5-3:噂話

 机の向こうには研究学校関係者のえんじ色のジャケットを着た者達がいて、花を片手にやってくる入学試練生に対応している。

 その中に一人だけ、黒い軍服のような格好をして、さらにロングコートを羽織った若い男性がいた。

 私が近づけば、合わせたように彼が私の向かいで待つ。なんだか、他の者とは一線を画した風格のような、オーラのようなものを感じる。


「セイレン研究学校の校長ですよ」


 最後にそっとそんなことを囁いてノアが離れていく。

 校長と目が合った私は、そのまま近付いて持っていた花を見せるように差し出した。


「これが私の花ですわ」

「どうしてその花を選んだのか、聞いてもいいかい?」


 知り合いに半強制的に差し出されたので。なんて答えられない。


「とても珍しい色だったので、ふと目についたのです。一つお聞きしていいですか。この花は、どういう意味が?」

「花を抜き取ることができるのは、精霊の加護を受ける愛し子のみ。通常はそれだけだよ。だけど、まさか存在するかも不明な青薔薇を手にする子がいるとは……」


 校長は近くにいた教員を呼んで何か指示をした。


「存在するかも不明とおっしゃいましたけど、フラワースタンドは研究学校の方が用意したんじゃありませんの?」

「そうだよ。だけど大輪の青薔薇なんて用意できない。つまりこの島の精霊が悪戯か必然か、勝手に加えてしまったんだろう。そして君が見つけた」


 校長は少し顔を寄せて小声になった。


「さすが、名誉島民候補生のハルが目をかけるだけある、かな?」

「どういうことでしょう」

「一昨日の夜、二人で劇場に来ていただろう?」


 カイゲン伯爵と会った夜のことか。

 彼女の席からハルと三人でいるところを周囲に見せつけたけど、彼もそれを見ていたらしい。

 校長は体を離すと優しく微笑む。


「どんな子なのか気になっていたんだ。珍しく貴重な花を見つけて、しかも抜き取れるということは、君は精霊に深く愛される性質を持っているということだよ」

「普通は抜き取れない?」

「ああ。だからみんな、自分が抜き取れる花を探していただろう」


 花に手を伸ばしては途中で止めるのを繰り返していた者達は、そういうことか。


「君は、ええと――」

「イリナ・アドラーですわ」

「ではイリナ。悪いけどこちらとしても慎重にいきたいのでね。試練中は本来の試練参加者用ジャケットではなく、こちらのコートを使ってくれ」


 指示された教員が彼に渡したのは、黒いコート。

 それを受け取った彼が今度は私に差し出す。


「私達の着用する制服は、強すぎる精霊の力によう特別な布地を使っている。水色のものでは君には足りないかもしれない。間に合わせで悪いけど、これで我慢してくれ」


 面倒なことになったと眉をひそめざるを得なかった。

 だって渡されたのは、ハルと同じ名誉島民候補生用のコートだったから。


「ありがとうございます」


 とりあえず素直に礼を言って受け取る。

 でも内心では疑問符が飛んでいた。

 たしかに私は、セイレンではある程度自分の存在を見せつけ、ロベルトとジェニファーにプレッシャーをかけてやろうとは思っていた。

 でも試練者の中で特別扱いを受けようとまでは考えていない。ハルは何を考えてこんなことをしたの?


 持っていた薔薇は胸ポケットに飾るように言われて従った。他の入学試練者達も同様にしている。

 ふと離れたところから、こちらを見ているロベルトとジェニファーに気付いた。

 ロベルトはなぜか嬉しそうでジェニファーは不満そう。対照的な表情だ。


 すべての入学試練生がジャケットを渡されると、校長が前に立って説明を始めた。


「いま、皆さんに貸与したジャケットは城壁の外に出るのに必要なものです。街を囲う城壁は人間と精霊の住む場所を分けているだけでなく、人間を守るためのものでもあるのです」


 守るために必要、という言葉に一部が不安げな声を漏らす。


「精霊は大きな力を持つ。時としてそれは、精霊の意図に関係なく人間の心身に影響を及ぼすことがあります。特にこのセイレン島には力の強い精霊達が多く棲んでいる。

 今から皆さんは、城壁の外にある建物に向かいそこで七日間を過ごします。建物は城壁と同じ力で守られてはいますが、外に出るときは必ずジャケットを着用するように。また、できるだけ屋敷内でも着たままでいてください」


