5-5:過去の彼
「日持ちするものばかりですから。焼き菓子はちゃんと甘くないものですし、気持ちだけでも受け取ってください」
ノアも苦笑気味だ。
とりあえず私も礼を伝えてくれるよう頼む。
「早速ですが、お困りのことなどないですか。入学試練についての懸念点などでも」
「今のところは、ないわね」
まとった黒いコートを見ながら、私はゆるゆると首を振る。
神殿でのハルの行動に物申したい気もしたけど、結果的にこうした個室を手に入れられた。こうなることを読んでいたなら言ってほしかったけど、わざわざ伝言で文句をつけるほどじゃない。
「ロベルト様達に関することも?」
「ええ、そちらも特にない」
「何かあったときは、すぐに申し付けてください」
部屋を出ていこうとするノアを私は引き止めた。
少し待たせて書きものをした後、小さな封筒を彼に渡す。宛名はもちろんハル。
「これは……」
「ただの定期連絡。今日の分だって言って渡せばわかるわ」
「承知しました」
今朝渡された七つのカードと封筒のセットの一つだ。もちろん、もらったインクで書いた。
内容は簡潔に、個室を得られて助かったという一言。
受け取ったノアは封筒を懐にしまうと、一礼して出ていく。
ようやく一息つける気がして体の力を抜きかけたら、またも部屋の扉が叩かれた。心当たりがなく身構えると、廊下から聞こえてきたのはタマキの声だった。
「御機嫌よう。先ほどぶりですわ」
中に招き入れたタマキは興味深げに部屋を見回した。彼女は四人用の相部屋らしい。
「あなたと少し、お話がしたくて来ましたの」
「ここでは飲み物も何もお出しできませんわ。夕食の時間もそろそろですし、食堂に行きませんか」
「ハルのお話がしたいの。ですからここで。わかるでしょう?」
他の者には聞かれたくない話らしい。彼の婚約者候補だろう女性が、わざわざ私に内密の話。気軽に聞ける話にはなりそうにない。
私が椅子を勧めると、彼女は素直に腰掛けた。
「馬車でおかしな話を聞きましたわよね。中途半端になっていたから、あなたも気になっているんじゃないかと思って」
「詳細を教えてくださるの?」
ハルが婚約者だった女性や女性を庇った男性に嫌がらせがどうこう、というやつだ。それから精霊の力を見せたがらないこと。
人から聞く無責任な噂に、正直興味はなかった。
ジェニファーとの件は知っているし、彼が精霊の力を見せないことも、大まかにだけどノアからの報告で把握している。
彼の加護は、彼の機嫌に合わせて周囲の温度が下がること。それ以外は不明だ。
彼が二年前の入学試練で名誉島民候補生のコートを得るまで、実家では大した力がないと馬鹿にされていた。
今も、発現する力のすごさという点では、名誉島民候補生の割に大したことがないと裏で言われることもあるらしい。
たぶん、彼が私に自分の精霊の加護について話題を出さないままなのは、彼も気にしているからだろうと思う。だから私からも聞いていない。
「私が教えられるのは、学校でのハルでなく親戚としての彼ですわ」
「あまり交流はないとおっしゃっていましたけど……」
「それでも、知っていることはあなたより多いわ。お耳に入れておいたほうが良いかと思って。だって彼、かなりあなたを気に入ってるでしょう。先ほど従者の方と階段ですれ違いましたもの」
つまりそういうことでしょう、というように彼女は私を見る。ここで必要以上に否定しても意味はなさそうだ。
私は「心配してくださっているようです」と無難に答えた。
タマキはそんな私を見て、少しだけ迷いを浮かべた表情で話し始める。
「ハルは十二歳のころに誘拐されたことがあるのです。ご存じかしら……」
「少しだけ噂を耳にしました。セイレン島に来る船の中で」
「ああ、やはり知っている方は知っているわよね。学校に入るのはティシュアの上流階級が多いんですもの。どうせ耳に入るのでしたら、私からお話しします」
そう言って彼女は、きりっとした表情になった。
「彼が攫われていたのは二十日間ほどでした。すべて親や別の親戚から聞いた話ですけれど――」
誘拐犯達は最初こそ大金を身代金として要求したものの、すぐに伯爵家が自分達を捕まえようとしていると判断し、取り引きを打ち切った。
伯爵夫妻も諦めていたという。
「ですが、領地の外れにある山小屋に閉じ込められているのを、近くの住民が偶然発見したと聞いています」
発見されたとき彼はかなり衰弱していた。
ショックのためか、しばらくは記憶喪失のようなものにもなっていたようだ。今でも、攫われた当時の記憶は残っていない。
彼は何も覚えていない。
タマキの話す内容は、私も知っている。
「彼が助けられた後、パーティーで一度お会いする機会がありました。彼はなんだか……前に会ったときとは違う雰囲気になっていましたわ。静かなのは同じだけれど、一線を引いて相手を観察するような、変な余裕を感じたんです」
「以前は違ったのですか」
「もっと人見知りで、ときどき怯えたような表情を見せていた気がします。そしなによりも優しそうな印象があって……。幼いころの鮮烈な体験というものは、時として人を歪ませるのかもしれません」
「歪む?」
……彼が?
「アカバネ家の領地ではペットの小鳥の繁殖もしております。何年か前に、キタシラカワ家のご子息達に小鳥をあげたことがありますの」
そういえば、前にノアからそんな話を聞いた覚えがある。
だけどその小鳥はたしか――。
「ですがハルに贈った小鳥は、半年ほどで『いなくなってしまった』と連絡が来ました。不注意で窓から逃げたそうです」
「誰にでもミスはありますわ」
「その後に伯爵とお会いする機会があったのですが、伯爵がおっしゃっていたのです。ハルは小鳥をマメに世話していたから不注意はありえないと」
「わざと逃がしたと言いたいの?」
「そこまでは言っていません。ただ伯爵は眉をひそめてこぼしていました。あれだけ大事にしていたのにいなくなって嬉しそうにも見える。おかしな子だと。わたくし、薄気味悪く感じてよく覚えています」
憂うようにため息をついた彼女に、私は問いかけた。
「それで……私にその話を教えて、一体どうされたいのかしら」
彼女は自分の婚約者になるかもしれない男の近くにいる私に、牽制をしに来たのだろうか。彼のよくない話をして、私が自ら距離を置くように。
それとも他に何か考えがある?
「どうもこうも、あなたの判断次第ですわ。あなたは彼と距離が近いようだから、そういう面もあること、お耳に入れておきたかったの」
そう言った彼女は、馬車の中と同じくまたくすりと笑う。
嫌味かとも思う。でも本当に嫌味で笑う人達を見たことのある私には、どうも違和感があった。
「ねえ、タマキさん――」
「タマキでいいと言ったでしょう? なにかしら?」
「では、タマキ。一つ言わせていただきますね」
「なんでもどうぞ」
私はこほん、と咳払いする。
「あなたの小さく笑うクセ、誤解を招くからタイミングを気をつけたほうが良いと思います」
タマキはその切れ長の目を大きく見開いて、ぽかんとしたのだった。
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