2-3 :出航します
セイレン島行きの特別船乗り場付近は、若い男女でひしめいていた。観光客達のそれとはどこか種類の違う浮ついた空気が、全体的に漂っている。
私と同じ、入学試練を受けに来た者達だ。
一人で旅行鞄を抱えている者もいるが、上等な服を着て従者を従えた上流階級の者のほうが多い。
セイレン精霊研究学校に合格すれば学費はかからないが、それだけ。セイレン島までの旅費や合格後の生活費を考えると、どうしても経済的に余裕のある家の者が多くなる。
政治の絡まない貴族の社交場だなんて揶揄する者も、一部にはいると聞く。
「この船は、精霊研究学校生ならびに研究学校の入学試練を受けに来た者達専用の臨時便となります。入学試練を望む者はこちらに並ぶように!」
ハルが身にまとっているのとは違うデザインの、暗色のコートを着た男性がタラップの前でそう告げた。
待っていた者達の間に、ぴりっとした空気が走る。
それまでの騒がしさがやや収まり、コートの男性の前に列が形成されていった。
私も何食わぬ顔でその中に並ぶ。
ちらりと見ると、もう一つのタラップのほうには青いジャケットを着た者達が並んでいた。あれが研究学校の生徒達だ。あの青いジャケットが一般的な学生の制服で、ハルの黒いコートは特別な生徒のみが着用する。
時間差で宿を出たハルとノアも、いずれあの列に加わるだろう。
列の順番が回ってきた。私はほんのり水色をした厚手の上等な紙でできた手紙を取り出し、中身を立っていた男性に渡す。
「イリナ・アドラー。入学試練希望者。付添の者はなし」
紙と私と手元の名簿を見比べながら確認するように小さく頷くと、手紙を返してくれる。そしてセイレン島での滞在許可証となる書類をくれた。
礼を言って受け取り、タラップを登ってセイレン島行きの船へと乗りこむ。
甲板の手すり越しにトウカの港を見やる。特に目につく動きをしている怪しい者達はいない。でも、どこかで様子を窺っているかも。
私は、アップにしてまとめた髪を隠すように被ったつばの広い帽子を一旦外し、そして被り直した。
「港でキタシラカワ伯爵家の次男を見かけたよ。ハル・キタシラカワ」
ふと知った名前が耳に飛び込んでくる。
話しているのは近くにいる上流階級の者らしき青年だ。彼は同じく見なりのいい青年に話しかけていた。
「ほら、子供のころに誘拐された伯爵令息。聞いたことあるだろ」
「それなら知ってる。結構長い間、行方不明になってたんだっけ」
「そうそう。誘拐されている間のことは何も覚えていないらしいけどね」
「彼についてなら、来る前に親が愚痴ってたな。どこかのパーティーで、伯爵夫妻が息子は名誉島民候補生だって自慢しててうざったかったってね」
「知ってるか? 誘拐を指示した犯人はその伯爵夫妻だって噂があったの」
一泊ほど間がある。話を聞いた相手は「初耳だ」と返した。
「なんでも後妻の……今の夫人との息子を跡取りにするためらしいよ。まあ、噂だけど」
「後妻との息子? ハル・キタシラカワは次男なんだろ。長男はどうなるんだ」
「後妻の息子が長男なんだよ。伯爵は愛人との間に、先に子供を作ってしまってたわけさ。亡くなった前妻は伯爵家の遠い血縁にあたるとかで、再婚後に単純な年齢順で跡継ぎを指名するのは難しかったらしい」
「うわ、なんかきっついな。けど精霊に好かれてるなら、セイレン島に送れば簡単に後継者から外す口実になるのに」
「精霊の愛し子だってわかったのは事件の後なんだよ。誘拐された先で何かされたんじゃないかとか言われてるね」
「はは、もし本当ならついてたな。精霊を従わせる力なら俺も欲しい」
彼らの話はまだ続きそうだったが、私は客船の中に入った。くだらない噂話に興味はない。
中に設けられたカフェへ向かうと、半分ほど客が入っていた。壁際の一番隅のテーブルに案内してもらい、飲み物を頼む。通常の船ならお金を取るけど、この船ではすべてサービスらしい。
帽子をとるのがマナーだろうけど、そこは無視して被ったままだ。
そっと見回せば、揃いの青いジャケットを着たグループがいくつかいた。
