8-6:氷の鍵
「か、軽々しく聞くものじゃないでしょう」
「そうかな? 知ってるのかと思った」
「違うわ……」
たしかに、ここではどんな加護を持っているか、割と簡単に聞かれている。入学試練を受けられるのは愛し子のみなのこともあり、興味本位で挨拶代わりのように聞くのだ。
「僕の精霊についても聞いてこなかった。興味はない?」
「それも軽々しく聞くものじゃないと思ってただけ。それに少しはわかるわ。あなたの感情に呼応して、周囲が寒くなったりするやつでしょう」
彼を加護する精霊について、それ以上のことは実は知らない。ノアもそこまでしか把握していないのだ。
入学当初から名誉島民候補生の黒コートを与えられたほどだし、きっと珍しく力の強い精霊だとセイレン神殿が判断したのだろう。と、それしか言えない。
でもセイレン精霊研究学校の入学前に、キタシラカワ家で「たったそれだけの力」と侮られて馬鹿にされていたのは知っている。学校でも当初、やっかみ混じりで同じことを言う者がいたのも。
だから私からは話題に出せずにいた。
「見せてあげるよ」
ハルは意味深な笑みを浮かべて置いてあった水差しを取る。
「『怖いものが入ってこないように』」
そう言って水差しを傾ける。
中に入っていた水は、机の上にこぼれて広がって――いかなかった。
「これがあなたを加護する精霊の力……」
机の上には、水差しからこぼれた形の綺麗な氷ができている。
ひんやりとした空気が漂ってくるようだった。
「この氷は僕が触れない限り溶けることはない。今夜、君の部屋の扉を氷で塞いであげる。そうすれば怖いものは入ってこない」
「は……?」
「言っただろう? 君の部屋に外から鍵をかけてしまおうかって」
「たしかに言ってた、けど」
そこに繋がるの?
というか、本当に私を閉じ込めたいと願っているということ?
数時間前に例えで想像したことが、現実となって突きつけられた。彼が本気で私を閉じ込めたいと言ったら、どう答えるべきなのか。
「嫌かな?」
ハルが小首を傾げる。あざといけど絵になるのが癪だ。
「嫌というわけじゃ……ううん、嫌」
「え、そんな簡単に却下は酷い」
「部屋に籠っていたら例の代筆した生徒にも会えないじゃない」
「明日の朝までだよ。君が今夜安心して眠れるように。列車でも同じことをしたよね。誰も入ってこないように僕が鍵をかけた」
「それは……言われてみればそうだけど……」
煮え切らない返事をしながら、私は適当に時間を稼ぎたくて机の上にある氷塊に手を伸ばす。
小さな塔のような氷に指先を触れさせると、少しだけ表面が溶けて雫が落ちた。
「駄目だよ、触ったら」
「ねえ少し溶けたわ。あなたにしか溶かせないはずなのに」
「少しだけね。それ以上は――」
指先が触れて溶けた数滴の水は、氷の表面を滑る間にまた凍ってしまった。もっと触ったらどうなるかと、手のひら全体を氷に押し付ける。
「痛っ!」
「駄目だと言ったろ」
私が反射的に手を引っ込めるより早く、彼に手首を掴まれて強引に離された。
「冷たすぎても痛みを感じるものなのね。驚いたわ……」
「長く触りすぎると怪我するよ」
じんと響くような感覚にびっくりした。
氷の手のひらを当てた部分は、少し溶けたような跡を残して、今はもう綺麗に再度凍っている。この調子では完全に溶かしきるのは不可能だ。
「あなた以外に溶かせないのは本当のようね」
「普通は数滴でも溶かせないんだ」
「でもさっき少し溶けたわ」
ハルはなぜか小さくため息をついた。
「君が思ってるより特別な事態だよ。……僕らは同じ精霊の加護を得ているかもしれないってことだ」
「まさか、あり得ない」
「同じ精霊由来の力を持つ者だと多少の干渉ができるという。逆に言えば、それ以外で君が氷を少しでも溶かせる理由はない」
「私、あなたみたいな氷は作れないわ。最初に見せたでしょう」
