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9-1:三流の逃亡劇
私が十二歳のときだ。家族で王領にある屋敷に遊びに行った。
そのとき、私は一人で山の中の探検に出かけた――といえば可愛らしいけど、本当はこっそり逃げ出した。
その頃第二王女ユリアは精霊王と契約を結び、面立ちが似ていた私は、彼女の側仕え兼影武者として生きることが決まったばかりだった。そのための心構えやらなんやらを教育され始めていた頃だ。
『お前なら、きっとうまくやれることができるよ。頼りにしている』
『王女に似たのが、君のような物分かりのいい子で安心したわ』
『あなたは優秀ですよ。似ていたのがあなたでよかった』
おおむね、周囲の期待には応えられていたらしい。数少ない事情を知る大人達は、みんな褒めてくれた。
でも、いきなり変わった生活に私は戸惑いっぱなしだった。仕える相手の王女とはまだ少ししか話したことはないし、周りは怖い大人達ばかり。
だからふと、全く違う場所に行きたいと思ったのだ。
もちろん、子供のちょっとした逃亡劇などすぐに終わると知っていた。自分でもどうせ夜中には諦めて別荘に帰ることになるだろうとも予想していた。下手に大ごとにならないよう、それをしたためた置き手紙まで用意した。
三流演出な逃亡劇だけど、一時的にでも逃げた気になれればいい。
そうして逃げ出した私は、適当に進んだ山の中に廃墟になった館を見つけ、好奇心から中に潜り込んでしまった。
ところどころ朽ちて崩れているところもある館は、昼間でもちょっと怖い。足音を立てないように、私はこっそり進んだ。
するとある部屋から下品な笑い声が聞こえてきた。嫌な予感はしたけど、やはり好奇心に負けて中を窺う。
他に比べるとだいぶ内装がそのまま残っている応接間で、たしか五人くらいの男達が昼間から酒を飲んで騒いでいた。
「コラクまでくれば、あちらも足取りは追えねえさ」
「ガキはもう始末しちまってもいいんだろ? 死んだらこのあたりに埋めちまえばいい」
「もともと体が弱えのに、強行軍させて余計に弱っちまってよ。見てて可哀そうなくらいだったなあ」
「おい、同情はするなよ」
「あんまり可哀そうでさ、さっき終わりにしようって言って、用意してた毒飲ませてやったよ」
「もう殺しちまったのか!? はは、そりゃご苦労さん!」
ギャハハと全員が笑う。
内容に怯えた私はすぐさまその場から去った。来た道は戻らず、出口に近そうな方へ。
そうしたら薄っすら開いたドアから誰かの苦しむ息遣いが聞こえてきたのだ。
そっと中を覗くと、そこには横たわった少年がいた。
「だ、大丈夫?」
慌てて駆け寄り声をかける。
「誰……?」
彼の目は開いていたけれど、私ではなく虚空を見つめていた。
「暗い……夜なの……?」
「今は昼よ。それに窓から陽射しも入ってきて明るいわ。見えてないの?」
「あなたは精霊? 冷たい……ひんやりする。気持ちいい……」
握った彼の手はとても熱かった。彼がきっと毒を飲まされた子供なのだと悟る。
どうするか悩んで黙っていたら、懇願するように彼が呟いた。
「ねえ、もし精霊なら、僕を攫ってください……どこか……どこでもいいから、もっと明るい場所に……」
連れ出してあげたかったけれど、弱り切った彼に長時間の移動は絶対に難しい。小さな私では抱えて運ぶこともできない。
――でもこのままだと、あの男達が様子を見に来る。
彼が死んでないと気付けば、今度こそ息の根を止めようとするだろう。それはもう簡単に、笑いながらでも。
大人達を呼ぶには、一時間以上かけてきた山道を戻らないといけない。
おそらく一番の正解はそれでも戻る、だったのかもしれない。子供の私にできることは何もなかったのだから。
でも一人にしないでくれと私の服を弱々しく掴む彼を置いて、簡単にその場を去ることができなかった。
「せめて彼らに見つからない場所に行きましょう」
ここにいたら殺される。
その一心だった。
ふらついてすぐに倒れ込む彼を何とか支えながら、部屋を出てできるだけ男達のいる場所から離れた。
途中かなり建物が崩れている箇所があって、瓦礫で廊下が塞がれていた。でも子供にしか通れないような隙間から、廊下の向こうに抜けられるのに気付く。
「この向こうなら、簡単に捕まらないわ」
そして抜けた先に小さな物置部屋を見つけた。
中は明り取りの小さな窓が一つあるくらいで暗かったけど、比較的綺麗で物がなく、彼が横になるスペースがあった。
喉が渇いたという彼に水筒の水を飲ませたけど、すぐになくなってしまう。
「すぐ近くを小川が流れてたわ。水を汲んでくる」
「でも……、あいつらが来たら……怖い」
「この部屋には鍵をかけておくわ! 怖いものが入ってこないようにしてあげる!」
予備の鍵が扉近くの壁にかかったままになっていたのだ。それを使えば、外側から鍵をかけられる。
私の言葉に、彼はほっとしたように握っていた手を離した。
「待っててね。ちゃんと戻ってくるから」
そう言って私は、彼を物置部屋に閉じ込めた。
館を出ると、近くの小川で水を汲んだ。あたりが夕焼けに染まっていたのを覚えている。
物置部屋に戻ったとき、彼は完全にぐったりとして横たわっていた。
うす暗い中でなんとか水を飲ませると、先ほどよりもしっかりした声でお礼を言われた。
「ありがとう……」
「気にしないで。それより動けそう?」
「さすがにまだ無理そうだ……。ここから逃げだすには、まだ……」
試しに立たせてみたけど、すぐふらついて倒れてしまった。
やはり、彼を連れて逃げ出すことは無理のようだ。こんな状態で山の中は進めない。
「体が痛い……苦しい。どうして、こんなに辛いんだ……?」
「待っていて。今度こそ助けを呼んでくるから」
行こうとする私の手を、彼が弱々しく握った。
「戻って来る?」
「ええ、必ず」
できるだけ安心させるように言うと、私はまた部屋を出て鍵をかけた。
彼を害する者が中に入らないように。
そして外に出たのだが――。
「どこ行きやがった!?」
「あんな体で遠くまで逃げられるもんか! 探せ!」
彼が逃げ出したことが、男達に気付かれた。
建物の周辺には男達が散らばって、血眼になって少年を探している。
きっと私のことも見逃さないだろう。
見つからないように建物の隅に隠れ、男達の声がなくなるのを待った。怖くてたまらず、怯えて縮こまり、私も物置部屋の彼も見つかりませんようにと願った。
なかなか男達の声は無くならず、やがて緊張で疲れ切った私はその場で眠ってしまったのだ――。
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