8-5:私のために

 宿舎に戻りながら、昼食の件について、どこまで公にするかで少し揉めた。

 私は周囲には隠したい。ハルはある程度明らかにして堂々と犯人探しがしたい。


 たぶんハルの言うほうが正論だ。でも、狙われた当の本人が公にしたくないと主張すれば強い。


「私を狙う相手なんて、突き詰めていけば三択だわ。危ない橋を渡ってまで私をどうにかしたいと思える相手なんて、ロベルトかジェニファーあたりでしょ」

「三人目は?」

「手紙の代筆者」


 西の監視塔に呼び出したあの手紙には「コラク公国の高貴な身分の方へ」と書いてあった。あれを書けるのは、その三人くらいしかいない。


「相手に見当がついていれば、警戒のしようもあるわ。せめて代筆者を特定するまでは大ごとにしたくない。動きづらくなる」

「そこまでして手紙を取り返したいんだ?」

「当然よ。代筆者がもし在校生で入学試練の場に来ているなら、今日明日にでも残りの一通を取り返せる可能性があるじゃない」


 それに事件を公にすると、流れによっては私の素性の話をしなくてはいけなくなる。

 ここに来る際、私が王女ユリアであると名乗りを上げる事態も考えてはいた。でもとらずに済むなら、最後まで避けたい手段でもある。


「私は、イリナ様の身の安全を犠牲にしたくはありません……」


 黙って聞いていたノアが控えめに、追い詰められた声で主張する。そんな風に心配されると、さすがに自分が酷い我儘を言っていると感じて苦しくなった。

 どうするつもりかハルを見る。


「僕は……どうしてもイリナが望むなら従おう。協力すると言ったしね」

「ハル様!」

「僕は彼女のお願いに弱い」

「そんな、きょとんとした顔で言うことじゃないです! ああもう、お二人がそのつもりなら私には反対できませんよ」


 ありがたい。でも別の意味で苦しくなった。

 ハルは私を「ユリア」だと勘違いしたまま、こんなにも親切にしてくれているわけで。


 私では、彼が期待するものを返せないかもしれない。


「僕は校長のところに行ってくる。さすがに彼には報告が必要だ。これからイリナの食事は僕らととることにさせて、見の周りの世話をするのにノアと、誰か信用できる使用人を一人つけさせよう」


 そう言って、宿舎とは別の方向へとハルは去っていった。一度決めたら行動が早い。

 残された私とノアは、言葉少なに入学試練生用の宿舎に戻った。自室に戻るなり、ノアはがばりと頭を下げる。


「申し訳ございません。私がついていながら、あのようなことに」

「あれを防ぐのは無理よ。セイレン島に私の命を狙う者がいるなんてこと、まさか想像していなかったもの」

「ですがハル様まで危険な目に合わせてしまいました。本来あれは私の役目です」


 主人に毒味をさせてしまったことも含め、相当に悔やんでいる。

 私は彼の肩に手を当てて無理やり顔を上げさせた。


「もし次にああいうことが起こりそうになったら、私のことはいいからハルを止めて。あなたに命じたこと、覚えているでしょう?」

「『ハル・キタシラカワが健やかに過ごせるよう気を配ってくれ』、ですよね。……承知しました」


 納得いかなそうにノアが了承する。


「ですが、私が守るべきはハル様とイリナ様の両方ですから! 両方に気を配りますからね、私は」


 凄むように宣言され、やや圧倒されながら私は頷いた。


「それから、ハル様のことを誤解しないでください」

「誤解?」

「草原で、あなたの部屋に外から鍵をかけるなんて言い出した件です。あれはおそらくハル様なりの愛情表現というか……あの方は、たぶん大事なものほど閉じ込めて守ろうとする気があるんです」


 大事なもの、と言うときノアが私をちらりと見る。


「前に一度、可愛らしい小鳥をいただいたことがあります。ハル様はマメに面倒をみていたのですが、あるとき逃がしてしまって」


 タマキが言っていたやつだ。

 彼女の家が贈った小鳥をハルは不注意で逃がしてしまった。可愛がっていたはずなのに、逃げたことを喜ぶ素振りが見えるハルを伯爵夫妻は気味悪がっていた。


「そのときに言っていたんです。これ以上大切にしていると、もっと頑丈な籠に閉じ込めて、少しも外に出さなくなるかもしれない。でもあの小鳥はそれを望んでいないようだから、ここが潮時だったと」

