5-1:入学試練の朝

 とうとうきた入学試練当日。

 この日は朝早くから、セイレン神殿に集まることになっている。


 支度を終わらせて部屋で一人、一息ついたところでノアが部屋を訪れた。


「一昨日の夜、ロベルト様はヴィーク候へ急ぎの電報を打ったようです。その返事が昨日きたらしいとか。このところヴィーク家の屋敷に見慣れぬ男たちが出入りしているようですが、その人数も増えたそうですね」

「第二王女はここにいると、ヴィーク候は判断したのね」

「おそらく。ロベルト様は、最初は屋敷に来たその男たちに対して遠慮していたらしいのですが、一昨日の夜からは上機嫌で偉そうな態度をとっているようです」

「わかりやすいわ。ありがたいけど」

「ご実家の事業に関わるには力不足と御父上から判断されたのを、ずっと不服に思っていらしたようですからね。この件で自分が優位に立てることが嬉しいのでしょう」

「……そうだったの?」


 ヴィーク侯爵からコラク王家へは、誰かと競うのを好まない大人しい青年であると紹介されていた。

 本人も手紙の中ではそのイメージを壊してはいなかった。


「彼の傍に働く使用人たちは、そう噂していますね」

「それを知ってるあなたは優秀ね」


 ノアは、おそらくロベルトの屋敷の使用人から情報を得られる方法を持っている。

 裏でコラクの公爵家に繋がっているという意識が情報収集の網を広げさせているのか、それともハルの付き人としてか。どちらにしろ助かった。


 しかしノアは「この程度で甘すぎます」となぜか不服そうにする。


「まだまだですよ。あなたに拾われたときとは段違いにできる奴になってるんです、私は」


 久しぶりに再会した彼はとてもやる気にあふれているらしい。


「私はハル様の付き人ですが、裏であなたに雇われている身でもあります。ずっと片方でしか力を発揮できなかったのが、ちょっと不満だったんですよ」

「あまり無茶はしないでね」


 もしハルと私の利益がぶつかった場合、今のあなたはどちらを選ぶのだろう?

 ふとそんな疑問が浮かぶ。だが問いかける気はない。


「それはそうと、本物の第二王女様は、会ったことのない婚約者の元へ逃亡するようなお方なんですか?」

「少なくともヴィーク候の目にはそう映っていたはずね。大人しくて人見知りの世間知らずな王女。恋する相手を信じたいと願う、ちょっと盲目なところがあってもおかしくない。ロベルトと丁寧な手紙を頻繁にやりとりしていたのを、当然、侯爵も知っているから恋心も疑われないでしょう」

「そのまめなやりとりは、周囲を欺くために?」

「違うわ」


 自然と語気が荒くなった。気まずく黙ると、ノアもまた短く「失礼しました」とだけ言って話題を終わらせる。

 そのまま報告を終えて部屋を出ていきそうだったが、思い出したように動きを止めた。


「イリナ様」

「……どうかした?」


 一瞬、反応が遅れた。

 二人きりの場でノアにイリナの名で呼ばれると不思議な感覚だ。


「ハル様には告げないんですか。あなたの、本当のお立場のことは」

「ノアは告げたほうがいいと思う? 私は実は王女じゃないってこと」

「告げても問題なさそうだとは感じています。あの人、本当にあなたのこと気に入ってますよ。昨日だって、うっきうきでお土産選んでました。あんなに楽しそうに買い物してるの初めて見ましたよ」


 やれやれ、といわんばかりのノアだが、どこか楽しげだ。


「なので後々のことを考えると、早めに言ったほうがいいんじゃないかと思ったんです」

「だけど、彼にとって大事なのは――」


 私がコラクの第二王女、ユリアであることかもしれない。

 今のところ、私自身は彼からユリアに対する執着を感じたりはしていないけれど……。


 王女への執着心はわざと隠している?

 私が王女ではないとわかったら、敵になったりしないか?

 敵対まではいかなくても、協力はやめてしまったりしない?


