8-3:西の草原で
「午後の散策に出られますよね? お一人では行かせられませんので、今日も同行するとハル様が」
「そ、そう」
「どうかされましたか?」
「……いいえ、何でもないわ」
ノアに先ほど聞いたハルのことを話すか迷って、結局止めた。
ハルを主人として気に入っている彼に、軽々しく疑念を口にしたくない。
だって入学試練はもう四日目だ。すべてが終わった後、彼が私との繋がりをなかったことにして、ハルの元で働き続ける選択肢だってある。
ノアに言うのは、ハルの本心をもっと探ってからでいい。
「イリナ様……?」
「ええと、ほら、今日は差し入れを何も持っていないのねって不思議に思ったのよ」
様子のおかしい私に、ノアが怪訝そうにするので別の話題で誤魔化す。
事実、今日の彼は手ぶらだった。連日、ハルからの差し入れが当たり前になっていたので、意外だったのも本当だ。
物をもらうのを当然のように思いたくないけど、でも彼は出会ってからずっとなんやかんやと私に贈り物を渡してきた。なので少し拍子抜けしてしまっても仕方ないと思う。
「必要なものがございましたら、用意いたしますが」
「いえ、特にないわ」
会話を切り上げると、私達はまず食堂に向かった。
いつもいる使用人達はおらず、入学試練生用の昼食がそれぞれバスケットに入れられてテーブルの上に置かれている。
今日は食堂で働く使用人達が休息をとる日らしく、昼食はあらかじめ作られたサンドウィッチと果物なのだ。
人数分のバスケットが並んでいるのは、ちょっと壮観だった。
「イリナ・アドラーは……これね」
それぞれに名前の書かれたカードが紐でくくりつけられている。
でもノアが持っている、ハルと二人分の昼食が入っているらしいバスケットには名札はない。
「名前付きなのは入学試練生用だけ?」
「まだまだ体調を崩す者もいるので、その把握のためかと思います」
「ああ……たしかに、救護室はいつも誰かしらが訪ねている様子だわ」
体調不良で街に戻ってしまった者達は五十人を超えたと聞く。残っているのは百五十人程度。最終日にはもっと減っているだろう。
まだお昼には少し早く、午前の講義も終わっていない。そのため、バスケットはほとんど残っている。すでに取った者もいるらしく、並んだバスケットのところどころに歯抜けのようなスペースがあった。
外に出ると、すぐそこにハルが立っている。
腕組みをして近くの木に寄りかかっている姿に、先ほどのことを思い出してまたどきりとした。
「ハル……」
「やあ。今日はちょうどいいから散策がてらピクニックをと思ってね」
そう言うと、彼は私が手にしている一輪の花に目をやる。寮を出る際に、入り口に飾られている花瓶から抜き出したものだ。
「それが今日置いてくる花? マメだね」
「入学試練生としては当然でしょ? いろいろありすぎて忘れそうになるけど、私、まだリボンを貰えてないのよね」
一応、毎日外に出て花を置いて帰ってはいる。
でも入学試練の合格条件である、精霊からの返礼であるリボンを見つける、は達成できていない。
人によっては、すでに二本手に入れたという者もいる。
初日に青い薔薇を見つけて名誉島民候補生用のコートを貸し出してもらい、宿泊部屋まで優遇してもらった私は、まだゼロ。
最初は私を遠巻きに羨望の眼差しで見つめていた者達も、今は特に気にした様子はない。初日にノアの言っていた通りだ。
「条件は七日目までに見つけること、だ。七日目に見つけたって合格だから焦らなくていい」
「とはいってもね。落ち着かないわ」
当たり前の顔で、無難な世間話をしている。
ロベルトと一緒にいたときのことなど、なかったかのように振る舞うハルにどこかほっとして、私は彼の調子に合わせる。
彼が触れてこないなら、私からも触れない。
塀を出た私達は、西側、草原の広がるエリアに足を運んだ。
昼食をとるのにちょうどいい木陰を見つけ、ノアが敷物を広げて準備する。待つ間に、私は持ってきた花を木の枝の間にかけるようにして置いた。
「君が置いた花を持ち去る精霊に妬きそうだな」
「馬鹿なこと言わないでよ」
「まあ、姿も見せずに花を持ち去るだけの存在でいるより、こうして君の隣にいられるほうが数倍楽しいけど」
「あなたって本当に、わけがわからないわ」
こういう軽口にはそろそろ慣れた気がしていたし、彼もわかって言っている感じだった。
でもロベルトとの会話のせいで変に意識してしまう。彼にとって、私が「ユリアだから」であることがとても重要なんじゃないかということ。
ロベルトの推測通り、彼はユリアに一目惚れ、したのだろうか。
それともコラクの王族に思うところがあったりして、王女に対して何か企んでいる? その場合は、さっさと王女の影武者である私に対して仕掛けてくれたら助かるけど。
入学試練前にも似たような感じで悩んだけど、もう少し割り切れていた気がする。今回は妙に心が乱されていた。
たった数日で変わってしまったのは、たぶんこの閉ざされた場所と、西の監視塔で起きたことのせい。
自分で思っているより、私は心細くて不安なんだろう。だから少ない味方の本心が気になって仕方ないのだ、きっと。
それにしても、彼が第二王女ユリアの絵姿に食いついた理由はなんだろう。
落ち着いて考えれば、あの絵姿は
誘拐されて保護されたときの十二歳のハル・キタシラカワは、とても弱っていて事件前後のことをほぼ覚えていなかったと聞いていた。
だけど……。
覚えているのだろうか。幼い知恵で人を一人監禁した、愚かな子供のことを。
いや、あり得ない。
彼は私の素性も姿も絶対に知りようがないのだ。それは私が一番よく知っている。だってあの時の彼は目が……。
だから百歩譲ってもし断片的に思い出しているとしても、絵姿には反応しない。
もしするとしたら、見た目じゃなく私の名――。
「イリナ、食欲がない? まったく手をつけてないけど」
「あ……そうね。あんまりお腹が空いていないみたい」
「今日は少し暑いし、せめて水分はとっておいたほうがいいよ」
「うん、そうする」
素直に頷くと、バスケットから水筒を取り出す。コップは入っていなかったけれどノアが気を利かせて三人分持ってきていたらしく、受け取って中身を注いだ。
「あっ――」
不意に強い風が手元に吹き付ける。
あやうく手元のコップをひっくり返しそうになり、私は動きを止めた。
単に驚いたからじゃない。いつもなら、ちょっと変わったこともあるものだくらいで流していたかもしれない。
でも、今の風はもしかすると。
そう疑ってしまったからだ。
「貸してくれ」
右手首を押さえられ、ハルが強引に私の手からコップを奪う。
どうするのかと思えば、彼は躊躇なく口をつけた。
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