6-3:約束のもの

「ええ。父から聞いています。コラクの第二王女は未来の予言を授ける精霊との――」


 静かに、というように私は遮るように片手を彼の前にあげる。


「あまり声に出さないで。それは国家機密ですわ」

「でもここには誰もいませんよ」

「いかなるときも注意を怠らないのが王族です」


 喋りを邪魔されたロベルトはやや不満そうだ。

 こちらも、王女の精霊の件をヴィーク侯爵が勝手に彼に告げていたことが、大変遺憾だ。


「でも、あなたの言う通りですわ。コラクの王家には現在『精霊王』の加護があります。第二王女ユリアは『精霊王の宣託』を授かる者。記録に間違いがなければ百年以上ぶりです」


 特別に教えますといった体で語れば、ロベルトは満面の笑みになった。


「その宣託を受けるための『鏡』のついたペンダントがあると聞きました。持つ者に予言を与えるという『鏡』……」

「ええ。さすが、ヴィーク候はあなたをよほど信頼しているのね」

「はは、いやあ、まあ。特別に教えられました」


 照れくさそうにロベルトは頬をかいた。そして妙な上目遣いでこちらを窺う。


「『鏡』がある霊廟に入り、安置された場所から取り外せるのは精霊王に愛されたコラク王家の者のみ。ですが一度取り外された『鏡』は、に幸福になるための予言を与える。たとえそれが王族以外の者であっても……そうですよね」


 やはり、そこまで掴んでいたのか。

 どうやらコラク公国のかなり中枢に買収された者がいるようだ。


 「鏡」のことを断片的に知って勝手に期待したのか、確信があって期待しているのか。ヴィーク侯爵がどこまで正確な情報を得ているのかは重要だ。買収された者を突き止めるのにも役立つ。

 入学試練が終わって街に戻ったら、コラクに一報をいれよう。


「あなたのおっしゃる通りよ。『鏡』を使用できる状態にすることと再度封印することは王族にしかできませんが、予言が与えられる『所有者』というのは王族に限られません」

「そうですか……!」


 ロベルトの表情に喜びが滲む。

 彼には「鏡」が彼の野心を叶える魔法の道具にでも見えているに違いない。彼は父親に力量不足と判断されセイレン島にやられたことを不服としていると、ノアは言っていた。「鏡」を手に入れたら、きっと現在のヴィーク家内のパワーバランスを変えられると考えている。

 ロベルトはちょっと得意げになって続けた。


「そういうことであれば、おそらく仮契約の応用でしょうね」

「仮契約?」

「世界に二十四いるという精霊王は、仮契約という緩い繋がりを人間と結ぶことがある、というやつですよ。契約時は双方の同意が必要ですが、解除は精霊側から一方的に行えるというものです」

「詳しいのね」

「これでも名誉島民候補生ですから」


 彼は胸に手をあてて、控えめに頷いてみせる。


「複数の人間に力を貸せるのは精霊王と呼ばれる力の強い精霊だけ……。あなたがその精霊王に選ばれし者で、私も名誉島民候補生とは運命を感じますよ」


 彼から、あまりに無邪気に喜びがあふれ出ているものだから。

 対比するように私の中に暗くて攻撃的な気持ちが生じてしまった。


「ヴィーク候がどうやって『鏡』を奪おうとしたかは聞いたのかしら」

「いや、詳しくは……ただ提案を断られたと」

「息子の婚約者を特別にもてなしたいと、彼は小さな別荘に招待してくれました。いつも私の傍に控えている公爵令嬢は、同行を断られましたわ」

「ああ、トワ・グレイ公爵令嬢のことですか? 口うるさい厳しい令嬢がいつもくっついていると父が言っていましたよ。王女にコンタクトを取ろうとすると、必ず口を出してくると」


 眉をひそめて見せると、彼は失言に気付いたようだ。


「す、すみません。あなたのご親戚でしたよね」

「いえ、いいんです。彼女が一部でそう言われていることは、私も知っていますから」

「なんと。あなたも息苦しく感じていたんですね」


 そんなことは言っていない。

 そして目の前にいるのがその口うるさい公爵令嬢だ。

 それもまた第二王女と――ユリアと私で、作り上げたイメージだけど。毒にも薬にもならない平凡な王女というイメージを保ちながら、面倒ごとをときにばっさり切り捨てるための役が必要だったのだ。


