4-1:山鳥の日


 観劇の次の日、私は一日をゆっくりとハルの屋敷で過ごした。


 一通だけ、ロベルトに向けてごく短い手紙を書いた。彼が王女の恋心に安心し油断してくれるように。内容は、劇場で挨拶をしにきてくれたことへのお礼だ。


 署名はもちろん、イリナ・アドラー。

 だけど当然ながら、王女と筆跡も文体も似ているはずだ。


 今のところ、おそらく物事は上手く運んでいる。

 私は、明日から始まる入学試練に参加すれば、とりあえず七日間は追手のことを考えなくていい。


 今日は屋敷に私一人だ。

 ハルはいくつか買い物があるようで、ノアを連れて出て行っている。一緒に街に出るかと誘ってくれたけど、私は念のため屋敷に引きこもった。


 お土産は何がいいかとちょっとしつこく聞かれたけど、特に欲しいものはない。が、これみよがしに悲しそうな顔をするので、精霊憑きの作った小物を頼んでおいた。


「なら世界でたった一つ、君だけの一点ものを探してくるよ」

「気合をいれないで。受け取りにくくなるから」

「まあ、精霊憑きの作るものは手作りが多いから、大抵一点ものなんだけどね」

「ノア、あまり高価なものを買いそうになったら止めてね。本気で受け取らないから」

「承知しました」

「お前はどっちの味方かな、ノア?」

「あなたの買ってきたお土産が無駄にならないよう心を砕いているんですよ、ハル様」


 そんな能天気なやりとりをしたあと、彼らは出かけて行った。


 精霊に愛され、その力を貸してもらえる人間は「愛し子」と呼ばれる。貸される力はそう大きくなく、効果も頻度もムラがあるのが普通だ。

 その中で、特定の精霊がほぼ確実に力を貸してくれる者が「精霊憑き」と呼ばれていた。


 例えばある者はパンを焼けば、必ず通常よりも日持ちも味もよく、食べた者が不思議と幸せを感じるパンになる。ある者は植物を育てると、通常よりも立派で大きな花が咲いたり、質のいい薬草が育つ。ある者は本人でも驚くような細かい細工を正確に施した装飾品を作れたりする。


 みな精霊の姿は見えなくても、特定の行動を起こす際にその存在を近くに感じるという。

 精霊憑きはその特性を活かした職につくことがほとんどだ。彼らの作ったものには、精霊の加護が与えられていると価値が上がる。


 セイレン島にはそういった精霊憑きが多く住み、仕事をしている、彼らの作るものや、見世物はこの島の重要な観光の要だった。


 精霊憑きがセイレン島以外で自然発生的に生まれることはほとんどない。ある程度の力を持続して貸し続けられるほどの精霊は、島意外にはほぼ住んでいないからだと言われている。

 愛し子と呼ばれる者たちがセイレン研究学校に入学し、精霊について学びながらこの島で生活するうちに、その中から精霊憑きになる者が生まれる――というのがほとんどだ。


 そして、精霊が姿を見せた上に力を貸す約束をしてくれた人間が、セイレン島の「名誉島民」と呼ばれるさらに希少な存在となる。

 動物と一言でいっても様々な種類があるように、精霊もさまざまな性質の存在がいると言われている。彼ら全般に嫌われない、かといって好かれ過ぎない、ほどよい距離を保つ方法や、力の活かし方を学ぶ場所……そして研究する場所が、セイレン研究学校であり、セイレン神殿だ。


 明日からは、一般の者は立ち入りできない区域へと赴き、七日間の試練を受ける。

 関係者以外が手出しできない場所へ行くわけだが、試練を受ける私からしても外部との接触が絶たれることになる。


 私は机の上に置いてある複数の新聞に目を通していった。この屋敷に来た際に頼んでいたものだ。セイレン島で発行されている二つのメジャー紙と、いくつかのゴシップ紙。昨日も新聞は確認したけど、気になる記事はなかった。


 船でハルが指摘していたコラク王女のお忍び訪問の件は、セイレンの新聞には載っていなかった。念のためセイレンでも手に入るトウカの新聞も揃えてもらっているが、続報はない。

 トウカの新聞にもあった歌手の恋愛ゴシップは、こちらでも話題。歌手はセイレンでもよく公演しており人気が高い。昨日見た歌劇には出ていないものの、出演する噂もあったらしい。


 メジャー紙の広告欄を見ていくと、ふとある箇所で目が留まった。


『ウグイスの意匠のペンダント作成を依頼した方へ。作成は無事に進みました。山鳥の日より佳境に入ります。アザレア・モリー』


 その文章を三回繰り返して読んで、それから新聞を机に投げ出した。

 山鳥の日とはコラク公国における祝日の呼び名。今日のことだ。


 ――何か困ったことがあれば、いつでも言ってくださいな。


「頼ることはありませんわ。カイゲン卿……」


 カウントダウンは始まった。私の望みを叶えるには、明日から時間との勝負になる。


 ぼんやりとお茶を飲みながら時間を潰していると、ロベルトから手紙の返事が届けられた。本当に、問題なく物事は進んでいっている。


 惰性のように残りの新聞に目を通していたら、ハルたちが帰ってきたので出迎える。

 お土産はガラスペンと上質な紙のノート。

 明日からの試練では筆記道具が必須だから、これを使えということらしい。


 失礼だけどこれまでの彼の言動から、高価で受け取りにくいものを買ってくるのではと疑っていた。それがこんな実用的なものをくれるとは。

 素直に喜んで受け取ると、彼もまた嬉しそうにしていた。

 一方、私は彼のありがたいほどの心遣いの扱いに迷う。こちらには、彼に隠していることがあるから。


 私が本物の王女ではないこと……一体どう伝えよう。


 入学試練期間に入ったら、彼にはもう少しこちらの秘密を明かしてみようか。そんな気もしてくるのだが、でもやっぱり無理な気もする。


 昨晩、ロベルトが去り際に私に囁いた言葉を思い出す。


『ハルにはあまり心を開かないでください。あいつは、以前、ユリア王女に妙な執着心を見せたことがあるんです。なにかを企んでいるかもしれない』


 ユリアへの妙な執着心ってなに?


 あれはロベルトが牽制のためについた嘘なのか、それとも本当なのか。ノアからは一度もそんな話を聞いたことはなかったけど。

 だが真実だとすると、最初から彼が親切だった理由もわかる。

 私が第二王女ユリアだからこそ、こんなに好意をあらわにしてくるのだ。


 ちょっとだけ、寂しいような悲しいような気もした。

 自分でも意外だけれど、ここ数日の間にハルとの関係を心地よく感じ始めていたらしい。


 これまでも一方的に彼の様子を気にしてきたけど、そこにあったのは責任感とか罪悪感とか。少なくとも同じ年の男女ときいて他人が想起するようなものは、一切なかったはずなのに。


 この再会は意味があるのか、占い結果を伝えてくれたユリアに無性に確かめたくなる。でもできないから、せめて夢に出てくれないかと思いつつ夜は早めにベッドに入った。


 案の定、なかなか寝付けない。体だけは休めておきたいから目だけは閉じておく。明け方には少し眠れるだろう。


 なんでもいいから彼女が夢の中に出てこないかと期待したのだけど、叶わなかった。



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