「君が加護してくれる精霊と距離があったせいかもね。力のある精霊は、その力の残滓だけで加護を与えられるという」
「力のある精霊っていったって、そんなこと普通はできない――」
同じ精霊が何人もに加護を与えるなんて聞いたことがない。同じ力を得ている者がいても、加護する精霊はそれぞれ別の個体だと言われている。
と考えて一つ心当たりに思いつく。
コラク王家を加護する精霊が宣託を与えるのは、契約者だけじゃない。思い至って真顔になった。
「……まさか精霊王? その黒いコートはそのために」
「疑いがあるというだけさ。力の強い精霊なのはたしかだね。そしてその理屈なら君だってそう」
彼が私の羽織る黒いコートを指先で軽くつつく。
これはハルにお膳立てされたズルをして貸されたものだ。だけど、万が一私とハルに力を貸している精霊が同じなら……。
いや、さすがにそんなこと急に言われたって信じられない。それよりも。
「ど、どうしてあなたの精霊のこと、周りに知られてないの。もっと情報を出せば、ロベルト達の中傷なんて霞むし、好き勝手にあなたを貶める者はいなくなるわ」
「別に興味ない。セイレンでのパワーゲームには大した魅力を感じないんだ。それより、もし君と僕が同じ精霊王由来の力を得ているとしたら、過去にどこかで同じ経験をしているのかもしれないね」
ハルは無邪気に笑った。
「一段落したら、君についてセイレンから出ていくのもいいな」
結局、気付けばなあなあで扉を彼に氷で封じてもらうことになっていた。
いや違うか。私が本心から拒否しなかったからだ。
今晩だけのことならば、自分の身を守るためにも悪い話じゃない。そんな言い訳めいたことを思いながら了承してしまった。
話を聞いたノアは心配そうにしていたけど、今晩だけのことだからと強調して説明した。
ノアは信用できる女性の使用人を一人連れてきてくれたので、彼女についてもらいながら寝る支度を済ませる。
ふと気になって、ノアと二人のタイミングで、ハルも相部屋だったり共同のシャワー室を利用しているのか尋ねた。
答えは「いいえ」。家の力や名誉島民候補生であることを最大限使って、個室も一人用のお風呂も確保しているらしい。セイレン精霊研究学校には上流階級の者が多いから、珍しいことでもないという。
「設備の数が少なかったりすると、こう、いろいろ裏での駆け引きが必要なこともあります。でも大抵難しくはないです。学校側もわかってますから」
「ふうん、そういうものなの」
「入学試練のときくらいですかね、無理がなかなか通らないのは。個室や使用人の希望を個別に受け付けるのは、人数的に厳しいらしいです」
「もしかして今回、私のことでどうにかならないかしようとしてくれた?」
「当然です。無理でしたけどね。二年前のハル様のときにもできませんでした」
「あなたが無理だったなら、仕方ないと思えるわ」
へこんだ彼を励ます。彼は十分できる従者だ。だから、多少の難局も乗り切れるだろうと期待できる。
「ねえ、ノア。もしかしたら私、今夜ハルに――」
話し終えると、ノアはただ一言、「承知しました」と言ってくれる。
やはり彼はできる部下だ。
消灯時間少し前に、ハルが部屋にやってきた。私の部屋を封じるために。
ガウンを羽織った状態の私は、扉近くで彼とやりとりをする。
「まずは今日のカードが欲しいな」
「あ、忘れるところだった」
「酷いなあ」
一応準備はしてある。机に取りに戻り、廊下で待つ彼に差し出す。
「このやりとりって意味があるのかしら」
定期報告する内容がない。基本的に全部こうして直接話しているから。
今日の中身も、昼間に彼が私の紅茶を毒味したことを受けて、もっと自分を大事にしてほしいという短い文だ。
「僕には意味があるんだよ」
彼が封筒に手をかける。でも私は力を入れたままで、受け取れない彼が不思議そうにした。