「連れていく使用人も最小限にして、彼の別荘に向かいました。そしてそこで『鏡』の所有権を渡してほしいという申し出があったのです」


 政治的駆け引きの経験もない、引っ込み思案な王女一人だ。篭絡するのは簡単だと考えたのだろう。

 味方のほぼいない状況で強気で出ればきっと折れる。代わりにロベルトと二人で俗世を離れて静かに過ごせる一生を保証すれば、容易に頷くだろうと。

 あれだけ周囲に警戒していたのに、そんな危険なところにやすやすと招かれてしまった。あの瞬間まで野心を完全に隠し通せたヴィーク侯爵が上手だった。


 でも、彼の申し出が受け入れられることはない。

 のらりくらりと躱され、ヴィーク侯爵は焦れた。

 別荘から王女が帰れば二度と同じ状況は作れない。十分に警戒させてしまったし、王都に戻って報告されてしまえばロベルトとは婚約破棄もあり得る。

 その予感が彼を暴走させた。


「断った王女相手に、ヴィーク候は最終手段に出ました。『鏡』の所有権を得るために、彼は長男に――あなたのお兄様に命じて無理やり私を妻にさせようと画策したのです」

「え……」

「後戻りできない状態を作ってしまえば、すべて諦めるだろうと思ったのでしょう。もしくは、あなたへの恋心を人質にするつもりだったかもしれませんね」

「それ、は……」


 ロベルトは絶句した。父親がそんな手まで使っていたとはさすがに予想外だったか。


 苛立ちを治めるように、私は息をつく。

 こんなことを彼に言う予定はなかった。ただの恋に恋する王女を演じて、彼と取引きするだけのはずだったのだ。


「企みに気付いた私は、同行させていた自分の使用人の手引きで別荘から逃げ出しました。……そうしてここにいるのです」

「こ、コラク公国に帰ることは考えなかったのですか?」

「帝国への併合に伴う混乱を警戒して、コラクの王都にはヴィーク家の私兵が援軍として派遣されています。今、ヴィーク候に見つからずにコラクの王城を目指すのは難しいでしょう。コラク以外で逃げられるとしたらここしかないわ」

「そう、ですか」


 ロベルトは急に腰が引けた様子だった。

 失敗した。逃亡のきっかけが衝撃的すぎたのだ。


「手紙で知るあなたは、とても穏やかで理性的。お父上のようなおかしな野心にも取りつかれたりしない人だと思っているわ。そうよね?」


 持ち上げて強気で迫れば、彼は途端に元気になった。


「そ、それはもう、もちろんですとも!」

「私は『鏡』を持っていることに疲れてしまったの。せめてヴィーク候が諦めるまでの間、誰かに託したいと思うのだけど――」

「私にお任せください」


 結局、彼も「鏡」を手に入れたいという欲には勝てないらしい。直前までの怖じ気づいた様子など吹き飛んでいる。


「では……心細い私に代わりの品をいただけますか」


 流れに乗ってちらりと彼の手元を見やれば、素直にそれは差し出される。水色の布の小さな包みだ。

 受け取る瞬間に緊張してしまったのは、演技ではない。


「記憶に間違いがなければ、全部で三十一通のはずだわ」

「すべて揃っています。侯爵家の名に誓って!」

「ありがとう」

「では私には、代わりにあなたの『鏡』を――!」


 テンションの上がるロベルトに合わせて、私もにこやかに告げた。


「七日目の朝にお渡しします」

「え?」

「ここはセイレンの街よりも精霊の力の影響が強いんでしょう。あまりに強い力は人間に毒となる。あなたのことが心配なの。私でさえ扱いに気を遣う難しいものなのに」

「で、ですが」

「七日目にセイレン神殿に戻る前に預けさせて?」


 上目遣い、うまくできているだろうか?


「あなたがそうおっしゃるなら……でも必ず七日目には……」

「ええ、七日目に。では、私はもう行きますわ」


 釈然としていなそうな様子のロベルトを置いて、私はその場を去る。

 包みを抱く手に力が入った。早く部屋に戻って中身を確かめたい。本当は走りだしたいくらいだ。

 だけど衝動をぐっと抑えて来た道を戻る。宿舎に戻ってからは小走りくらいになっていたかもしれない。


 部屋に入るとすぐに扉を閉めて鍵をかける。

 私の取り返したいものはこれで手に入った。

 単なる八つ当たりだろうが無駄な意地だろうが、私の密かな目的はこれで達成できる。


 包みを開けて中を確かめる。そこにあるのは、三十一通の手紙。コラク公国第二王女ユリアから、婚約者であるロベルト・ヴィークに宛てた手紙のすべて。

 ユリアが心のこめて彼に贈り、知らず知らずに精霊王の加護が与えられてしまった品物のすべてだ。

 彼がそのことに気付いていないようなのは、本当に好都合だった。いや知っていたとしても、「鏡」との交換という甘い罠には抗えなかったのだろう。


 念のためにと、私は中身を数えていった。

 二十八、二十九、三十……。


「どういうこと?」


 何度か数え直したけど、中に入っているのは三十通だ。一通足りていない。

 手紙はすべて一枚の布に包まれ、上からリボンがかけられていた。途中で落とすなんてことはあり得ない。

 どうして? ロベルトの勘違い?


「まさか……」


 わざと一通抜いて渡した?

 目標達成だと昂っていた気持ちが急激に冷えていく。

 ふと机の上に置きっぱなしにしていた紙が目に入った。タマキが部屋に来た際に床に落ちていた差出人不明の手紙だ。

 気になる内容ではあったけど、無視する予定だった。


『コラク公国の高貴な身分の方へ。ロベルト・ヴィークについて内密にお知らせしたいことがあります。西の監視塔でお待ちしますので、一人で来てください。時間は――』


 時計を見れば、手紙に書かれた時刻が迫っている。

 明らかに怪しい誘い。だけど……。

 もう一度手元にある手紙の束を見る。私はそれらを布で包み直すと、ベッドのマットレスの下に隠す。


 私は、西の監視塔に出向くことにした。

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