10-2:執務室への呼び出し

「君の水筒に入っていた紅茶の件で、わかったことがあるらしい。校長が話を聞きに来いと言っていたよ」


 ノアに給仕されながら、また隣室でのハルと昼食をとる。

 食後のコーヒータイムで、彼がそんなことを告げた。


「それから、一昨日の午前中、ロベルトとジェニファーはそれぞれ一人で自習室で本を読んでいた時間があるようだ。つまりアリバイがない」

「いかにも彼らが怪しい状況ね」

「あれ? 何か不満? 君が塔から突き落とされる嫌がらせをされたときも、彼らは同じくアリバイが不安定だ。そして王女という存在を疎ましく思ってる」

「そして私のことを『コラクの高貴な身分』だと手紙に書くことができる――」


 怪しい。すごく。

 だけど一度他の可能性に気付くと、納得できない気持ちは大きくなる。嫌がらせまではいい。でもあの二人は、殺意を簡単に抱いて、さらに行動に移すような人達だろうか。

 ロベルトは、父親が王女にしようとした外道な策を聞いて思いきり引いていたくらいなのに。


「校長先生に、ジェニファーとロベルトが恋愛相談をしている相手については聞いた?」

「まだだよ。君の素性の話も絡んだ経緯だし、まずは君に相談しようと思ってた。どうする?」

「どうするのが正解なのかしら……」


 ぼんやりと答える私に、ハルは不思議そうに首を傾げた。

 いつ見てもあざとい。だが様になっている。これは人間観察の結果身に着けたものなんだろうか。


「水筒の話を聞いてから、どうするか決めるわ」

「わかった。彼は今日の午後は執務室でずっと書類仕事のようだから、食事を終えたら訪ねよう」


 私は頷く。

 だけど、これでいいのかよくわからないでいた。


 午前中の講義で一つ、可能性として思い浮かんだものがある。

 もしそれが正しければ、おそらくハルにまず確かめてみるべきだ。そうすれば、私を狙った相手も判明するかもしれない。


 だけど、なんだか聞くのが怖かった。

 間違えていたときではなくて、当たっていたときが、だ。この突飛な思いつきが当たっていたら、彼をどんな目で見ればいいのかわからない。


 でも……。

 もし、万が一、いや億が一、私の想像が当たっていたら。

 そうしたら犯人の第一候補は――校長の可能性がとても高いのだ。




 午後、私とハルとノアは、講堂などのある建物の三階の端にある校長の執務室を訪ねた。

 中はあまり広くない。入って両脇には横には中身の詰まった本棚。扉の正面に、窓を背にするようにして大きな執務机と椅子で終わりだ。

 思ったより小さくて意外だったけど、街にある校舎のほうになら立派な校長室があるらしい。


 私とハルが執務机の前に並び、ノアだけ扉近くで控える。

 校長は椅子に座り、机の上に何枚かの書類を広げていた。


「イリナの水筒に入れられた毒の成分が大まかに解析できたんだ。君達の懸念通り、飲んでいたら死に至る毒だったよ」


 すっと周囲の温度が少し下がった気がする。

 校長は気まずげに手元に視線を落とし、私もなんとなく校長の背後を見た。窓の向こうに、西の監視塔が見える。


「さらに、塀の中に作ってある研究学校生用の菜園の隅に植えられている毒草を煮だすことで簡単に作れるものだともわかった」

「その毒草、誰でも採取できるのかい?」

「ああ、あの菜園は何人もが共同で使用しているものだし、特に立ち入りを禁止している場所でもない。それにちゃんと加工すれば薬になるものなんだ。栽培自体は悪いことじゃないんだよ」

「含みがあるね。さっさと教えてくれないかな」

「その植えられている場所は、ジェニファー・エーブルが使用している区画だった」


 大きなため息をついて、校長は机に両肘を立てた上に額を乗せた。

 私のほうは、彼の背後に見える西の監視塔をまだ見つめ続けていた。


「君達が怪しいと言っていたのは、ロベルトとジェニファーだったよね。詳しい事情は話してくれなかったけど、二人に気に入らないと思われることがあると言っていただろう?」

「ジェニファーが犯人か」


 ひんやりとしたこの温度のまずさを理解しているはずなのに、校長は困ったように、けれど力強くハルの言葉を肯定する。


「状況的にはそうとしか考えられないね。嫌がらせにしては度を過ぎているが……」


 ――俯いた校長の口角がにやりと上がったのが、見えてしまったのが悪い。


「嫌がらせではなかったとは思いませんか?」


 気付いたときには、そう口から出ていた。

 私の言葉に、校長は一瞬意味がわからなさそうにする。だけど、すぐ理解したというように頷いた。


「ああ。紅茶に毒は嫌がらせじゃないね。あれにはれっきとした殺意がある。何があったのか、数日の間に考えが変わってしまったんだな……」

「いいえ、最初から犯人は私を殺したかったのでは?」


 私の話し方に違和感を覚えたのか、校長が警戒した目をする。


「監視塔から突き落としたのも嫌がらせではありません。私を殺すつもりで突き落としたのですわ」

「君は風を操る精霊に守られている。突き落としても殺せないよ」

「犯人は知らなかったんです。私が突き落とされても風に守られると想像できなかった。だって私の愛し子としての特性は、少量の水を凍らせることができるだけだと思っていたから」


 一度目は嫌がらせ、二度目は本気の殺意と段階を踏んだんじゃない。

 犯人は最初から私を殺そうとしていた。そう考えることだってできるのだ。


 では、嫌がらせじゃなく最初から私を殺したいとまで思った理由は何か?


 隣では、ハルが黙って私と校長のやりとりを見守っている。


「イリナ、君はあの日の午前、授業後に講堂にいなかった者が怪しいと言いたいのかな」

「ここからは私が落ちるところは見えませんよ。校長先生」


 窓の外を指さす。

 彼は執務室にいて監視塔から人が落ちていくのに気付いたと言った。だけど私の落ちた場所は、角度的に塀の中のどの建物からも死角になっていた。

 最初から彼はミスをしていた。


「あのときあなたは、この執務室から落ちる私の影を見たと言いましたわ。ですがここからでは見ることはできません。であれば、どうやって私が落ちたことを知ったのでしょう」


 答えは、彼が私の背中を押したからだ。

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