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10-1:六日目の講義
入学試練六日目。
私はごく普通の入学試練生として午前の講義を受けていた。
「えー、今日は講義の最終日だ。入学試練は明日までだが、明日は午前中に最後の散策をして、午後にはセイレン神殿に戻る。その後は入学試練参加者と研究学校生との交流会としてちょっとしたパーティーを行う予定だ」
演壇に立った教員が、講堂をぐるりと見回しながら呼びかけた。
今日は初回の講義と同じ男性教員だ。入学試練二日目なんて、もうだいぶ昔のことのように思える。
一番後ろの席に座る私の真後ろには、周囲に警戒しながら壁際に立つノアがいた。
ジェニファーとロベルトはいない。おそらくだけどハルの仕業だと思う。
そのハルは、二人が恋愛相談しているらしい相手の情報がないか、研究学校生達をそれとなく探ってくれている。
私は……ハル達に比べてちょっと気が抜けていた。
目的だった王女の手紙は、昨日すべて取り戻した。ロベルトは相変わらず私のことを王女だと信じ、疑った様子はない。
――ならもう……なにも問題はないんじゃないだろうか。
自分の命が危険にさらされているのに、どうも糸が一つ切れたような感じだ。
これまで、万が一の場合には王族の影武者として命も捧げることも覚悟しろと言われてきた。心の奥底に納得しきれない自分がいると思ってたけど、意外と諦めがついていたのかも。
もしここにコラクの第二王女ユリアを殺したい相手がいるとする。でも、ここにいるのはコラク公国公爵令嬢である
――たぶん、今日という日が私をナーバスにさせているんだわ。
この逃亡劇はまだ終わってない。それはわかっているんだけど……。
調子を取り戻すために、昨日得た情報について無理矢理考えてみる。
ロベルトとジェニファーの恋愛相談に乗っていた相手なら、私の正体についても聞いているかもしれない。絵姿を見た可能性もある。それなら、私を監視塔に呼び出した手紙の「コラク公国の高貴な身分の方へ」という文言も書けるはずだ。
だけど私に嫌がらせをして、はては殺そうとまで思われる理由がわからない。
思えば最初から、理由はいまいちはっきりしていない。
リスクを負って行動に出るには、相応の理由がないといけない。
塔から落とすなんて嫌がらせは、殺意がなくたってシャレにならなすぎる。紅茶に毒を入れたことについては、もう言わずもがな。だいたい、犯人だとバレない自信があったとしても、気軽に行動に移せる内容じゃない。
ロベルトやジェニファーが犯人だと想像しても、動機で思い浮かぶものがどれも弱い。それがどうも気持ち悪かった。
「今日は精霊の中でも特に力の強い存在、『精霊王』についての話をしよう。王と呼ばれるが、人間でいう王とは意味が違う」
教員の言葉を聞いて、私はハルからもらったノートに精霊王、と書く。
ノートを取りながら真面目に講義を受けるのも初回ぶりだ。
せっかくハルが用意してくれた筆記用具だったのに、申し訳ない。これはユリアじゃなくて、正真正銘最初から私のために買ってきてくれたものだった。
――そう、九年前に彼を助けた
長らく、王女のためのいざというときの影武者という意識で生きてきた。だから、彼が「私」に向けるまっすぐな気持ちはすごく……すごく、なんだろう?
「精霊達の中には、とても力が大きく、その気になれば自分の性質に近い精霊を従わせるだけの力がある――そういう存在が全部で二十四存在するとされている。それらが人間には精霊王と呼ばれているんだ」
そういえばハルを加護するのは、本当に精霊王なんだろうか。
そして私を加護するのも精霊王?
正直あんまり信じることはできない。精霊王と契約した王女の影武者が、別の精霊王に愛されるなんて物語の中の世界だ。
物語に例えるなら私は誰かの邪魔をする悪役が似合うほう。
手紙をすべて私に回収されたロベルトが、これからどうなろうと構わない。ハルよりロベルトにつくことにしたジェニファーはお気の毒。
……なんてことを思っているくらいだし。
「精霊王との契約は、他とは違う形をとることもあるという。個人ではなく、その人間の血を引く一族全体との契約を結べるだとか、契約にも段階があり、一番強固な結びつきとなると、精霊王と契約者の両者の死をもってしか破棄できない、など――」
死、という字をノートに書こうとして、やっぱりやめた。
下を向いていると、隣に座るタマキが「命をかけた契約だなんて、恐ろしいですわね」と小さな声で言ってくる。
「また、精霊王は力が大きすぎるがゆえに、人間の中に混じるためには必ず誰かと契約する必要があるとも言われている。そのために彼らにだけ『七日間の契約』とは違う、簡易的な『仮契約』と呼ばれるやり方もできるというね」
仮契約――それは知っている。その応用の形で、ユリアでなくとも鏡の所有者になれば予言を得られるのだ。
だけど正式な契約を結ぶのは一人であり、それは選ばれし者。
もしも万が一、私とハルが同じ精霊王に加護を受けているとして。ハルは契約できても、私は仮契約くらいしかできないだろう。作れる氷の大きさが違いすぎる。きっと愛されている度合いも違うのだ。
ハルという候補がいなくなれば、私にも可能性が回ってくるかもしれないけど――。
「……あ」
思わず声を上げてしまい、反射的に身をすくめる。
でもちょうど前の方に座っている生徒の一人が「私も、精霊王と仮契約ならできたりしますか!?」と期待するような声で尋ねたので、みんなの注意はそちらに向いてくれた。
教員は笑って「可能性はゼロではないね」と頷く。
「しかし『仮契約』は簡単な繋がりだからね。破棄も簡単で精霊から一方的に行えてしまうらしいよ。よほど相手に気に入られていないと、すぐに精霊王は君の前から姿を消してしまうだろう」
私はどこか呆けたように教員の話に耳を傾ける。
「精霊王といえば、力が強いゆえに普通の精霊にはできないことができる。別の日の授業でも語られただろうが、精霊と人間の子供の間で――」
話を聞き続けていた私の手元から、ペンがすり抜けてぽとりと落ちる。タマキに「どうしましたの」と心配されるが、私は何も答えることができなかった。
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