 可能性を考え出すと、きりがない。

 そして下手な博打を打つより、誤解させたままのほうが最適な気がしてしまう。私にとっての優先事項を考えると、彼が私に協力的である状況を維持すべきだ。


 もし王女に対して抱くのが何かしらの悪意だったとしても、それならそれで私が受け止めるのがいい。私は王女の影武者なんだから。


 なんにせよ、あと七日間の付き合いであるから――。


「イリナ様?」

「え?」

「話の途中で黙りこまれたので……」

「ああ、いえ、なんでもないわ。彼に私のことを打ち明けることについては、もう少し考えてみる」

「承知しました」


 軽く一礼してノアが部屋から出て行っていく。


 最後に話したことについてもう一度考え込みかけたところで、扉がノックされた。返事をすると相手はハルで、タイミングにどきりとする。


「昨日、これを渡し忘れていた」


 差し出されたのは小さくて薄い包みだ。


「まさか、お土産のおかわりだったりする?」

「うん、そうだよ?」


 ふざけて言っただけだったのに堂々と肯定され、こちらが真顔になる。


 包みの中には、手のひら大くらいのメッセージカードが複数枚入っていた。それを入れるための小さな封筒も一緒に。カードには透かしの模様が入っていたり、金色の模様が印刷されていたりと様々だ。


「精霊憑きの作った文具を売る店に行ったって言っただろう? 昨日渡したガラスペンなんかと一緒に、それも買っておいたんだ」

「このカードも今日からの試練で必要になるの?」


 本気でそう思って聞いたのに、ハルは一瞬目を見開いたあと面白そうに笑った。


「違う、違う。これは僕に書いてもらうためのもの」

「あなたに書く……?」

「そう。入学試練中は、君のそばに常にいられるわけじゃないだろ。困ったことがあったとか、なにも異常はなしだとか、僕宛てに毎日一通ずつ書いてくれ」

「本気? 毎日の定期連絡をしろと」

「一言でいいんだよ。例えば『会いたい』、だけでも」

「そうしたら会いに来てくれるのね」

「うん」


 冗談だ。頷かないでいい。


「長々と手紙を書けっていってるわけじゃないんだ。簡単だろう?」

「でも面倒くさい」

「カイゲン卿は僕の知る相手の中でも一、二を争う大物だったんだよね」


 うわ、ここでそのカードを切るわけか。


 とりあえずもらったメッセージカードの枚数を数えれば、ちょうど入学試練の日数と同じ七枚ある。

 カイゲン伯爵との顔つなぎの代価が、毎日一言メッセージを書くこと。期間は七日間のみ。


 破格といえば破格だ。


「わかったわ」


 観念して頷くと、ハルは満足げだ。

 そしてもう一つ、また小さな袋に入ったなにかを渡してくる。


「これは……インク?」


 入っていたのは、小さなインク瓶が三つだった。黒に近い濃い青、透明感のある赤紫、そしてきらきらした粉の入った黄緑だ。


「ペンはあげたけど、インクは渡していなかったからね。カードと違って、これは純粋にプレゼント」

「あなたのお土産、いくつあるの」

「これはお土産じゃなくて、僕の私物だよ。ちょうどよく気に入る色が店になくてね。手持ちのものから選んだんだ」


 言われてよくよく見てみれば、量的に少し使われた形跡がある。


「こんな可愛い色も持ってたんだ」


 黄緑の瓶をまじまじと見つめた。振ると、沈殿していたきらきらした粉がインクに混ざる。紙にのせたらちょっと薄そうだけど、濃い色のカードになら映えるかもしれない。


「ウグイスの色に似てないかい? それで、そっちの赤紫はツツジアザレア

「ハル……」

「そっちの黒みたいな青は、月夜の空の色かな」

「……詩的ね」


 ツツジアザレアとウグイス。それはコラク王家の紋章だ。

 なにか言いたかったのに、彼がただの説明みたいにさらりと流してしまうから、うまく言及できなかった。


「このインクを使ってメッセージカードを書くわ。ありがとう」

「七日間、楽しみにしてるよ」


 目を細めた彼は、出会ったとき同様にどこか油断のならない雰囲気をまとっていた。


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