2-8:七年の付き合い

「ハルに説明した通りよ。『私はコラク公国の第二王女であり、それを公には隠してセイレン精霊研究学校の入学試練を受ける。ついでに、その事実をロベルトとジェニファーにだけちらつかせて慌てさせたい』」


「入学試練を突破すれば、セイレン島に住める――いわゆる『居候』になれます。普通に申請を出すよりも簡単に亡命成功ですね。少ないですが過去にも例があります」


「唯一の味方だと思っていた婚約者には裏切られていたから、ついでに嫌がらせの一つや二つしてやるの。おかしくないでしょう?」

「嫌がらせというか、思い切り恨みを晴らしてやる、くらいの圧力を感じますが」

「そうね。……盛大な八つ当たりだから」

「八つ当たりで済みますか」

「殺してしまうかも」


 本気とも冗談ともとれるくらいのノリで、ぼそりと呟く。

 ノアは呆れることも、たしなめるようなことを言うこともなく、ただ不安げにした。


「なぜ亡命することになったのかは、聞いても?」


 私は無言という形でそれに答える。


「では……セイレン島ここを選んだ本当の目的は、なんなんですか。逃亡先の選択肢は他にもあったはずです」

「だから、ついでにロベルト達に嫌がらせをするために――」

「本当にそれだけですか。人を殺すためにここに来た……ハル様にそう言ったんでしょう。誰を殺すつもりですか」


 私は小さくため息を吐く。

 ハルは思いのほか、最初に告げた私の言葉を忘れてくれなかった。

 私をノアに引き合わせる際に、冗談めかして口にしたのだ。彼女は誰かを殺すためにセイレン島に行くらしいよ、と。

 この分だと、殺したい相手を当てたら言うことを聞いてやるという戯言も忘れていなさそうだ。


「あれは彼の覚悟を試した冗談で……乗ってくるから驚いたわ」


 ノアが全然納得していなさそうなので、さらに続ける。


「セイレン島を選んだのは、ついでにロベルトから取り返したいものがあるからよ。どうしても無理なら諦めるけど」

「盗みに入れというなら方法を考えます」

「いえ、きっとそんな余裕はないの」


 私は首を振った。


「それよりもまず、ロベルトには失踪した王女を見つけたと実家に連絡をいれてほしい。自分が交渉するから任せろと、自信満々でヴィーク候に言いきるほど舞い上がってほしいのよね」


 入学試練が始まると、試練を希望する者は数日の間隔離状態になる。同行するのは学校の関係者とセイレン研究学校の生徒のみだ。

 その隔離された間に自分が王女をなんとかしてみせると、存分に調子に乗らせたい。


 そう説明すると、ノアはしばらく私の言葉を吟味するように黙る。そして納得したように頷いた。


「わかりました。ロベルト様の動きについては、ハル様にも相談してよいと思います。彼を煽るのであれば、ハル様の協力があったほうがスムーズでしょう」

「ハルはどうして、私にああも協力的なのかしら。どこまで信じていい?」


 ずっと気になっていた。

 私はずっと前から彼を認識していたけれど、逆はない。ハルにとって私は、よく知らない初対面の相手だ。


「基本的に裏はないと信じていいかと。あなたへの態度はたぶん嘘じゃないです。あの方、愛想よくするのは得意ですけど、普段はもっとスマートでさっぱりしてますよ。大体、上辺だけですし。あんな風にポンコツでしつこ――いえ、不器用でくどい好意の表し方はしたことがない。逆に信じられます」

「理由が知りたいのだけど」

「そこは……あなたのことをよほど気に入ったのでしょうとしか」


 言いながらノアも首を傾げている。

 本当に謎だ。

 でもノアが言うのなら、信用してみよう。

 身内にも近しい相手にも一線を引いているらしいハルが、唯一気に入って長く傍に置いているのがノアだ。彼が一番、ハルのことをわかっている。


 そんなノアが控えめに確認してきた。


「あの、聞いてもよろしいでしょうか。ハル様を巻き込んだのはどうしてなのでしょう」

「意図したものじゃないの。本当よ。セイレンに来ても彼とは無関係で通すつもりだった。列車で彼の部屋に私が乗り込むことになったのは、『占い結果』のせい。あの部屋に行けっていうね」