 そう、研究学校生や教員、騎士団員達の制服には理由があるのだ。

 所属を示すための意味もあるが、セイレン島内においては彼らの心身を精霊の力による悪影響から守るためでもある。

 名誉島民候補生がジャケットでなくコートで、しかも作りこまれているのもそのせい。精霊に愛される者ほど、強い力が近寄ってくる可能性が高いから。


 周囲からは納得の空気と、そして私に対する羨望の眼差しを感じた。

 こんなコートを最初から与えられるほどならば、私の入学はほぼ決定したように見えるからだろう。


「では続いてこれからの皆さんの行動について説明します――」


 その後、入学試練として過ごす七日間について説明され、私達は神殿の奥へと案内された。

 入ってきたのとは逆にある出入口には、何台もの馬車が用意されていた。

 大人数で乗れるような大型のものだ。始めて見る形で、馬の数と馬車の大きさが釣り合っていないように見える。動くのは精霊の力が働いているかららしい。


 研究学校生と入学試練生は別れての乗車だったので、ハル達と一緒になることはなく、初対面の数名と共に順に馬車に乗り込む。

 一人だけ、引率役として青いジャケットの研究学校生が同乗した。

 そして馬車が動き出してすぐ、隣に座った女性が話しかけてくる。


「あなた、ハル・キタシラカワと懇意にしているようですけれど、どういう関係ですの?」


 いかにも気位の高そうな、気の強そうな印象を受ける美人。緑がかった艶やかな黒髪に、一重のきりりとした目元が色っぽい。

 彼女はまさに印象通りといった口調で私に問いかけてきていた。


「初めまして。イリナ・アドラーと申します。どこでそれをお聞きに?」


 まずは自己紹介をすると、相手は勢いを少し弱めた。


「あら……こちらも名乗らずに失礼しました。わたくし、タマキ・アカバネです。タマキとお呼びになって。キタシラカワ家とアカバネ家は遠い親類関係にあるので、少々気になったのよ。お二人のことを劇場でお見かけしたから。ハルに問い合わせたら、彼の屋敷で世話しているとだけしか返事が来ないし」


 親戚、問い合わせるほどの仲。

 私は慎重に返事をする。


「トウカの街で道に迷い困っていたところを、助けていただいたのです。ハルとはよくやりとりを?」

「いえ……親同士が季節の挨拶の文をやりとりするくらいで、私と彼との交流はありませんわ。何度か、お茶会や夜会でご挨拶したくらいかしら。けれどセイレン島に来るにあたって、何かあればハルを頼れとキタシラカワ伯爵家からは言っていただいております」

「そうでしたか」

「実際の彼がどんな方なのか、あなたの口から教えていただこうと思ったの」


 近い年の異性、家同士では懇意。

 ハルは最近、親の決めた婚約者との破局が決まったばかり。となれば、そこから予想できるものは決まっている。

 彼の新しい婚約者候補だ。おそらく彼女もその自覚がある。


「残念ですが、私も詳しくは知らないんです。親切にしてもらって宿泊場所まで提供していただいたけれど、それだけといえばそれだけで」

「彼が屋敷に誰かを招くだなんて、ほとんどないと聞いていますわ。よほどあなたを気に入ったのではなくて?」

「そうだといいですわ。でもあまり会話もしていないんです。たぶん、シャイでお優しい方なんでしょうね」


 実際は全然そんなことは思っていない。面倒ごと回避のための適当な方便だ。

 私のことを問い合わせたと言っているから、ハルも彼女の存在は把握しているはずだ。こういうことは私にも一言教えておいてほしい。立ち回りに影響が出る。


「騙されてるよ、あんた」


 割って入ってきたのは引率役として同乗している研究学校生だった。


「どういうことでしょうか」

「ハル・キタシラカワは、学内じゃあんまり評判はよくない。気を付けたほうがいい」


 黙っていても他の入学試練生達が興味を向けるのがわかる。


「理由を知りたいのですが」

「嫌な噂があるんだよ。気に入らない婚約者をいじめたとか、その婚約者を庇った男に嫌がらせしたとかさ」

「いじめに嫌がらせ……一体どのような」

「それから、自分の精霊の力を他の奴に見せない。名誉島民候補生様の貴重な力は、易々と披露できないってことか。感じが悪い」


 そこまで言って彼は口をつぐんだ。私の問いには答える気がないらしい。


「評判は最悪ですわね」


 くすりとタマキが笑った。

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