10-5:今宵は七日目の夜

「仮契約をしてからは、とても窮屈で退屈な毎日だった。心から望んだわけではない相手では、常に何かに縛られているような閉塞感があったんだ」


 初めて会ったとき、彼は「窮屈で退屈な毎日から抜け出すために協力したい」と言っていた。

 何かを誤魔化すための方便みたいなものかと思ったら、違ったらしい。本当に言葉通りの意味だった。


「校長のことはどう思ってた……?」

「仮契約の息苦しさと、彼のことは別だ。僕のために仮契約してくれた。だからずっと感謝していたよ。今日の昼間まではね」

「精霊王から感謝された人間なら、仮契約が終わっても他の精霊達に強く好かれたでしょうに」


 何もしなければ、望み通りセイレン神殿でさらに上の地位を狙えたかもしれない。


「僕は、君を守って助ける者になりたかったんだ。でも逆だった……ごめん。九年前に君がしてくれたようには、活躍できなかった」


 思い出したハルはまたへこんでいる。


「今回のことは、別にあなたが悪いわけじゃない。ううん、多少あなたが悪くたって別にいいわ。それ以上に助けてもらったから」

「言われるほどのこと、したっけ……。ああ、紅茶の毒味したこと? それとも列車で匿ったことかな」

「そういうのも、他にもいろいろ」


 九年間ずっと、子供だったハルとのあのやりとりは私の特別な思い出だった。あの出来事を支えにしたことだって、一度じゃなかった。

 今回のことで彼を責める気はどうしても湧いてこない。

 いや、むしろ――。


「私が気にしてないんだから。これ以上落ち込むのはなしよ」

「うん……」


 頷くハルは、どう見ても渋々といった感じだ。


「ねえ、他に聞きたいことはない? 何でも答える。君の望みなら」

「質問はもう思いつかない」


 ちらりと時計を見る。消灯時間はもうすぐ。でも、彼はそんなこと気にしていない様子だ。

 私は、彼にさっき渡したカードの中身を見るように促した。


「まさか……君がこの言葉をくれるとは思ってなかった」


 恥ずかしくて顔を逸らす。

 カードに書いたのは、「会いたい」の一言だった。


「か、書けば会いに来るって最初に言ってたでしょ」

「僕にここにいてほしいってこと?」

「そう。できれば、日付が変わるまで」


 私はおもむろに立ち上がると、ベッドサイドにしゃがむ。そしてマットレスの間に隠していた手紙を取り出した。

 アシュレから回収したものも合わせて全部で三十一通。

 コラク公国第二王女ユリアから、婚約者ロベルト・ヴィークに宛てたものだ。

 彼はそれを見て私が何をしたいか察したらしい。


「強い精霊に愛された者が心寄せる者もまた、その恩恵を受けて精霊に愛されるようになる。特に、気持ちのこもった贈り物なんかを貰っているとね」

「セイレンでは、そのことを教えてないみたいね」


 でなければ、ロベルトはアシュレに手紙を預けたりしなかったはずだ。


「精霊王にでも教えてもらわなければ、知りようがない」

「それもそうか……。これはね、あなたとは違う精霊王に愛されたユリアが、心を込めてロベルト宛てに出した手紙なのよ」


 これがロベルトの近くにあることで、彼は精霊から好かれやすくなる。

 逆に言えば、これがなければ彼は精霊からの好意が薄まる。おそらくだけど、彼が名誉島民候補生のコートを持てたのはこの手紙の影響だ。


 なら、破棄されてしまえば……。


「無理はするな、放っておいていいってユリアは言ったの。だけど私が許せなかったから。単なる八つ当たりなのよ」


 ユリアの逃亡先から目を逸らすために、セイレン島に来た。でもそれだけでなく、この手紙を取り返して破棄してしまいたかった。


 ヴィーク侯爵の追手からユリアを逃がすだけじゃ終われない。どうせなら、彼女を裏切った相手に少しでも仕返ししてやる。


 そう決めたのだ。子供じみた衝動だ。こんな状況の中での、せめてもの八つ当たり。


 そして破棄するのは、できれば彼女が生きているうちに。

 そうすれば、この手紙に宿った僅かな精霊の力もユリアの元に向かい、本当にほんの少しだけだけど彼女の道行きを照らしてくれるだろう。


