は悲し気な顔をしてそんな彼を見つめ返した。
「あなたにお会いしたくて、ここまで無理を押してきたのです。困っているところを、ここにいるハルに助けていただいたのよ」
「よりによって、どうしてハルなんかに――」
はっとしてロベルトが黙る。
私の目から涙がこぼれたからだ。
声を上げることはなく、ただぽろりと一粒、二粒。
警戒心丸出しだったのが、ロベルトは急に動揺して落ち着かなさげになった。彼の後ろに立つノアは「そんな特技あったんですか」とでも言いそうな、最高に感心した顔だった。
「あなたのお父様のことで相談があります、ロベルト。きっとあなただけは私の味方になってくれると思って必死でここへ来ました。他国に逃げることも考えましたが、あなたならきっと助けてくれると思って」
「ユリア……」
「お話を聞いていただけるかしら」
「そ、それはもちろん――」
「ではハル、しばらくの間、私とロベルトの二人だけにしてくれる?」
当然のこととばかりに要求してみせれば、反射的に返ってきたのは、明らかに機嫌を急降下させた彼の笑顔だった。
比喩ではなく、一瞬背筋を寒気が走った。
それでも譲らないというように黙って見つめていると、不意にハルの肩の力が抜ける。
「いいけど、あまり長くは嫌だな。僕は彼を信用していないんだ」
「私は信用しているわ」
「わかった。ロベルト、せいぜい失礼のないようにな」
つまらなそうな顔でハルが廊下へ出て行く。ノアも後に続く。
残されたのは私と、得意げな顔のロベルトだ。乗り込んできたときに感じた攻撃的な空気はなくなり、むしろ馴れ馴れしい態度で彼は私に迫った。
「ユリア、あなたの見る目は正しい。ハルの奴は余計なこと吹き込んだかもしれませんが、何も信じてはだめです!」
今のやりとり一つでこう調子に乗るとは、思っていた以上に単純だった。いや、さすがに単純すぎるから演技かもしれない。
「イリナです、ロベルト」
「あ、ああ、そうでしたね。イリナ……」
「ハルは、トウカで道に迷っていた私を助けてくれたの。セイレン島についてからも、面倒を見てくれると言ってくれた。親切な人ですわ」
「あなたは騙されている! すぐに私の屋敷に来てください。そこが一番安全なんだ」
「でも……あなたには、新しい想い人がいるでしょう? 彼女に誤解されてしまうわ」
「あっ、いや、それは」
「セイレンに来る船の中で、あなたの同級生から聞きました」
取り出したハンカチでそっと目元をぬぐいながら、私は頭を振る。
「心変わりを責める気はありません。もともと政略結婚でしたし、あなたは十分努力してくださったと思いますわ。あなたの優しさを真に受けすぎたほうが悪いのです」
「いえ、そんなことは」
「だけど、一度でも優しさをかけた相手への慈悲だと思って相談に乗ってくれませんか」
「そ、それはもちろん」
「あなたのお父様はコラク公国の王族に伝わる、あるものを私物化しようとしました。精霊にまつわる力を持ったとある装飾品で、現在は第二王女が受け継いだものです」
明らかにロベルトの様子が変わった。
「それは今どこに!?」
「今はセイレン島のどこかに隠しています、とだけ。ですが、ずっとそのままというわけにもいきませんし、私が持って逃げるにも限界があると感じました。だから、精霊研究学校に通うあなたにどうすればよいか尋ねようと思ったのです――」
「お任せください!」
最後まで言葉を言うか言わないかくらいで、ロベルトが近づいて私の手を取った。これ以上なく彼は期待に満ちた顔をしていた。
驚いて目を見開くと、彼は我に返ったように手を離し、常識的な距離をとる。
「ぜひ、あなたの力になりたい。なんでもご相談ください。なんなら、その装飾品は今すぐ私に預けていただいても――」
「待ってロベルト。焦ってはいけないわ。きっとあなたの周りにも、あなたのお父様の手の者が潜んでいます。セイレン島といえど気は抜けません」
「ではいつなら……」
「入学試練中なら、邪魔されずにゆっくりと相談できるのではないかと」
「ああ。あなたは入学試練を受ける者としてこの島にやってきているのでしたね」
ロベルトは妙に自信に溢れた態度で言った。
「イリナ。実はですね、私とジェニファー・エーブルという女性との関係について、誤解があるかと思われます」
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