「『占い』ってそれって」

「またの名を『精霊王の宣託』、あるいは『予言』」

「本当なんですか? ただの伝説かと」

「信じない?」

「……いいえ。これでも、セイレン島に来てもう三年目に入ります。精霊は遠い存在でもあり意外と身近な存在でもあること、普通の者より理解しています」


 かつてコラク王家の先祖を気に入った力の強い精霊がいて、気に入った子孫が現れると、気まぐれに予言をくれるという伝承だ。

 ただし「契約者の幸福な未来のための予言」という、いくらでも解釈ができるような、曖昧なもの。意味のわからない抽象的なときも、細かく具体的なときもあり、受け入れるか否かは人の判断に委ねられる。


 ただの神話扱いで、信じている者などほぼいない。

 そしてもし神話が事実だったとしても、それは国家機密であり知る者は限られる。


「今回のこと……ハル様の立場を悪くはしませんよね」


 心から心配している様子のノアに、おや、と思った。彼自身もすぐにはっとして、気まずそうにする。

 急に彼が一つ下のただの青年に見えた。


「あなたがハルに仕えて五年近くね」

「ええ」

「彼からの信頼は変わりない? あなたの素性を疑うようなことは?」

「変わりありません。疑うような素振りも、少なくとも私には感じられません」

「私との繋がりが切れても、そのまま彼に仕えたい気はある?」


 ずばり訊ねると、ノアは息を飲んだ。


「この五年、あなたがやったのは、ただハルの身の回りの様子を簡単に報告しただけ。キタシラカワ家を不利にするようなことはしていない」

「あなたの命は、『ハル・キタシラカワが健やかに過ごせるよう気を配ってくれ』のみでしたから」

「その気があれば、私のことは一生口を噤んでハルに仕えることもできるでしょう」

「待ってください。何の話をしてるんですか」

「例えばの話よ。コラク公国はなくなってしまうし、いろんなことが前と同じではなくなる。もしあなたがハルの元を去って新しい人生を送りたいというなら、私も算段を考えてみる」


 先ほどとは比べようもないくらい、ノアの瞳が不安げに揺れた。


「今の立場は気に入っていますよ。あの方に仕えるのはなかなか面白いですから」

「それはよかった」

「でも……」


 ノアは何か言い澱んでやめてしまった。


「あなたは、私を何のためにハル様の元へ送り込んだんですか?」


 五年前にも一度だけ聞かれた問いだ。

 私はそのときと同じ答えを口にした。


「あなたに頼んだことがすべてよ」

「教える気はないということですね」


 ノアもまた五年前と同じことを言う。


 ただ、あのときは苛立ったように言葉をぶつけられた。今回は苦笑交じりだ。あのときみたいに、なぜだなぜだと食い下がってくることもない。


「では一つだけ。どうして私がまだ報告していない、ハル様の婚約破棄に関する詳細を知っていらしたんですか」


 尋ねてくるノアは、仕事に関して妥協を許さない部下の目をしていた。


「その件については偶然知る機会があっただけ。あなた以外に情報収集を頼んでいるわけじゃない。ましてや、あなたを信用していないなんてこともない。ハルのことに関してはあなたに一任している、ノア。嘘はないわ」

「……そうですか」


 納得しているのか、いないのか。心の内は読ませないまま、彼はぱっと明るい顔に変わった。


「ああ、もうすぐ屋敷ですね。そういえば、あなたの好きなものを夕食に出すようにハル様に言われていたんです。リクエストはありますか?」

「甘すぎる食べ物がでなければ、なんでもいいけど」

「そういうの、一番困るんですよねえ」


 仕方ないといった風に、思いついたメニューを片っ端から上げだしたノアに、私は降参だというように適当なリクエストを伝えたのだった。



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