 遥か離れた場所から友人へ、できることはすべてやりたいから。


 私はすべての手紙をちぎっていった。明日、どこかに埋めてこよう。差出人のユリアの許可はとってある。


「コラク王家を加護する精霊王はね、今は第二王女ユリアと特別な繋がりを結んでる。だけどそのユリアは、精霊王とコラク王家の契約自体を破棄すると決めたの」


 王家を加護する精霊王は、ハルのように人間のような存在ではなかった。

 もっと人とは別の理屈で生きている、強大な力を持つ、親切でときに厄介な隣人。


 ヴィーク侯爵の行為に怒った精霊王は、ティシュアの崩壊を望むとまでユリアに告げた。そこまでしなくては、もう怒りを治められそうにないと。

 長く存在して力が大きくなり過ぎた精霊は、いったん生じた感情をうまくコントロールできなくなっていた。


 だけどユリアはティシュアの崩壊を望まなかった。彼女じゃなくたって誰でも避けたい事態だ。強大なティシュア帝国に何かあれば、精霊とだけでなく人間間の争いだって起きて、たくさんの者が傷つく。

 コラク公国だって巻き込まれるだろう。

 だから、わずかに残る精霊王の理性に訴えた。


「一度すべてを終わりにしようと、ユリアと精霊王の間で話がついてしまったわ。猶予はとても短かった」


 できるだけ早くコラク公国に戻り、王家の霊廟で契約を解く儀式を行わなくてはならない。

 そのために、私は追手の注意を引き付ける囮の一人になった。


「その言い方だと、終わりにするという意味はわかってるんだね」

「ええ……」

「契約が強固なものほど、解消の代償も大きい。一族全体に加護を与え、その中の誰かとさらに契約を結ぶ……そこまで深い繋がりを断ち切る場合、終わりとは精霊と契約した人間の両方の死を意味する」

「ちゃんと両者了承済みの結末よ」


 周囲はなかなか受け入れにくい結末だけど。

 すべての手紙をちぎってしまうと、私は椅子に背を預けて深く息を吐いた。

 時計を見る。十二時までまだ三時間以上もあった。


「彼女が契約を破棄する儀式を始めたのが、山鳥の日――入学試練の前日なの。つまり、今日が七日目。ユリアは、この儀式は七日で終わると言っていた」

「そうか」

「だから今日は、日付が変わるまで一人でいたくないと思ったのよ」


 相手は誰でもいいわけじゃない。

 想像したとき、ハルの顔が浮かんだのだ。傍にいてもらえたら、落ち着いて今夜を乗り越えられるんじゃないかと思った。


「君が望む限りここにいるよ」

「うん……」


 あの特別列車で、私はユリアから貰った占い結果――またの名を予言、もしくは精霊王の宣託に従って、乗り込む部屋を選んだ。そこにいたのがハルだ。


 彼女があの予言を教えてくれるとき、やたら笑顔だったのが気になっている。


『いい、絶対に従うのよ? 絶対だからね?』

『わかってる、必ず成功させるわ。あなたの手紙だって――』

『もう、そこはこだわらなくていいって言ったでしょ? 危険なことはしちゃだめよ』

『どうして? そのために、わざわざ精霊王に頼んで教えてもらった予言なのよね? 私がセイレン島に無事向かうことができて、そして成功するようにって――』

『厳密にはちょっと違う聞き方なんだけど……。いえ、あなたのことだから詳しく説明してしまったほうが、多分上手くいかないわ』

『待って。どういう風に聞いたの』

『ともかく、この予言を信じて。絶対にね。結果報告を聞けないのが残念』


 そして私は予言に従い、あの列車で彼と出会ったから今こうしてここにいる。

 セイレン島に無事に辿りつき、入学試練に参加できた。手紙も回収し破棄することができた。

 そして、こんな夜に一緒にいて貰いたいと思う相手もできた。


 仕えるべき主であり、親戚であり、大事な友人であるユリアに報告したい。あの予言だって、精霊王に一体どういう聞き方をしたのか教えてもらいたかった。


 でも、できない。


「……逃亡劇は、今夜で終わり」


 その後、私とハルは残りの三時間と少しを言葉少なに過ごした。


 とても穏やかで静かな夜だった。



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