「……イリナ?」
「あなたに言っておきたいことがあるの」
私は俯くと、硬い声で告げた。
「面白くない話かな。こんな場所で立ち話でいいの?」
彼に慌てた様子はない。私は手の力を緩めて封筒を彼に取らせると、一歩引いて彼を部屋に招き入れた。
でも扉のすぐ近くに立ったままだ。これなら、話が終わった後にすぐ彼が出ていける。
「それで言っておきたいことって?」
「あなたに隠していたことがある。いえ、正確に言うと騙してた。言うか迷っていたけど、これ以上隠すのはよくないと思うから」
「……どうぞ」
短く促され、私は一度深呼吸した。
「私はコラク公国第二王女ユリアじゃない。彼女の影武者。事情があって王女のフリをしてここに来ただけなの」
思い切って彼を見れば、怖いほど冷静な彼がいた。
「それで?」
「あ……あなたが私を王女だと思って尽くしてくれたこと、とてもありがたいと思ってる。そして申し訳ないとも思う。ごめんなさい。でも私への協力が間接的に王女のためになっていることはたしかなの。だから、よければこれからもあなたの無理のない範囲で協力を――」
「今それを言うのはなぜ?」
「昼間みたいに、あなたが私のために命の危険を冒す必要はない、ということよ」
「僕が言いたいのはそこじゃないんだよね」
にこにこと言われても、私には他に理由はない。意味がわからず彼を見返すと、彼の目だけ鋭くなった。
「僕は君のことなら大抵のことを許せるからね。そんな些細な嘘はどうでもいいんだ。ただ、あからさまに僕が君の隣から去ることを前提としている感じなのが、面白くない」
「些細な嘘? 全然些細なんかじゃない。王女を騙るなんてそうそうには――」
「些細だよ。それより今なら僕が君に怒って協力をやめたって、君は例の代筆者とコンタクトを取ることができるもんね。だからリスクを承知で打ち明けてもいいと判断したんだろう?」
「あなたがいなければ代筆者にコンタクトはとれないわ。名前も顔も、私は知らないもの」
「でもノアが知ってる」
含まれた意味に、私は言葉を失くした。
ハルは「僕は協力をやめたりしないのに」と小さくため息をつく。
「けど、僕が君だったとしたら、やはり同じように合理的に考えて行動するだろう。だから、あまり責められないんだけどさ」
「ねえ。ノアが知ってたら……なんなの?」
勘づかれるようなこと、何もしていない。
「ん? だって彼は君の頼みなら協力するだろ。僕と君が決裂したって、裏でこっそり手引きしてもらえる」
「だから、どうして」
「僕は昔、誘拐されて死にかけたことがある。でも助けてもらった。君はあのときの少女と同じ温度がする。そしてノアが僕の元にきたときも、ほんのりとその気配を感じた」
温度? 何を言ってるの?
それよりも、彼は「あのときの少女」と言った?
「つまり君はノアと繋がっている。同じ雇い主の元にいるか、君がノアの本当の雇い主だ」
「それ……いつ気付いて……」
「もちろん、列車で君を見た瞬間に」
あんな、最初から?
「僕にとって君は君以外の何者でもない。正体が王女だろうが貴族の娘だろうが商人の娘だろうが、どれでもいいんだ。君だから大事にしている」
呆然と立ちすくむ私をよそに、彼は「ああ、消灯時間が過ぎる」と言うと、おやすみと優しく囁いてから部屋を出て行った。
我に返ったときには、もう部屋の扉は開かなくなっていた。外に人の気配もない。
どうしようもなくて、ふらふらとベッドに横たわる。考えるべきことがある気がするのに、なぜか安心な場所にいるという感覚が体の力を抜けさせる。
その夜、私はハルによって封じられた部屋の中で一人、ゆっくりと眠った。
自分でも不思議なくらい、ぐっすりと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。