「自分でわざと逃がしたということ?」

「はい、おそらく」

「小鳥が逃げたことは聞いたけど、わざとだとは知らなかった」

「すみません。なんと報告すべきかわからず」


 たしかに、もし文字で説明されていてもよく理解できなかったかもしれない。

 今だって理解はできてない。悪気なく「閉じ込めようか」と口にした彼を見たから、なんとなく悪意のなさがわかっているだけ。


「閉じ込めることが悪いことだと認識していないご様子なんです。おそらく、あの方の幼少期の経験が影響されているのだと思います。誘拐の件は、ご存じですよね?」

「彼が子供のころの話でしょう? 犯人は捕まらなかったけれど、彼は領内で無事保護された。攫われていた間のことを彼はよく覚えていないっていう」

「その話題はキタシラカワ家ではタブー扱いで、私も詳しくは存じません。ですが『閉じ込める』ことに妙な関心を持たれるのは、その事件のせいではと思うんです。ですから、できれば寛大な心で聞き流していただければ……」


 ハルを否定したくない気持ちと、私を心配する気持ちとに、ノアは板挟みになっている。

 私は明るく答えた。


「大丈夫よ。閉じ込められたくないときは、はっきりそう言うもの」

「たしかにイリナ様なら、望まないときははっきり断れますね。そうですよね……安心しました」


 でも、実際にはどうだろう。

 もし他でもない彼から、七日目まで閉じ込めたいと本気で請われてしまったら。記憶がなくとも無意識に誘拐のときの体験が影響して、歪んだ衝動に繋がったんだとしたら。

 

 ――もし本当に過去のことのせいでそうなったなら、私は頷かざるをえないんじゃないかな。


 想像を慌てて打ち消す。

 セイレン島に来たのは、ハル・キタシラカワと交流を深めるのが目的じゃない。ヴィーク侯爵の注意を惹きつけ、できればユリアの手紙を取り返す。


 そんなこと気にしなくていいのにと、笑う大事な友人の顔が浮かぶ。

 だけど私も、決めたことを易々と諦める気はない。




 その日の夕食は食堂に行かず、ハルと共に部屋でとった。

 といっても私の部屋で食事するにはさすがに狭い。空いている隣室の家具を動かし、そちらを使えるようにしてもらった。

 すべてはハル、ひいてはハルに言われた校長のおかげだ。


「あなたって校長のお気に入り?」

「他よりは交流があるだけさ。けど、せっかくだからそれを利用して便宜を図らせてる」

「堂々と言い切るじゃない……」

「利用できるものはすればいい。特に君のためだしね」


 答えにくい方向に話を向けるのはやめてほしい。

 でも利用できる相手を利用しているのは、私も同じだ。


「ロベルトの手紙を代筆していた者に、心当たりがあるって言っていたわよね。見当はついたかしら」


 ハルは得意げににやりとした。


「一人それらしい奴が一つ上の学年にいる。直接話したいというなら、明日ノアに接触させよう」


 ノアを見れば、心得ているというように頷かれる。彼もその生徒のことを把握しているようだ。

 それなら……私のほうの出方も変わってくる。


「それとなく僕が話しかけた時点でかなり怯えた様子だったから、あれで君を狙ったのだとしたらすごい演技力だな」

「話しかけた? いつの話?」

「さっき在校生用の宿舎に戻ったとき。君が手紙を取り戻したいと言ったから、できることはさっさと済ました。そうしておかないと君は一人で解決しそうだし、僕の出番がなくなってしまう」


 わざとらしく拗ねたように見てくるけど、大したことは言えない。言えるのはお礼だけ。


「……ありがとう」

「どうしたしまして」


 また「私」のためだ。

 結局そこに帰結して、私が答えにくいのは変わらない。


 食後に二人きりでコーヒーを飲む。ハルは自分が給仕するからいいとノアを夕飯にやってしまったので、本当に二人きりだ。

 望めばいくらでも人にやってもらえるし、利用できるものはすると言っているのに、こういうところで自分で動きたがる。私も手伝うと言ったのに却下された。

 ただ、コーヒーだけはノアが食堂で淹れさせてもらってポットに入ったものを用意してくれていた。


「コーヒーを淹れるのはノアが一番なんだ。技術の話じゃない。湯を使って飲み物を淹れる際に、精霊の加護を受けている。他の者が淹れるより、冷めても美味しい。彼が精霊研究学校生である理由だよ」

「どうりで、機会があるとノアがやたら淹れたがるわけね。たしかに彼の淹れるコーヒーもお茶も美味しいわ」

「これまで一度も聞かなかったね」

「何を?」

「ノアがどんな精霊の加護を持っているか」


 一瞬、動きが止まってしまった。ハルを見るけど、彼は薄い笑みを浮かべたまま私を見つめ返しているだけだ。

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