8-2:王女の絵姿

「……イリナ」


 誰もいない廊下に出たと思ったら、すぐに呼び留められる。


「ロベルト、どうしてここに?」


 声の主はロベルトだった。どこか思いつめた様子に私も警戒する。


「聞いていただきたい話があって、あなたを待っていました。どうぞ私に時間をいただけませんか」

「話とは?」

「昨日のことです。どうやら私の友人が先走ってしまったようなのです。これ以上はここでは……」


 多分、婚約に関する話をしたいということだ。


「少しでしたら」


 仕方なく頷くと、先導するようにロベルトが歩き出す。階段を降りて通用口の一つから外に出ると、建物の裏側の目立たない場所に出る。

 少し離れたところには建物を囲う塀、間に植えられた木が影を落とし、なんだか暗くてじめっとしていた。


 通用口から建物沿いにちょっと進んだところで彼が振り返った。落ち着かない様子でその場でふらふらと立ち位置を探るように動く。

 あまり長く時間をかけたくなくて、私から話しかけた。


「昨日のことと言ったら、宿舎でのことですわね?」

「その……ジェニファーが私達のことを勝手に誤解して、友人達に相談してしまったようで……。私のことをとても慕ってくれている友人達で、少々熱くなったようで……」


 本気で焦っている様子だ。この分だと、昨日の一見は本当にジェニファーの独断で行った私への嫌がらせ……というより牽制か。

 ロベルトがどういう風に私のことを説明しているのかわからないけど、彼女は彼の態度に結構やきもきさせられているらしい。王女だと思っている相手に友人をけしかけるくらいに。

 私に接触してこないので実感が持てなかったけれど、私という存在はちゃんと二人へのプレッシャーになっているようだ。


「すみません、ユリア――」

「イリナです。気にしていませんわ。この学校では、あなたはジェニファーを救った英雄のように思われているようですから、熱くなってしまうのでしょう……」

「英雄だなんて。私はすべきことをしているだけですよ」


 急に元気になって言い切るロベルトに、嫌味の一つでも言ってやりたくなった。


「ジェニファー・エーブルに、私の絵姿を見せたのですよね。船の中での反応で気付きました」

「こ、婚約者であることは言っていませんよ!?」


 狼狽の仕方から、だいぶ疑わしい。

 というか、やっぱり絵姿は見せたのか。


「ヴィーク家はコラク王家とも関係が深いですから、私の懇意にさせていただいている知り合いとして見せただけです。もちろん一度だけです! ですがジェニファーは妄想を膨らましすぎたようですね、はは……」


 ぎこちなく言い繕うロベルトは、上手い言い訳を作っていなかったらしい。

 彼が好きな恋愛小説にも「特別にもらった王女の絵姿を勝手に人に見せる」ような人物は出てこない。台詞を流用するのは無理だ。


 そういえばあの小説、二巻か三巻あたりで登場人物の一人がパーティーで悪人を断罪する場面があった。

 もしかして園遊会ガーデン・パーティーでハルを断罪したのはそれに影響されたから?

 どうでもいいことに、どうでもいいタイミングで思い至ってしまう。


「でも見せたのは二人だけです! ジェニファーとハル・キタシラカワの二人だけで、それ以外には――」

「待って。私の絵姿、ハルにも見せていたの?」


 食いついた私にロベルトは嫌な感じに、にこりとした。


「あいつは何も言っていませんでしたか」

「何も聞いてない……」


 ロベルトがジェニファーに絵姿を見せたんじゃないかと怪しんだときも、素知らぬ顔でそれを聞いていた。


「ハルの奴、最初は特に興味なさそうだったのに、私が絵姿を見せたら強引に奪ってしばらく眺めていたほどなんですが」

「彼が? 強引に奪う?」

「はい。しかも後日、絵姿は他にないのかと聞かれました。もし他にもあれば、一枚譲ってほしかったようです」

「そこまでの興味を……」


 絵姿を譲れというほど。 

 出会ったときの彼は、髪の色と状況から私を王女だと言い当てた。でも絵姿を見ていたのなら、顔を見てコラク公国第二王女ユリアだとわかった可能性が高い。


 彼は最初から、不自然なほど親切な態度をとってきた。

 そこにどのような理由があるにしろ、それは私が「ユリア」だったから……。


「それからしばらくは、第二王女についてのことをやたら聞きたがりましたね。私が教えてやらないとわかると、すぐに諦めたようですが」

「……意外だわ」

「劇場でも言ったでしょう? あいつは、あなたに元から妙にこだわっている。彼があなたに親切にするのは、裏があるかもしれない」


 ハルのその関心についてノアからは何も聞いていない。だから彼のいないところでのやりとりだったのだろう。

 これまで半信半疑なところのあったロベルトの忠告だけど、ここまで具体的な話を聞くと無視できなくなってきた。


「ですが、そのような執着をされる心当たりがありませんわ」


 そう、理由がまったく思いつかない。

 万が一、だとしても、ユリアの絵姿に反応するような出来事なんて何も起きてないはずだ。

 無理矢理に理由をつけるなら、コラクという国に反応した、とか?


 真剣に悩んでいると、ロベルトにやれやれというようにため息をつかれた。


「簡単です、一目惚れですよ」

「え……?」


 一目惚れ?


「セイレン島にこもっていると、ときに退屈を感じることもある。そういうとき恋というのは毎日を彩ってくれますから」

「で、でも……」

「あいつにとってあなたは、一目惚れしても手の届かないはずの相手だった。繋がりのある私を妬んだに違いない。けれど私から奪い取るチャンスがきてしまった。私を見返すために、あなたを利用しているかもしれません」

「いや……」


 さすがに途中で妙な飛躍をした気がする。

 でも、彼が私に打ち明けていないものを抱えているのは事実だ。絵姿で私を知っていたことを、彼は言わなかった。


「不安ですよね」

「え、ええ。今は混乱していてなんとも言えません」

「安心してください。あなたのことは私が守りますから」


 気付けば目の前にロベルトが迫るように立っていた。私は建物を背にして、逃げ場がない。

 一瞬身構えるけど、彼は必要以上に距離は詰めずじっと優しく私を見つめている。私の答えを待ってくれている。

 もし好意を持っている者同士だったなら、とてもいい雰囲気というやつに見えるかもしれない。


 ジェニファーにも、こうして迫ったのだろうか。

 この優し気な眼差しが、もしユリアだけに一途に向けられたものだったなら。そうしたら今ごろ――。


「そんなところで内緒話?」


 急に聞こえた声に驚いて、私もロベルトも反射的に相手から距離を置いた。


「邪魔したかな?」


 見ると、通用口のところに腕組みしたハルが立っていた。いつも通りの笑顔で、首を傾げてみせている。

 だけどそれが威圧されているようにも感じて、胸がざわつくような不安感を煽られた。


「い、いいえ。話は終わったところです」


 ロベルトはもの言いたげだったけれど、それを視線で制し、私はこの場からさっさと去ることにする。


「ロベルト、昨日の謝罪は受け取りましたわ。それでは……」


 ハルとは目を合わせないように、そそくさと彼の横をすり抜けて建物に戻る。呼び止められはしなかったから、振り向かずにそのまま早足で逃げるように離れた。

 私が去った後に二人がどんなやりとりをするか、一瞬気になる。けど、留まるのはやめた。

 ロベルトから聞いた事実が上手く処理できていない状態で、ハルと相対するのはどうも心許ない。


 といっても、宿舎の自分の部屋に戻った私の元にすぐノアがやってきて、一人の時間はすぐ終わったのだけど。

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