5-2:夜色の薔薇
セイレン神殿は、セイレンの街の中で一番島の中心に近い位置にある大きな建物だ。
その神殿の両側からは高くて頑丈な城壁が続いている。
神殿の向こう側はすなわち城壁の向こう側であり、入学試練はその「向こう側」で行われる。
街を区切る壁は島の端のほうにむかっていびつな半円を描く形で広がっていて、そのちょうど頂点にあるといえる。
街を区切る壁について細かく説明すると、島の端のほうには城壁の向こうにも農作地が広がっているため、そこを囲う二つ目の低い壁が存在したり、街の中でも神殿や関連する施設がある場所はさらに壁で区切られていたりする。が、今回の入学試練にはあまり関係ない。
「入学試練に参加する者達は、これから大広間に移動します。リボンを一人一本渡しますので、入り口に置いてある鉢植えの木に結んでから入ってください」
神殿前に集まった二百名を超える参加者を誘導するのは、濃い青色のコートを着た神殿関係者達だ。
あのデザインと色は、警察とは別にトウカの治安維持のために働くセイレン騎士団のもの。入学試練の手伝いだろう。
言われた通り、リボンを木に結ぶ。
これもまた一つの試験。精霊の加護を受けたこのリボンは、愛し子でなければ木に結べない。
入学試練の資格がないのに不正をして潜り込んだ者はここでふるい落とされる。聞いていた通りだ。
この試験、潜り抜ける裏技が存在するとかいう噂もここ数年ごく一部で流れている。似たリボンを予め隠し持ち、それを結ぶというものだ。嘘か本当かわからないけど、金を積んでその年のデザインのリボンを手に入れる金持ちがいるとかいないとか。便乗して詐欺を働く者もいるとか。
軽く窺った感じでは失格者は出ていないようだ。
「神殿ってこんな風になってたんだな」
「博物館みたいね」
中に入れば、小声だけどはしゃぐようなお喋りが聞こえる。
博物館という言葉に私も内心で同意した。白い石造りの建物には、ところどころに何かの像や絵が飾られている。
ここは神殿と呼ばれるけど、厳密には精霊は神とは少し違う。
人々に気まぐれに利益をもたらしてくれるけれど、その機嫌を損ねれば痛い目に合う。自分達の生活に影響力を持つ、ありがたく時に厄介な隣人。
人間は彼らを不思議な力を持った存在として尊重している、というほうがいいだろう。
だから私達は手を貸してもらう方法を研究したり、無駄に機嫌を損ねることは避けようと動いたりする。
ここはセイレン島にいる精霊達への敬意の証としての場所で、人々に精霊を敬う心を忘れないよう啓蒙するための観光地である。そして同時に、研究機関や学校を管理している場所だ。
集会用の大広間に到着すると、入学試練の手伝いのために数十名の研究学校生達が集まって待機していた。
手伝いは、三年生と四年生の中から指名されたり自ら立候補した者達で構成されている。自分の勉強のためのフィールドワークもこなせるので、数は多い。
一般学生の青いジャケットに混じって、名誉島民候補生の黒いコートも数名見えた。もちろん、ロベルト、ジェニファー、そしてハルも。
「入学試練生は壁際に飾られている花々から、一輪ずつ選んでください」
中に入るなり、そう告げられる。
壁際には、たくさんのカラフルな花が飾られた丈の高いフラワースタンドがいくつも並んでいた。
目的も明かされず戸惑いの空気が流れる。
それを見越したかのように、何人かの研究学校生達が手助けするようにやってきた。
「さ、選んで選んで」
「見た目を崩しちゃうとか気にしなくていいんだよ。どれでも気に入った花を選んでね。ただし一輪だけ」
「気に入ったものがなければ、いくつかのフラワースタンドを見比べてみるといいよ」
そうされてようやく、固まっていた入学試練生達が壁際に分散していった。
私も素知らぬ顔で壁際に行く。
ちょっと出遅れたので、どのフラワースタンドも人が群がっている。かなり選んでいるようで、花を抜きかけては止めを繰り返している者が多かった。