周りにいる他の者達が、それらのグループを意識しているのが伝わってくる。かくいう私も、ちょっと横目で確認していたりする。
同じ入学試練希望者同士、交流を始めている者も多いようで、近くの席の会話がいくつか聞こえてきた。
「あの青いジャケットが研究学校生の証だろ? 俺も着たいなあ」
「名誉島民なんて望まないよ。『居候』でいい。それで十分だ」
「精霊に好かれたら、きっといい薬草を育てられる。そうしたら、たくさんの人を救う薬が作れると思うの」
「政略結婚なんてまっぴら。研究学校生になって精霊を従えるほうがマシですわ」
大きな家の娘らしい女性のぼやきに、ちょっと肩の力を抜いた。
ここには、各国の有力者の子女もそれなりに来ている。けど彼らはいわゆる「政治的に重要な立ち位置」につかない、つく気のない、もしくはつけない者達だ。
つまり、私の存在を怪しんだり利用しようとする野心家と偶然ばったりする可能性が少ない、ということでもある。
セイレン研究学校に通うことは大変な名誉だとして扱われる。だが、自国の政治から遠ざかることも意味した。
あの島で強い力を手に入れるほど、その者は出身国の人間であることから離れ、セイレン島に属する人間としてふるまうことが要求されるからだ。
精霊は人々の争いに力を利用されることを好まない。だからセイレンの街も特定の国だけに肩入れしたりしない、中立な立場でいるとしている。
あの島に住む者やセイレン精霊研究学校を卒業して精霊の力を借りながら生きると決めた者は、セイレンの街に属する民となる。
セイレンを出て他国で力を活かす者もいるけれど、彼らはセイレン神殿の決めたルール内で働き、それを破れば罰せられると聞く。
「あ……」
不意に船全体が小さく揺れた気がした。
「船が出航したようです。これからゆっくりと上昇してセイレン島の港を目指します」
近くにいたウェイターが、驚いて小さな声を上げた私に説明してくれた。
そうか、出航したのか。
私の中にあった緊張感がより緩むのを感じた。あと一時間もすれば島につくはずだ。
気付けば、カフェにはだいぶ客が入っていた。船が湖から浮かび上がるタイミングを甲板で見学していた者達が一息つこうとやってきたのだろう。
ふとカフェ内に、これまでとは違った小さなざわめきが起こる。
原因を探せば、ハルが着ているのと同じようなデザインの、黒いロングコートを羽織った女の子がカフェにやってきていた。
軽く見回した後、すでにいた青いジャケットの男女数人のグループのほうへと駆け寄っていく。クラスメイトだろうか。
「名誉島民候補生の証だぞ。俺、初めて見た」
「どんな精霊を従えてるんだろうな……」
「まだ契約はしていないかもよ。候補生、なんだから」
制服を着ていない者達からの、好奇の視線が彼女に集まる。
セイレン島は精霊の島。島民とは精霊のこと。だからどんな住民も人間は「居候」と呼ばれる。そういう慣例らしい。
ただし、その中でも「名誉島民」と呼ばれる特別な立場の人間がいる。
人に力を貸してくれる精霊は普通、その気配を感じさせることはあっても姿を見せることはない。
だがごくまれに実体化するものもいる。そういう精霊は特に力が強い。たとえば動物のような姿をしていても高い知性を有している。人型を取り人間と同様に言葉を話す存在もいるという。
そんな実体化する希少な精霊と契約を交わすと「名誉島民」と呼ばれるのだ。
あの黒いコートは、周りと一線を画すほど精霊に好かれている――名誉島民になる可能性を秘めた者に与えられている。
ふと思い立った私は、旅行鞄を手にして席を立った。
そしてカフェの入り口へと向かう途中、わざと黒いコートの女の子が座る席の近くを通り過ぎる。
「あ! ねえ、落としたよ!」
声をかけられて振り向くと、まさに黒いコートの彼女が身をかがめて落としたハンカチを拾ってくれているところだった。
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