2-2:絵姿でしか知らない婚約者

 精霊に不思議な力を貸してもらえるのが精霊の「愛し子」。セイレン精霊研究学校はその愛し子達が入学し、精霊についてや力の役立て方を学ぶ場所だ。


 精霊研究学校ではもうすぐ、今年の学生の入学資格を問う入学試練が行われる。

 私はそこに参加する入学試練生として、セイレン島を目指すことにしていた。


「私なりの手段にも、ちゃんと根拠があるのよ」


 私の力は、グラスの中に小さな氷の塊を作れるだけの、言ってしまえばすごく地味なものではある。でも、愛し子であることには変わりない。

 所持している入学試練関係の書類は、ちゃんと本物だ。


 ハルは、温度を確かめるように氷の入ったグラスの側面を触った。


「これなら、夏でも冷たい水が飲めて助かるね」

「一日にニ、三回が限度なんだけどね。それ以上はいくらやっても凍らないわ」


 私はハルをちらりと横目で見る。

 彼も自分の精霊について説明するのか待ってみたけど、何も言う気配はない。


 ――言いたくないのなら、無理には聞かない。


 話題を終わらせて、別の話に移ろう。そう思ったところで、できる従者のノアが先に口を開いた。


「そういえば、話は少し戻ってしまうんですが……。昨晩は、結婚前の立場のある男女が寝台列車で一晩一緒にいたということですよね。この部分は、周囲にはなんとしても誤魔化してもらいたいのですが」

「僕は気にしないよ」

「あなたは気にしないかもしれませんけどね、彼女のほうが――」

「ハルはとても紳士的だった。私が寝ている間は外に出ていてくれたもの」


 彼は寝台を私に譲り、夜の間、食堂車で飲み物片手に読書していてくれたのだ。

 空室である隣の部屋に忍び込んで寝るからいいと私は言ったけれど、それは危険だからダメだと彼は譲らなかった。


 最初は交代で睡眠をとることに決まったのだ。だけど彼に優しく揺り起こされたときは空が明るくなっていた。もっと早くに起こされる予定だったのに。


 逃亡中の緊張状態でどうせ寝れないと思っていたのだけど。思っていた以上に疲れが溜まっていたんだろうか。久しぶりにしっかりと眠ってしまった。いや、違う。眠ることができた。


「そうだったんですか? ハル様」

「うん」


 ハルがノアに頷く。コーヒーに砂糖を追加しながら。

 さっきも砂糖とミルクを十分入れていたのに。甘いものは得意じゃないなんて言って、本当は彼のほうがしっかりと甘い物好きだ。


「一人にならないと彼女が眠れないんじゃないかと思って。僕の部屋なら、鍵がかかっていてもおかしくないだろ。もし僕に用事があって訪ねてきた者がいても、ノックして無反応なら食堂車あたりを確認するだろうし」

「部屋の鍵は誰が?」

「もちろん僕。何かあったときに駆け付けられないと困るからね」

「……そうですか」


 ノアはなんだか複雑そうな顔だ。


「それに安心してノア。私とハルは、このトウカで会ったってことにするつもりなの」

「彼女が困っているところにたまたま遭遇して不憫に思った僕が、力を貸してセイレン島で世話をすることにした、というのが表向きにする言い訳だ。嘘くさかろうが、僕達の答えはそれで統一する」


 疑う者は疑うだろう。でもそれはわかった上で私はあの島へ行く。

 悩んだ末に、私はハルに積極的に協力してもらうことに決めていた。やたら乗り気な彼を拒み切れなかったともいう。


「あなたの素性についてはどうするんですか。表向きにはなんと? まさか、コラク公国の第二王女ですと公言なさるんですか?」


 心配そうにノアが私を見る。

 まあ、そこが一番気になる点だろう。


「必要があればそれも考えているわ。でもとりあえず私はコラク公国の商人の娘、イリナ・アドラーよ。イリナと呼んで」

「イリナ様、ですか……承知しました」


 殊勝な顔でノアが頷いた。


「にしても、ヴィーク侯爵家のご子息がコラクの王女の婚約者に内定していたとは存じませんでした。まさかよりによって、ロベルト・ヴィーク様とは」


 ノアがため息をつく。昨日、名前を聞いて恐ろしいくらい機嫌を降下させていたハルは、今回は特に変わらなかった。私達のやり取りを聞きながら窓の外を眺めている。

 詳しい事情を知ったら、そこまで気にならなくなったというところか。


「数年前からの話よ。いろんな調整がつかなくて、はっきりと発表されていなかったんだけどね。本人と周囲にはほぼ決まったも同然の話だったの」

「お互い、乗り気だったんですか?」

「直接会ったことはなくて、絵姿でしか見たことのない相手だったわ。でも、丁寧な手紙を何通もやり取りして、ちゃんと想い合ってた。逃げて助けを求めるなら彼しかいないの。彼ならきっと……」


 願いを唱えるかのように、私は話す。

 どんな顔をしていいのかわからなくなって、私もハルのように窓の外を見た。

 セイレン島行きの午前中の最後の便がもうすぐ出発するらしく、客達が特別仕様の船へと乗り込んでいる。

 私達は午後の便に乗る予定だから、見送るだけだ。


 客達の中に、ハルと同じ変わったデザインの黒いロングコートが見えた。あれはセイレン精霊研究学校の生徒の中でも、名誉島民候補生という特別な生徒に選ばれたしるしだ。

 着ているのは、見覚えのある優しい顔の青年――


「あ……」


 ロベルト・ヴィーク!


 思わず声を上げて立ち上がりそうになったのを必死でこらえた。まだ彼と会うことはできない。気付かれるわけにもいかない。


 おそらく、彼の近くには私を追っている男達の仲間がいるはずだ。

 いま彼のもとに走ったところで、ゆっくりと話す間もなく引き離される。でもセイレン研究学校までいけば、追手も私に気付いたって簡単には手を出せない。


 私は、ロベルトが船に乗ってしまうのをただ黙って見ていた。

 最後に送られてきた絵姿は、あのコートを着た姿だった。


 セイレン島で私が姿を現したとき、彼はなんと言うのだろう……。

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