5-4:入学試練開始

 セイレン神殿を出て、街の城壁が遠くなった頃。

 森と草原の合間くらいの場所に私達が七日間を過ごす建物があった。数棟の大きな建物が並び、それらを余裕を持って囲うように高い塀がある。

 塀は四角い形をしているらしく、各頂点部分にそれぞれ監視塔と呼ばれる塔が立っていた。


「この塀は街を囲う城壁の簡易版です。皆さんを精霊の強い力の影響から守ってくれます。あくまで簡易的なものですから、塀や建物の中でも、できる限り貸与したジャケットやコートを着用するように」


 塀の内側には小さな菜園のような場所も見える。ここは研究学校生達の実験場でもあるのだろう。


「まずは精霊達に、一日目の挨拶と敬意を表しましょう。入学試練生達ははぐれないように私についてきてください」


 校長の指示に従い、正面入り口から塀の外へ。

 出た先は左右に木々が広がる森の中だ。緑が生い茂っているけれど、枝の合間から十分な光が差し込み、とても明るい。

 校長や教員の他にも、手伝いのために何人かの研究学校生達が一緒だ。

 軽く見回したけど、ハルとノアの姿はない。ロベルトやジェニファーもいないようだ。私は少し肩の力を抜いた。


「先ほど選んだ花を好きな場所へ置いて。それが精霊達への敬意を示すための贈り物になります」


 胸ポケットに飾っていた青薔薇を抜き取り、しばらく迷う。

 特にここがいいなどというアドバイスはなかったので、人や動物に簡単には踏み潰されなさそうな大きな木の根元に置いた。

 他の入学試練生達も戸惑いつつも各々の思った場所に花を置けたようだ。


「これから毎日、皆さんは必ず塀の外を散策してください。その際、寮に置いてある花か食べ物を一つ、今のようにして置くように。あなた方がセイレン島に棲む精霊に好まれる人間ならば、散策中に『返礼のリボン』を見つけることができるでしょう」

「『返礼のリボン』って特別な比喩ですか? それとも……」

「いえ、言葉の通りリボンですよ。プレゼントを飾るあれです。普通なら森の中に落ちてなどいないもの。なのですぐ目につくでしょう」


 入学試練生の質問に校長が答えている。

 遠くに散らばった入学試練生達には、他の教員や同行した数名の研究学校生達が伝えていた。


「誰かが自分のためのリボンを見つけて拾ってしまうことはないんですか?」

「精霊達は、必ず相手の手に渡るように返礼を届けてきます。あなた達が目を一瞬話したその隙に、目の前に落としたりするんですよ」


 そのとき少し離れた場所から「あった!」と叫ぶ声が聞こえる。

 皆が注目すれば、水色のジャケットを着た幼い顔立ちの少年が萌黄色の細いリボンを手にしていた。

 花を置いた後、気付けば自分の靴の上にふわりと置かれていたらしい。


 本当にいつのまにか精霊が「返礼のリボン」を渡してくれる。

 その実例を目の当たりにして、周囲がそわそわと落ち着かない空気になった。


「あのように、そっとお返しは置かれるのです。『返礼のリボン』を得た者は合格者として扱いますので、入学試練生用の宿舎から移動し研究学校生達と同じ建物で寝起きしてもらいます」


 皆が一斉にきょろきょろし始めたのは仕方ない。私もちょっと確認してしまった。けど簡単にリボンらしきものは見当たらない。

 その後、しばらく近くを散策してから宿舎に案内される。

 結局、今日のうちに「返礼のリボン」を手にした者は他にも数人いたようだ。七日間のうちに数本手に入れることもあるという。


 私については、それらしいものの影も形も見かけなかった。

 でも問題ない。私の目的は七日目までこの場所にいること――逃亡中の王女がここにいるとヴィーク侯爵の意識を向けさせておくことだから。


 入学試練生用の宿舎は、とても大きなホテルにも似ていた。高級ホテルとはいかないけど、そこそこいいホテル。綺麗で大きな食堂に、洗濯やお湯の準備を頼めるらしい使用人達が揃っている。


 使用人は基本精霊の愛し子ではないらしいが、ほとんどがセイレンで生まれ育ち、この場所に多少の耐性がある者達らしい。深緑の制服は、私達のジャケットやコートと同じ効果があるという。


 基本は二人から六人までの相部屋らしいが、私だけは小さく飛び出るように作られた最上階の三つの個室の内一つを与えられた。他の二つは空室だ。

 ここは他よりも精霊の力への結界が強く張られていると、案内した校長が説明してくれる。


「新参者は興味を惹きやすい。精霊の興味を惹くということは、自身に精霊の影響を及ぼすことだからね。初めての場所で一人きりというのは申し訳ないが」

「構いませんわ」


 秘密を抱える私には個室のほうが安心できる。小さな浴室付き。しかも鍵までかけられる仕様だ。


「随分と豪華ですのね。この部屋だけでなく、この宿舎全体に言えますけれど」


 感心すれば、校長がちょっと苦笑する。


「うちの学校は各国の貴族の子息とか令嬢が集まる傾向にあってね。そんな彼らに、いきなり野宿まがいのことはさせられないだろう?」


 入学後は授業で野宿することもあるのだろうか……。


「じゃあ、なにかあればすぐに相談してくれ」

「ありがとうございます」


 校長が去ると、しばらくして扉がノックされた。

 訪ねてきたのはノアだ。


「一人部屋とは、ちょうどよかったですね」

「ええ、コートの件は想定外だったけど助かったわ。あなたはここに出入りしていいの? 研究学校生用の宿舎は別でしょう」

「入学試練生の宿舎には、消灯時間まで研究学校生や教員が常に何人か待機するようになっているんですよ」


 不安なときの相談相手になれるようにという配慮らしい。

 基本は食堂に待機。彼もその一員としてここに来て、抜け出してこの部屋を訪ねてきたという。

 ハルは来ていない。名誉島民候補生は入学試練生用の宿舎にはあまり出入りしないことになっているらしい。私が個室を与えられたのと同じ理由かと尋ねると「それもあるけど一番ではないです」という返事だった。


「一番は、たまに名誉島民候補生を過剰にありがたがる入学試練生がいるからだそうです。過去に、取り入るため強引に距離を詰めようとした者がいたそうで。ベッドのある部屋に連れ込まれるのは、その、まあ普通の部屋より問題が」

「ちょっと意外だわ」


 セイレン精霊研究学校で、強引に誰かに取り入ってまで図ってもらう便宜といってもあまり思い浮かばない。ここは、俗世の権力争いとは距離を置いている場所で、集まる人間も皆そんなイメージだった。人脈作りをしていたハルや、王族と婚約しながら裏切れるロベルト達が例外なだけで。


 伝聞で知るのと実際に来て知るのとではやはり違う。


「黒コートを貸し出された私も、そのありがたがられる対象に入る?」

「入学試練生同士ですと、合格を決めた人物が注目されますからね……。明日くらいまでは注目されるでしょうが、その後はそう騒がれませんよ」

「なんだ、そうなの」


 ちょうど二年前に入学試練に参加した彼の体験談だろう。

 ほっとした。下手に注目されると動きにくい。


「それから、この籠はここに置いておきますので」


 ノアは果物と焼き菓子が入った籠を持ってきていた。ハルから私への差し入れだという。


「彼って、私のこと一体なんだと思ってるのかしら」


 やたらと物を与えられる気がする。特に食べ物。

 最初に出会った列車で、空腹の私にマフィンを差し入れたのがよほど印象的だったのか。いつもお腹をすかせたイメージがついているなら、あまり嬉しくはない……。

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