どうするかと悩んだところで、一番隅のフラワースタンドには誰もいないことに気付く。
他と比べるとスタンド自体が小さく、小ぶりで地味な花しかないからだろう。
なんでもいいとのことなので、私はそこから取ることにした。
「選ぶなら、その花がいいと思うね」
斜め後ろから聞こえてきた声は、振り返らなくても誰かわかる。ハルだ。
彼は「ほら、これ」といくつかの花を掻き分けてみせた。
「黒……いいえ、かなり濃い青?」
地味な花に隠れるようにしてあったのは、黒に近い青色をした大振りの薔薇だ。
「青い薔薇は存在しないと聞いたことがあるわ」
「セイレン島だからね。ここでしか咲かない希少種もあるんだ。これは青というより夜の色だよ」
「もしかしてこれ、精霊に関する花を見つけられるかのテスト? 精霊の力を借りて咲いた花じゃないと減点、みたいな」
小声で訊ねる。
入学試練は大まかな内容しか把握していない。年によって違う部分もあるらしいし、参加者は口外しないよう言われるため情報が少ないのだ。
ハルはにやりと笑った。
「さあ、どうぞ取って」
あまりに胡散臭すぎて、ちょっと躊躇う。それに私の質問に答えていない。
一応手を伸ばしてみるけど直前で止める。すると彼がすっとバラを抜き取って、私の中途半端に開かれた手の中に入れるようにした。
しばらく無言で見つめ合い、私が折れた。まさかここで私を脱落させるような行動を彼がとることはないだろう。
念のため周囲を窺うけど、立ち位置のおかげで誰にも見られてはいない。ジェニファーとロベルトは誰かに話しかけられていて、こちらに背を向けていた。
夜色だというバラを手にして、私は広間の中心へ戻る。
「花を選べた者には、ジャケットを貸与するのでこちらに」
誘導の声が聞こえるのでそちらに向かう。そしておかしなことに気付いた。
私に気付いた研究学校生達が妙にざわついてる。
「見て、あの花」
「マジかよ、信じられねえ」
「あんな大輪の、しかも青薔薇よ? 嘘でしょ……」
さすがに私は足を止めた。
けどひそひそ話をしている研究学校生達は、私が顔を向ければ気まずそうな顔で黙るだけ。
思った以上に注目を集めているようで私のほうも困惑した。
「花を選んだ方は、あちらでジャケットを受け取る手はずですよ」
すっと近づいてきてフォローしてきたのはノアだ。
当然の顔で青いジャケットを着ている。彼は、ハルの付き人であると同時にセイレン研究学校生でもあった。ハルと同年に入学している。
誘導される形で進みながら、私は小声で問いかけた。
「この花はどういうこと?」
「今年の新しい振り落とし方法です。花を抜くことができずに枯らした者は――」
説明を最後まで聞く前に、大きな叫び声が背後から聞こえた。
「わ、私は本当に愛し子よ!」
「話は別室で聞きます。あちらに」
「それじゃ入学試練が受けられないじゃない!」
「入学試練を受けられるのは、花を抜くことができた者のみです。これらは力ある精霊によって、愛し子のみが花を手にできるように力をかけられている。愛し子以外が触れれば、花は枯れる」
フラワースタンドの前で騎士団員達に囲まれている者が数名いた。叫んだのはその中の一人だ。彼らの足元には茶色く変色した花びらや茎らしきものがいくつも散らばっている。
皆、何らかの抗議をしているようだったけど、騎士団員達によってあっという間に大広間から連れ出されていってしまう。
「資格のない者をあぶりだすための試験なんですよ、これも」
「私が注目されたのは?」
「そんな立派で珍しい花を選ぶからです!」
小声で怒られた。かと思えば、急にトーンダウンする。
「でもそれも……精霊による一つの導きともいえますから」
いや、選んだのは私じゃない……。
もう少し話をしたかったけどできなかった。たくさんの水色のジャケットを積んだ机の前に着いたからだ。
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